第9話
私の評判が地に落ちた事で、彼との婚約は解消されるものと私は考えていた。
オルブライト公爵家にとってもアルバートにとっても、私との縁談を破棄しない事は大きなデメリットにこそなれどメリットは存在しなかったから。
事実、オルブライト公爵夫妻は私を都合の悪い存在として見ていたように思う。
噂の真偽に拘わらず、多くの批判を集め、社会的信用のない家と関係を深める事そのものが貴族社会では大きなリスクと成り得るのだ。
これまで円満な関係を築いていた両家はあの騒ぎ以降あっという間に疎遠となり、婚約解消の申し出が出るのも時間の問題だと私や私の家族は考えていた。
しかし――そうはならなかった。
王立魔法学園への入学を迎えた今も、私とアルバートの婚約関係は継続されている。
シェリルの覚醒イベントと同様、私やアルバートの関係もゲームで定められた展開や設定から外れつつあった。
(彼女がゲームから逸脱した行動を取ったからなのか、それとも私が無意識の内に筋書きと異なるきっかけを作ったのかは分からないけれど……少なくとも目の前の彼は私が知っている『ゲームに登場するアルバート』ではない)
解消されない婚約、特待生として全カリキュラムを免除されている立場、そしてゲーム内とのビジュアルの相違。
アルバートルートを全て把握していない立場の私から見てもはっきりと確信できる程に、彼の異変は顕著だった。
私は口を閉ざしたまま周囲の様子を窺う。
美しい容姿と優れた知能を秘めた特待生、おまけに公爵家嫡男という申し分のない立場の彼と、不可解な呪いを抱えた悪女の私。
多くの視線が集まるのは当然だった。
だがアルバートは周囲から集まる視線を気にした素振りもなく私の前に立っている。
夜会以降、オルブライト公爵夫妻が私とアルバートの関係を好ましくは思っていないだろうという事を悟った事や、広まった悪評で迷惑を掛けたくはないという考え、そして何より、この悪評を知った彼が私を拒絶する瞬間を目の当たりにしたくはないという考えから、私はアルバートを遠ざけるようになっていた。
人目を避けるように屋敷に閉じこもるようになった私へ、アルバートは体調を労わるような手紙を送ってくれてはいた。
しかしそれが婚約者としての最低限の体裁を保つ為渋々行った措置であったのか、本心からの言葉であったのか、文面からは読み取れず、返事を返すことも出来なかった。
彼が訪問してくれる事もあったが、同様の理由から顔を合わせる事は避け、追い返してしまっていた。
自分が拒絶される可能性を分かっているのであれば堂々と顔を合わせてはっきりさせればいいものを、私はその決断すら出来ず、どうせわかり切っている事だからと、結果を目の当たりにする前から諦めたのだ。
私のこの諦め癖は、前世から受け継いだ悪癖かもしれない。
前世も、人間関係に於いてあまり上手くはいかない人生だった。
心を許した相手に期待してはそれを裏切られて傷つく。そんな事を繰り返す内、自分にも他者にも期待する事を恐れるようになっていた。
『どうせ今回も駄目だろう』。
そう思っていれば、望まない結果を目の当たりにしても『思った通りだった』と自分の心を守ることが出来る。
そんな目一杯に発動した防衛本能はいつからか結果を確認する事からも目を背ける悪癖を身に付けた。
前世の私も、そしてその記憶を引き継いだ今世の私も、脆い心を持ったどうしようもない弱者だった。
さて。
そんなこんなでアルバートと言葉を交わすのはこれが半年ぶりである。
時折我が家を訪れていた彼の姿をこっそりと見送る事は何度もあった為、私個人は久しぶりという感があまりないが、彼にとっては少なくとも久方ぶりの再会だろう。
因みに、アルバートが眼鏡をかけ始めたのは数ヶ月ほど前からの事。
何の前触れもなく、ある日を境に我が家を訪れる彼は常に眼鏡を掛けるようになった。
彼を案内して暮れていた使用人の話では、研究に明け暮れている内に視力が落ちてしまったのだとか。
この世界では風邪の悪化が五感に後遺症を残すようなケースも多々存在する為、一先ず病などによるものではない事に安堵したものの、心配や不安が消えた直後に私の頭を過ったのは、日常生活で彼が眼鏡を掛けるようなキャラクターではなかったという前世のゲーム内の記憶だ。
半年ぶりに会話をした今も、彼はゲームの立ち絵では一度も見た事がなかった眼鏡姿で立っている。
眼鏡の有無のせいか、半年前とは印象が変わったようにも感じる。
おまけに意識的に彼を避けてた事もあり、彼から声を掛けられた現状は私にとって非常に気まずいものだった。
「こんにちは、アルバート」
「ああ。……少し、痩せたんじゃないか?」
「そうかもしれないわね」
気まずさを抱えている私は短く淡々とアルバートの言葉に返事をする。
痩せたというか、やつれたというか。
ドレッサーに映る自分の顔が見る見るうちにみすぼらしくなっていっていた自覚はあった。
「ここで会うとは思わなかったわ。入学生代表の挨拶に加え、式の参加そのものも、研究を理由に蹴ったという噂があったし」
「それは事実だな。式の参加も任意でと許しを貰ったから早速研究室に籠っていた」
「ならわざわざ、こちらの校舎に来る理由もないでしょうに」
魔法研究員や特待生に貸し与えられる研究室がある研究棟と一般生徒が学園生活で最も世話になる校舎は別の建物だった。
気まずさを紛らわせるべく、適当に触れた話題だったが、それが失敗だったのだろう。
私の言葉を聞いたアルバートの笑みが僅かに硬直した事に私は気付いた。
「では何故、俺がわざわざこの校舎に顔を見せたと思う?」
彼の目つきが鋭くなる。
笑みは浮かべているものの、心から笑っている訳ではない事くらい、すぐに理解した。
となれば、彼の問いに対する答えも、分からない訳がない。
彼の笑顔の圧に押し負けるように、私は思わず数歩後退る。
しかしそれを彼は良しとしなかった。
私の退路を防ぐように、彼の手が私の腕を掴む。
「カリスタ」
掴まれた腕を引き寄せられ、顔を覗き込まれる。
アルバートは互いの鼻が掠りそうな程近くで私を見つめ、鋭い光を宿した目を細めた。
「少し、話をしようか」
否とは言わせない。
そんな無言の圧が、彼の美しい笑顔の裏に隠れていた。




