第7話:赤坂の夜と、暴利のコーヒー
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南米から帰国した翌日の夜。
東京・赤坂にある会員制高級クラブ『アルカディア』の最奥に位置するVIPルーム。
重厚な革張りソファの上で、私たちは二人の男と向き合っていた。
一人は、国内最高峰のホテルグループを傘下に持つ若き実業家・黒岩。
もう一人は、都内で数々の外商顧客を抱える宝飾バイヤーの老紳士・陣内だ。
「……琴陵さん。急な呼び出しで何かと思えば、コーヒー豆とエメラルドだと?」
黒岩が眉をひそめ、不機嫌そうにグラスの水割り(ウイスキー)を揺らした。
「私たちは暇ではないんだよ。特に君たちのような、実績もない23歳の若いお嬢さん方の個人的な持込品に付き合っている時間などは——」
「まあまあ、黒岩社長。まずはこれをご覧ください」
私は黒岩の言葉を制し、テーブルの上に小さな磁器のカップを静かに置いた。
中に入っているのは、さっき私がホテルのラウンジの厨房を一時的に借りて(もちろん相応の「謝礼」を払って)淹れてきた、パナマ産ゲイシャ生豆の淹れたてコーヒーだ。
「フン、コーヒーの味などどこも同じ……」
黒岩は半信半疑のままカップを口に運んだ。
次の瞬間。
「…………っ!?」
黒岩の手が、ピタリと止まった。
その目が大きく見開かれ、カップの中の褐色の液体を凝視する。
「な……なんだこれは……!? 苦味が一切ない……まるでジャスミンと橘の花を同時に口に含んだような、圧倒的なフローラルな香り……! それにこの澄み渡るような果実の甘みは……!」
「今朝、パナマのエスメラルダ農園で摘み取られたばかりの『最高品質オークションロットの生豆』です」
私はニヤリと笑い、脚を組み替えた。
「通常、南米からの輸入には船便で数ヶ月、航空便でも数日かかります。その間に繊細なゲイシャ豆の香りは熱と湿気で失われてしまう。ですが……私たちの極秘ルートを使えば、『収穫直後の生の状態』のまま、一切の劣化なしで日本へ届くのです」
「ば、バカな……! 今朝収穫された豆が、なぜ今夜の東京にある……!?」
「企業のトップシークレットです。……黒岩社長。この『世界で唯一、当店でしか味わえない完璧なゲイシャ』を、御社のフラッグシップホテルの目玉として独占供給する気はありませんか?」
黒岩の額に、じんわりと汗が浮かび上がった。
一杯数万円を取れる幻のコーヒー。富裕層が殺到し、ホテルのブランディングが跳ね上がる最高峰の『客寄せ』だ。
「か……買おう! 1キロいくらだ!? いや、今年度の収穫分を丸ごと買い取らせてくれ!」
「毎月定額での優先供給契約、年間5,000万円から承ります。もちろん、現金決済で」
「契約だ! 今すぐ契約書を作成させる!」
黒岩が身を乗り出して叫んだ。
2
「……さて、陣内様」
私は黒岩の興奮冷めやらぬ横で、静かに座っていた老バイヤー——陣内へと視線を移した。
陣内は職人らしい鋭い眼光で、私を試すように見つめている。
「黒岩社長のコーヒーの品評は見事だったが……宝石はそうはいかんよ、お嬢さん。エメラルドは『傷と処理の偽装』が横行する世界だ。コロンビア産と言って人工処理されたガラスを持ってくる偽バイヤーを、私は何人も見てきた」
「ご安心ください。本物しかお持ちしていません」
私はバッグから、ベルベットの小箱を取り出し、陣内の目の前に静かに滑らせた。
パチン、と箱が開く。
そこに鎮座していたのは、蛍光灯の光を浴びて深緑の幻想的な輝きを放つ、10カラットを超える大粒のコロンビア産無処理エメラルドだった。
「……ッ!?」
陣内が息をのんだ。
彼はポケットから即座にルーペ(拡大鏡)を取り出し、手震えを抑えながら宝石に顔を近づけた。
「……オイル処理(傷隠しの樹脂注入)が……全くされていない……!? それでいてこの圧倒的な透明度と、濃密なグリーン……! ムゾー鉱山産の幻の『トラピチェ』あるいは最高品質の原石……!」
「南米の信頼できるルートから、直接買い付けた未研磨の極上品です。鑑定書も現地の公認機関のものが付属しています」
「いくらだ……! この石をいくらで私に譲る!?」
陣内がルーペを握りしめたまま、血走った目で私を睨みつけた。
「こちらのルースと原石セットで、1億2,000万円。銀座の最高級外商顧客へ持ち込めば、2億円以上の値がつく代物ですよ」
「……買いだ。今すぐ口座から指定の場所へ送金手配をする。……いや、現金の小切手でもいい!」
陣内は震える手で胸ポケットから高級万年筆を取り出した。
3
午前零時。
赤坂のクラブを後にした私たちは、夜風が吹き抜ける大通りを歩いていた。
私の手元にあるアタッシュケースには、黒岩からの着手金と、陣内から支払われた手形・小切手が入っている。
今回の南米出張でかかった経費——約数千万円のドル札(※心拍数ボーナスでタダ同然)に対し、手に入った純利益は1億7,000万円オーバー。
「……お姉ちゃん」
隣を歩く容子が、ポツリと呟いた。
「なに、容子」
「私、さっきの商談の間、緊張でずっと心臓がバックバク言ってたんだよね」
「でしょうね。1億円を超える商談なんて、普通23歳が経験するもんじゃないわ」
「でね……自分の銀行アプリ見たらさ」
容子がスマホの画面を私に見せてきた。
そこに表示されていた残高の数字。
『185,420,000円』
心拍数があがるたびに、10円が猛スピードで加算されていくシステム。商談の緊張と興奮で脈拍が跳ね上がった結果、心拍ボーナスだけでもさらに数十万円が加算されていた。
「もう……何がなんだか分かんないよ。スキルで稼いだ一括の1億7,000万と、心臓が動いて稼いだ1億8,000万……あわせて、私たちのお金……3億5,000万円を超えてるよ……」
「ふふ……あはははは!」
私は夜空を見上げて、思わず大声を上げて笑ってしまった。
「すごいわね容子! ほんの数日前まで、私たちは手取り20万そこそこのでブラック企業と低賃金アパレルで死にかけてたのよ!? それが今や、資産数億円の個人商社のオーナーよ!」
「お姉ちゃん、声が大きい! 誰かに聞かれたらヤバいって!」
「いいじゃない! 誰も信じやしないわよ! 『手に持ったものを空間に格納して、一瞬で世界中へテレポートして密輸してます』なんて言ったって、頭がおかしいと思われるだけよ!」
私は容子の肩を抱き寄せ、力強く引き寄せた。
「容子、決めたわ」
「え……なにを?」
「明日、二人で会社に正式な『退職届』を叩きつけに行きましょう。もう有給のバックレなんてコソコソした真似は終わりよ。私たちは今日から、完全なる自由身分(億万長者)よ!」
「賛成ーーーっ!!」
六畳間のボロアパートへ戻る夜道。
23歳の双子姉妹のハッピーで破天荒な笑い声が、東京の夜の街に爽快に響き渡ったのだった。




