第5話:銀座の頑固親父と、最初の札束
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「……ただいま、日本」
「帰ってきた……。一瞬で時差がバグる……」
蒸し暑く薄暗い六畳間の畳の上に、私と容子は倒れ込んだ。
さっきまでパリの職人街の肌寒い空気の中にいたはずなのに、目の前には昨夜の飲みかけのエナジードリンクと、見慣れた天井の染み。
時計の針を見れば、成田からファーストクラスで飛び立ってから、まだ丸一日も経っていない。
「ねえお姉ちゃん……頭の中の倉庫、どうなってる?」
容子が体を起こし、私の顔を覗き込んできた。
私は目を閉じ、脳内の『漆黒の無限空間』に意識を向ける。
そこには、パリの老舗『メゾン・ド・ルナール』の極上シルクジャカード生地、パリコレで使われた超限定の刺繍布、そして滑らかな最高級カーフレザーの束が、寸分違わぬ状態で整然と格納されていた。
時間停止機能のおかげで、ホコリひとつ付着せず、現地で引き取った瞬間の状態が完璧に保たれている。
「バッチリよ。劣化も損傷もゼロ。……さて、休んでいる暇はないわ。鉄は熱いうちに打て、物資は需要が一番高い場所へ持ち込む」
「まさか……今から売りに行くの!?」
「当たり前でしょ。パリのデッドストックを買い叩いただけで満足してたら、ただの買い出しオタクよ。これを『圧倒的な現金』に換えてこそ、ビジネスの第一ステップ完結よ」
私はすぐさまスマホを取り出し、容子のデザイナー時代の連絡先リストをスクロールさせた。
「容子。あんたが前に言ってた、銀座で半世紀続いてる高級ビスポーク(テーラー)の店主……誰だっけ?」
「あ……『テーラー神楽坂』の神楽坂三郎さん? でもあのおじいちゃん、めちゃくちゃ頑固で偏屈だよ? 飛込みのバイヤーなんて追い返されるに決まってる……」
「大丈夫。職人って生き物はね、『言葉』じゃなくて『モノの本物度』に一番弱いから」
私はニヤリと笑った。
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午後三時、東京・銀座。
ハイブランドの路面店が立ち並ぶメインストリートから一本入った、静かな裏路地。
ビルの地下一階にひっそりと佇む『テーラー神楽坂』の重厚な木製ドアを、私たちは押し開けた。
カランコロン、と澄んだベルの音が鳴る。
店内には重厚な木製什器と、ピンと張りつめた高級ウールや手縫い糸の匂いが漂っていた。
カウンターの奥で、白髪を綺麗にオールバックにした70代半ばの老職人——神楽坂三郎が、老眼鏡越しに厳しい視線を向けてくる。
「……なんだね、お嬢さん方。ここは若者が冷やかしで入るような店じゃないよ。オーダーなら最低でも着分50万からだ」
一瞥しただけで追い払おうとする圧。だが、容子はひるまずに前に出た。
「神楽坂さん、お久しぶりです。元〇〇アパレルでパタンナーをしていた琴陵容子です。……今日は、神楽坂さんがずっと探していた『素材』を持ってきました」
「容子ちゃんか……。素材だと? フン、日本の代理店が持ってくるような、ペラペラの商業シルクならいらんよ。私は本物しか仕立てん」
「代理店じゃありません。——フランスのルナール社直系、パリの仕立て工房の奥で眠っていた『完全なる手織りデッドストック』です」
神楽坂の手が、ピタリと止まった。
「……なんだと? ルナールのデッドストック? バカを言いなさい。あの窯元の生地が、こんな若いバイヤーの手に入るわけが——」
言いきる前に、私は持っていたアタッシュケース(※さっき途中の高級バッグ店で購入したもの)をカウンターの上に置き、パチンと静かにロックを外した。
ケースの中から取り出したのは、漆黒の光沢を放つ、ルナール社製のシルクジャカード生地の反物の一部だ。
