第3話:有給休暇と、最初の『商品』
### 1
翌朝、午前九時。
私——琴陵宥子は、ボロアパートのコタツの上でパソコンを開き、会社のチャットツールにメッセージを打ち込んでいた。
『お疲れ様です。昨夜から急な発熱があり、本日は体調不良のため有給休暇をいただきます。引き継ぎ事項は以下の通りです……』
送信ボタンをポチリ。
数分後、上司から『了解。締め切り厳守の案件は大丈夫だろうな?』という、相変わらず配慮の欠片もない返信が届いた。
「よし、一仕事終了」
「こっちも完了〜。『デザイナーのインスピレーション湧出による急遽のフィールドワーク(嘘)』で一日休みゲット」
隣で容子がスマホを叩きながら伸びをした。
私たちは顔を見合わせ、フッと笑う。
普段なら罪悪感と明日の出社への恐怖で胃が縮み上がるようなバックレ(有給申請)だが、今の私たちには圧倒的な「心の余裕」があった。
なぜなら——
(トクトク、トクトク……)
私の胸の中で心臓が動くたびに、ネット銀行の残高が着実に増え続けているからだ。
一晩眠って目覚めた頃には、残高は『4,120,000円』を超えていた。
もはやちょっとした中小企業の資本金レベルである。
「ねえお姉ちゃん。口座のお金、試しにATMで引き出してみない? 偽造データで引き出せなかったら、数字だけのファンタジーになっちゃうし」
「そうね。現実の紙幣として手に入るかどうかの確認は必須ね」
私たちは着替えて近くのコンビニへ向かった。
ATMにキャッシュカードを差し込み、出金画面で「10万円」と入力する。
*カタカタカタ……ウィーン*
何の問題もなく、香ばしい新札の匂いを漂わせた福沢諭吉……もとい渋沢栄一が10枚、機械の口から滑り出てきた。
「……本物だわ」
「本物だね……」
手渡された紙幣の肌触りを確かめ、私たちは呆然と息を漏らした。
存在Xとやらの力は、現代の金融システムすら完璧に書き換えているらしい。税務上の資金ルートがどう処理されているかは不明だが、少なくとも「現実の日本円として引き出せる」ことだけは確定した。
「元手(資金)は完全にクリア。となると、次はいよいよ……『最初のビジネス』ね」
私はコンビニを出て、夏の日差しが照りつける路上で足を止めた。
---
### 2
アパートに戻った私たちは、再びコタツを挟んで作戦会議を開いた。
「まず、私たちのビジネスモデルの強みを再確認するわよ」
私はノートに黒の油性ペンで文字を書き走らせた。
1. **【アイテムボックス】**:容量無制限、時間停止(劣化・腐敗なし)、重量ゼロ。
2. **【転移魔法】**:容子が行ったことのある場所へ一瞬で移動。同行者(私)も可。
3. **【初期資金】**:心拍数由来の無限の現金(実弾)。
「普通、貿易ビジネスを始めるには『船や飛行機の輸送料』『倉庫のレンタル代』『関税』『通関手続きの時間』がかかる。でも、私たちにはそれが一切かからない」
「完全に無敵じゃん」
「ただし、弱点もある」
私はノートの数字をペン先で叩いた。
「まず、容子の【転移】は『一度行ったことがある場所』にしか跳ねられない。だから、私たちがまだ行ったことのない海外の特定都市には、最初の一回だけは自力(飛行機等)で行く必要がある」
「あー、確かに。ハワイもパリも、行ったことないから飛べないんだよね」
「そしてもう一つ。最大のルール……『違法行為(密輸)で一発アウトにならないためのカモフラージュ』よ」
容子が眉をひそめた。
「密輸? だって関税スルーして物運ぶんでしょ? それって密輸じゃないの?」
