第十話【再び見れたもの/【金の街】にて】
時は夕刻。空がオレンジ色に変わり、カラスの鳴き声が耳に残る頃。午前中に始まったはずの試験を、夕方に終えて帰ってくる理由——即ちそれは、その時間まで動けず仕舞いだったということだ。
(治療してくれたのはありがたいんだが、クセの強い先生だったな……)
ゴールへと運ばれた俺は、試験の説明をしていた桃髪の男性に連れられて学園の医務室へ案内された。もちろん、おんぶで。
そこに待っていたのは、美人な女性保健医——なんかではなく。上唇に薄く整えた髭を生やした、眼帯の大男だった。
(紫髪に桃色の瞳……確かこれは、【金の街】の民の特徴だったはず)
センター分けにした前髪は、左側だけが顎にかかるほど長い。ふわふわとパーマのかかった猫のような髪は、肩にかからない程度の長さでハーフアップにされている。
『——ようこそ! 未来の若者の少年! それにダイラー先生も! 本日はどうされたのです?』
独特な呼称で俺を呼んだその男は、俺を背負っていた桃髪の男性——ダイラーに話しかけた。彼は乾いた笑い声を枕詞に、男へ苦笑いをした。
『あ、相変わらずですね、ビルジェー先生。この子は今日の受験者なんですが、星神力を使い過ぎてしまったようで……回復するまでしばらくここで寝かせてあげられませんか?』
『おお! それはナンセンス! 少年、無茶はこの学園に入れたらすることだ。だがしかし! 君もまたエルピーダの一つ——それ即ち! ここのベッドを使う権利があるということ! さ、安住の地とでも思って休みたまえ』
『は、はあ……ありがとうございます』
なんともテンションが高い。まるで舞台の稽古をしているかのようだ。俺はベッドへ横になると、一つの決心をした。
(よし、怪我はできるだけしないように心がけよう!)
そんなこんなあり、俺の帰宅はこの時間となった。思い出すだけで疲れてくる光景にため息を落とすと、ドアの前にいるミルキールの姿が目に入った。
珍しく出迎えか? と思った矢先——だんだんと鮮明になっていく彼女の出立ちを見て、俺は思わず足が止まった。
——仁王立ちである。しかも、満面の笑みで。
これはあれか。お決まりの、というやつか。こういうシチュエーションも、前世と同じなんだな……と違った方向に現実逃避をする。だが、彼女の瞳はそんな俺を逃さんとするように見ていた。
「——まあ随分とした体たらくだったなあ。ソルよ」
「返す言葉もございません……」
今まで見たことのないほど、彼女はにっこりと笑っていた。
なるほど、今日は俺の命日だったのか。
「あー、えーっとデスネ……」
「弁明はあとで聞く。とりあえず、中に入れ」
「ハイ……」
言い訳も両断され、俺は頬を引き攣りながら家の敷居を跨いだ。
長い廊下を歩き、彼女がドアを開けたのはダイニングルームだった。そこにはいつもの席に座るメルディーの姿があった。
「お帰りなさい、ソル。とてもみっともない姿での帰還、お疲れ様です」
「労いの言葉って知ってるか?」
容赦のないメルディーの言葉に思わず突っ込んでしまったが、隣から感じる冷ややかな空気に、俺は慌てて背筋を正した。
「——座れ」
「ハ、ハイ……」
言われた通り、席に座る。当たり前のように背筋が伸びてしまうのは、仕方がないだろう。
俺が席に着いた直後、ミルキールもまたいつもの席に座る。悲しいことに、それは真向かいだ。
「さてと……一部始終を見させてもらった。結果から言えば、まあなんとお粗末で拙い。この私が教えてやったことの大半も発揮できてなかったな?」
「そ、そうですね……」
「とはいえ、だ。あのトラップをたった二人でどうにかしたのは賞賛しよう」
「ありがとうございます……?」
「しかし、自身の星神力量を把握せず行動したのは、愚の骨頂。先の評価を持ってしても余りあるマイナスだ。それにペアの相手ではない受験者に身を委ねるなど……探せばいくらでも粗が出てくるのが現状だ」
「……」
ぐうの音も出ない。
試験の中に立ち直れたと思っていたものが、改めて当人の口から発せられてしまったら、いやでも思い出してしまう。
この三年、いろいろなことを教えてもらった。それは技術や知識だけではない。一夜にして失った、あの温もりさえも。
(期待に応えたいと思った。容赦のないやつだけど、稽古終わり……いつも、夜遅くまであいつが書類の山と向かい合っていたのも知っていた)
その苦労が報われてほしいと思った。報いてやりたいと思った。
その日その日に結果が出ずとも、いつの日か——なんて理想を抱いていたのも事実だ。その当事者が俺であるならば、願ってもないことだと。
(でも、違ったんだな。俺じゃなかった、俺じゃダメだった……怒るのも、当然だよな)
足元が崩れていくような感覚だった。
不安が、焦燥へと変わる。
(——こんなんで、俺はこの先やっていけるのか?)
