第8話 想定外
ヒロインシェリルが異性に襲われるというシーンは確かに存在する。
それはストーリー選択前の攻略キャラクターの顔出しや紹介を兼ねた、本当に短いプロローグで片付けられるシーンであり、シェリルが『聖女』として目覚めるきっかけのストーリーだ。
だがそれが発生するのは本来、学園に入学してからの事のはず。
この夜会での騒ぎはゲームのイベントが本来よりも早く進んでいる事の証明であった。
それだけではない。
本来、シェリルの『聖女』という守られるべき立場が確立されるだけのはずのこの出来事は、私と、私の家族の立場を社交界のどん底へと突き落とすものとなった。
『女神の祝福』を得た者は神から寵愛を受けた存在としてその者が齎す言動全てが神からの代行として認められるのがこの世の常だ。
つまり、『聖女』は疑う余地がない程に清廉であり、悪事を働く事などあり得ないというのがこの世界の人々の共通の認識。
そんな、純潔が奪われる前に衛兵らによって救出された聖なる存在は、怯えた様子で私を示して訴えた。
誰よりも先に現場へ駆け付けた私は、助けようともせず笑って自分を見ていたのだと。
私の顔を覚える事は出来ずとも私の顔を見て『笑っていた』と本当に感じていたのならばその記憶や感覚は残る。
『顔を思い出せない』令嬢が自分を見て確かに笑っていたのだと彼女は言った。
おまけに、この騒ぎが起こる直前に近くに居た者達が見たという者も、シェリルと、『不自然な程顔を思い出すことが出来ない令嬢』しか見かけなかったと話した。
不自然な程顔を思い出すことが出来ない。
そんな特徴に該当する者で心当たりがある者など、一人しかいない。
更には現場から遠ざかるように移動していた私の姿を駆け付けた衛兵たちは目迎帰している。
実際にはただ助けを求めただけであったのだが、『聖女』として目覚めたシェリル本人の証言や目撃証言によって、誰もが私を悪と定めた。
シェリルは更に、『最近、神様が語り掛けて来る夢を見るとカリスタ様に相談した』などという事実無根の話を涙ながらに語り、人々はシェリルが聖女であると誰よりも早く悟った令嬢が嫉妬から企てた騒ぎだと考え始めた。
少々無理矢理且つ、あまりに簡単に私の立場は悪くなっていった。
やや不自然な理屈だろうと、疑いの余地が残る事であろうと、『聖女』が告げれば真実となる。
『聖女』という存在はそれ程までに絶対的な存在であるというのがこの世界の常識だった。
シェリルを襲った男達の目撃情報がなかったのは、この騒ぎを企てたのがそもそもシェリル本人だったからだと私は踏んでいる。
協力者を買収し、騒ぎが起こるずっと前から人目のない庭園の裏に配備する。
後はシェリル自身が私を誘導しながらそこへ向かえば、それだけで彼女が求めていたシチュエーションは完成する。
ゲームよりも速まる展開と、明らかに私を貶める為に企てられた計画。
定められていたはずの未来が、シェリルの行動によって本来の筋書きから逸れていく。
それが意味する事に、流石の私も確信を持った。
シェリルもまた、この世界の未来を知る者――転生者なのだろう、と。
誰もが私を『聖女』を狙う悪女であると信じて疑わなかった。
不幸中の幸いであったのは、『モブ顔の呪い』のお陰で私が皆が見た『顔を思い出せない令嬢』が本当にカリスタ・エイミスである事を証明できなかった事だろう。
我が国の司法は、『顔はわからないが絶対に彼女が犯人だ』という証言が成立するような仕組みにはなっておらず、また『聖女』という特別な存在による言葉であろうとも司法の根幹を曲げる例外的な措置は認められていなかった。
これらの理由から私は法的に裁かれる事は避けられたのだ。
だが、司法による裁きを免れた私に待っていたのは社会的な死だった。
法で裁けずとも、人々の疑念や嫌悪は膨らみ続け、いつしか悪意へと代わり、それらは私だけではなく私の家族までをも巻き込んだ。
『聖女』を害する極悪人とその家族として、我が家の社会的信用は地に落ちる事となった。
家族は私の無実を信じ、私を庇いながら信頼の回復に努めてくれた。
けれどたとえ由緒ある、高潔な血を引く侯爵家であろうとも『聖女』の圧倒的な力の前では屈するしかなく。
父は過労で身体を壊し、母は心を病み、人目を恐れて部屋からでなくなり、兄は肩書だけしか残っていない侯爵家を何とか存続させるべく働き詰めとなった。
こうして家庭はたった一人の少女の企てによってあっという間に壊されてしまった。
そして半年後。
既に入学手続きや学費の納入が終わっていた事もあり、未来で少しでも家の支えとなる為に教養を積むべく、私は王立魔法学園への入学を果たした。
***
最早悪女と名高い私は入学初日から孤独だった。
遠巻きでひそひそと私の名が囁かれる事はあっても、直接話し掛けられる事はない。
そもそも元より、呪いのせいで私から声を掛けなければ誰も声を掛けてはくれない立場の上、今となっては声を掛けられるだけで嫌悪の対象や厄介者として顔を顰められる始末だ。
まともに会話できる相手など、周囲には殆どいなかった。
だがそれも想定内の事だ。
学園に通う目的はあくまで教養を積む為であり交友を広げる為ではない。
そう割り切っていた事もあり、私は一人で学園生活を送る覚悟をしていた。
そんな私にとって最大の想定外となったのは――
「カリスタ」
広い廊下を一人歩いていた私への背後から声を掛けられる。
穏やかな男性の声。
振り返った先にはアルバートの姿があった。
(どうして彼は、今も尚私へ声を掛けるの? それに……)
彼は四角い眼鏡の奥から目元を和らげて私を見ている。
その眼差しに悪意や嫌悪は感じられず、代わりに半年前までと変わらない優しさがそこにはあった。
(――彼は眼鏡キャラではなかったはずなのだけれど……?)
私にとっての想定外。
それは……現在のアルバートという存在そのものだった。