それを、滑らかな動作で木製カウンターの上にサッと広げる。
「…………っ!?」
神楽坂の目が、息をのむ音とともに見開かれた。
彼は吸い寄せられるように老眼鏡を外し、素手で——まるで赤子を撫でるかのような繊細な手つきで、生地の表面に触れた。
「この織りの密度……光の反射によって色を変える糸の撚り(より)……! まちがいない、30年前のルナール社、黄金期の超極上シルクだ……! なぜこんなものが……!?」
「詳しい入手経路はノーコメントです」
私は一歩踏み出し、凛とした声で言い放った。
「神楽坂さん。日本のトップ職人であるあなたなら、この価値が分かるはずです。この生地でスーツやドレスを仕立てれば、一着数百万円の顧客が飛びつくことも」
「……いくらだ。いくらでこれを譲る!?」
神楽坂の目の色が、頑固親父から「一人の狂乱した職人」へと変貌していた。
「このシルク生地一反と、フランスの最高級カーフレザー(同等級)をセットにして……**800万円**。即金での決済をお願いします」
「ハ……!? 800万!?」
隣で容子が思わず引きつった声を出しそうになったが、私は横目で制した。
仕入れ値(全体の一部)から考えれば、とてつもない利益率だ。だが、この生地が持つ「希少性」と「入手不可能性」を考えれば、日本の富裕層を顧客に持つ神楽坂にとっては、決して高すぎる買い物ではない。
神楽坂は激しく葛藤するように目をつむり、やがて力強く目を開けた。
「……分かった。買った。今すぐ奥の金庫から小切手と現金を出す。……だが、娘さん。ひとつ約束しろ」
「なんでしょう?」
「この生地の残りと、他のデッドストック……**全部、うちが優先的に買い取る。他の店には渡すな**」
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三十分後。
銀座のカフェのテラス席で、私たちはアイスカフェラテを飲んでいた。
テーブルの上には、神楽坂から受け取ったばかりの「800万円」の束と、今後の継続取引を約束する念書が入ったアタッシュケース。
仕入れにかかったユーロ(現地の現金)は、元々「存在Xからの心拍ボーナス」で支払ったため、実質的な自己資金の持ち出しはゼロ。
そして、たった一度の「パリ往復(移動時間0秒)」で、**800万円の純利益**が手元に残った。
「……勝ったね、お姉ちゃん」
容子がカフェラテのストローを咥えたまま、遠い目をして呟いた。
「勝ったわね。しかも、これはまだ頭の中の倉庫に入ってる在庫の『10分の1』に過ぎないわ」
「残りの9割も売ったら……数千万円……。会社で一生分働いても手に入らない額だよ……」
「ふふ、甘いわよ容子」
私はグラスを傾け、氷をカラランと鳴らした。
「今回の件で証明されたわ。
私たちの『アイテムボックス×転移』の組み合わせは、アパレル業界の小さなデッドストック買取にとどまらない。
——世界中のあらゆる『地域限定』『輸送困難』『高価値・軽量物資』を、ノーリスクで右から左へ流すだけで、無限に資金を生み出せるってことがね」
「……ねえお姉ちゃん。次はどうするの? もう一生遊んで暮らせるお金はあるよ?」
容子の問いに、私はフッと不敵な笑みを浮かべた。
「遊んで暮らす? 冗談でしょう。
せっかく現代物理のルールをぶち破るスキルを手に入れたのよ?
……次はもっとスケールを大きくするわ。
例えば——中東のレアストーン(宝石)、あるいは南米の超高級珈琲生豆の現地買い付け。
そして、私たちが作るべきは……『完全合法に見せかけた世界規模の個人無店舗商社』よ!」
「よ、容赦なさすぎる……! 社畜時代の反動が凄まじいよお姉ちゃん!!」
23歳、元社畜と元低賃金デザイナーの双子姉妹。
彼女たちが現代社会の経済構造を物理的にハックしていく破天荒な錬金術は、まだ始まったばかりだった。