自身の夢の先。たどり着くべき、果ての世界。
その道のりが途方もないものだと、頭では理解していた——はずだった。
「……ごめん。ミルキール、メルディー」
言葉が口をついて出た。一度決壊してしまえば、止めようもない雪崩のように。
「精一杯、全力でやることがこんなに難しかったなんて……俺が、こんなに弱かっただなんて——知らなかった。与えられた期待感に嬉しくなって、自分でもできるんじゃないかと慢心した。思えば、あのプログラムだって満足にこなせたのは指の数くらいだったもんな……」
情けない自分ばかりが脳裏をよぎっていく。ああ違う——これはただの事実だ。自分を卑下するわけでも、謙遜でもない。散々棚上げしてきた事実を、事実として受け入れろと言っているのだ。
すると突然、ガタッという椅子が地面に倒れる音がした。ぐちぐちと情けない様に、張り手でもされるのかと覚悟した俺だったが——訪れたのは、頬を張り飛ばす衝撃ではなく、ミルキールとメルディーの焦ったような声だった。
「——ちょ、ちょっと待てソル。お前、一体何を言っている……? 突然そんな……ど、どうしようメルディー。ソルが壊れた……!」
「落ち着いてください母様。ここはいつも通りの粗治療を——しない方がいいですね。悪化します、確実に。まさかここまで落ち込むとは……人の心は難しい」
「現実逃避という名の分析を今するな! うぅ……いつも稽古で吹っ飛ばしてもケロッとしておるから大丈夫とばかり思っていたが……流石に言い過ぎたのか?」
椅子から立ち上がって狼狽する二人の様子に、俺は思わず呆気に取られた。
本気で訳もわからないと言ったふうに二人は俺を見るが、それは俺だって同じ。だが、なぜか先ほどまで脳を駆けずり回っていた焦燥は、気付けば消えていた。
「……ははっ、あはは!」
「……」
「……」
思わず漏れてしまった笑い声に、二人の声がぴたりと止んだ。
分かっているのだ、笑っている場合ではないことくらい。だが、こんなことで笑えてしまう嬉しさや、この光景を再び見ることができた嬉しさが、今はただ心のうちを満たしていた
「ど、どうするのだメルディー……ソルがさらにおかしくなった」
「人の心とは……もう訳がわかりません、母様」
さらに困惑の表情を見せる二人がらしくなくて、さらに俺は口を開けて笑った。
✤✤
「——これより、第448回フィックスト学園、入学式を開始いたします」
あれから1ヶ月。俺は白いローブを身に纏い、この地へと再び舞い戻った。
高く聳える学園の塔——そう、今日はフィックスト学園の入学式だ。
あのあと無事に合格通知が送られてきて、結果を知っていたであろうに、ミルキールとメルディーは盛大に喜んでくれた。ドタバタと新学期の準備をしている俺の元に、ミルキールから一つの紙袋が手渡された。
それがこの——フィックスト学園の制服だった。
黒のワイシャツに赤いネクタイ、男女ともに黒のパンツスタイル。
加えて、この白いローブだ。いかにも、という感じである。
面白いのが、本来ボタンを縫い付けるであろう部分を、太縄のような金色の紐を一本あしらっているデザインだ。これにより、ローブとローブの端に隙間ができ、赤いネクタイがカッコよく映えている。
「——新入生代表、前へ」
数百名という人数が並ぶ様は、まさしく壮観。
その中で、一人の生徒が壇上へと上がった。
(……って、あいつは)
「新入生代表挨拶、リレール・イオ」
白髪と、緑と金に輝く色違いの瞳を輝かせて顔を上げたのは、試験で出会ったリレールだった。
(こういうのって、大抵主席合格のやつがやるよな……? ってことはアイツ主席かよ!?)
よくよく目を凝らして見ると、あいつのローブだけやたらと豪勢な気がする。いや、気のせいではない。
あいつのローブの肩には俺や他の一般の生徒にはない装飾が——金色のフリンジが付いていた。
(他のやつにはないってことは、アイツ——というより、主席専用の特別製か)
粋な計らい、というやつだろうが正直自分にはついてなくてよかったと思う。小っ恥ずかしくて素面では絶対に着こなせない。
だというのに、あいつはそれを優雅に着こなし、今もなおカンペなしに言葉を述べている。その度胸をどうか分けて欲しいくらいだ。
そんなことを思いながら、入学式は刻々と過ぎていった。
✤✤
4月某日。
とある場所では、入学式が行われている頃合いだろう。
今日も淡々と同じ業務をこなし、突飛な仕事をこなす。
【金の街】——国立病院。そこでは今日も、看護師や医師が忙しなく働いている。
その中に一つ、そぐわない足音がロビーに響いた。
「ねえお姉さん。受付ってここ?」
「え、ええ、そうだけど……僕、お父さんやお母さんは?」
ロビーにいた看護師は、その少年に驚きつつも微笑み返した。
12歳くらいの少年が、両親を連れず来るには、ここは些か不相応な場所な気がした。
「——お父さんとお母さんって、何?」
看護師は答えられずにいた。
その少年の問いが、答えてはならない何かのような気がしたから。
——桃色の髪をした少年。それだけなら、まだ理解できた。
桃髪から覗く、青色の瞳。その純粋な無邪気さがじっとこちらを覗いている。
その得体の知れなさが、ぞわりと背筋を辿った。
なんだ、この少年は。
「僕ね、病院って嫌いなんだ。でもどうして嫌いか分からない。なんでか分からないけど、痛くて冷たくて……そんな場所な気がするからかな?」
少年は、無邪気に笑う。
まるでこの世のすべてが楽しいとでも言うように。
「僕ね、本当は命令って大っ嫌い。けど今日はちゃんとここに来た。だって——嫌いなものを、壊してもいいって言われたから」
瞬間、その病院には悲鳴が轟いた。
いや、悲鳴だけではない——爆発音と瓦礫の崩れる音。
看護師を起点に、その炎は様々なものを飲み込み、壊していった。
廊下、客室、ロビー——至る所から爆発が起こり、周囲のものを巻き込んでいく。
悲鳴、怒号、困惑。色々な感情が、色々な声となって響き渡った。
「……嫌いなものを壊せるなら、たまには命令も悪くはないかな」
その中で一人、少年は無邪気に笑っていた。