「甘いわね、容子。真のビジネスパーソンはね、『実質的に密輸同然のチートを行いながら、法的には完全にグレー〜ホワイトに見せかける』のよ。いきなり何十億円分の金塊を金の密売ルートに流したら、警察じゃなくて税務署と裏社会のヤクザが飛んでくるわ」
貿易会社で怪しい業者やギリギリの法規と戦ってきた私の経験が告げていた。
あまりにも不自然な物資の移動は、現代の監視社会では目立ちすぎる。
「最初は小さく、だが利益率がアホみたいに高い『特定のニッチ商品』から始めるの。現物を持っていけば、その場で即金で買ってくれる相手……」
「……あ」
容子がぽんと手を打った。
「お姉ちゃん、もしかして……**『アパレルのサンプル生地』**と**『入手困難なハイブランドの海外限定品』**?」
「正解」
私はニヤリと笑った。
「容子、あんたデザイナーのコネで『国内の高級仕立て屋』や『インディーズのセレクトショップ』のオーナーを知ってるでしょ?」
「知ってる! フランスの老舗タンナー(皮革業者)が作った最高級のコードバン(革)とか、イタリアの超絶限定のシルク生地を欲しがってる仕立て屋のオーナーがいる! 現地の現地でしか手に入らなくて、輸入代理店を通すと10倍の値段になるやつ!」
「それよ」
私はノートに大きく丸を描いた。
「国内のバイヤーが喉から手が出るほど欲しがっているが、少量すぎて正規の輸入ルートに乗らない『超高額・超軽量な原材料』。これなら私のボックスに山ほど入るし、容子のデザイナーのコネで即座に現金化できる」
「すごい……! それなら『個人的に海外出張に行って手荷物で持って帰ってきた』って言えば、個人輸入の範囲でギリギリ言い訳が立つ……!」
「そういうこと。よし……決まりね」
私は立ち上がった。
「まずは国内で容子が行ったことのある『空港』へ飛ぶ。そこから正規のチケットで、ファッションの本場——**フランス・パリ**へ飛ぶわよ!」
---
### 3
「えっ、今からパリに行くの!?」
「当たり前でしょ。有給は今日と明日しかないのよ! 時間は金以上なの!」
「パスポートは!?」
「引き出しにある! 有効期限も残ってる! 容子もあるでしょ!?」
「あるけど! 着替えとかは!?」
「現地で買えばいいでしょ、私たちには毎分数万円生み出す心臓(口座)があるんだから!」
容子は「正気かこの姉は」という顔をしていたが、次の瞬間には腹を括ったようにニッと笑った。
「……オッケー、乗った! 私、成田空港の国際線ターミナルなら、一昨年の社員旅行で行ったから景色覚えてる!」
「よし! 手をつないで!」
私たちは狭いアパートの部屋でガシッと手を握り合った。
容子が集中し、目を閉じる。
*フッ*
次の瞬間、蒸し暑い六畳間の空気は消え去り、目の前には巨大なガラス張りの天井と、英語と日本語の案内表示が並ぶ**成田空港第1ターミナル**の出発ロビーが現れた。
移動時間、わずか0.1秒。
周りの旅行客たちは、急に現れたパジャマに羽織り姿の双子に一瞬目を丸くしたが、空港という混乱の場ゆえに「どこかの搭乗口から走ってきたのかな」程度の認識で通り過ぎていく。
「成田、着陸!」
「よし、スマホで今スグ乗れるパリ・シャルル・ド・ゴール行きの航空券を手配するわよ!」
「ファーストクラス!?」
「当たり前でしょ! 飛行機に乗ってる約14時間の間、私の心拍数はリラックスしても1分に70回……つまり、フライト中に**約350万円**が自動で口座に入金されるの! ファーストクラスのチケット代なんて実質タダ(むしろプラス)よ!」
「バグってる……算数が完全にバグってるよお姉ちゃん!!」
金銭感覚が崩壊していく妹の手を引っ張り、私はカウンターへと突進した。
現代社会のルールをハックする、双子姉妹の「初陣(海外出張)」が、今まさに始まったのだった。




