第35話 密告
山縣賢三は、かつてないほど苦悩していた。
自分の弟分である枝野が、やらかしたのだ。
枝野は自分にはなんの相談もせずに、織田帰蝶の暗殺を企てた。
そして失敗した。
失敗の仕方も最悪だ。
一般人である金美蘭を、誤って爆殺してしまったのだ。
「俺は兄貴のためを思って」
リンチされている間、枝野が何度も繰り返した言葉だった。
爪を一本ずつペンチで剝ぎ取られ、殴打で破壊された顔で泣きながら呻いた。
それを聞くたびに、山縣の胸は痛んだ。
拷問の結果、新たなことがわかった。
下手人である小林智也子という女が現場から逃走し、あろうことか警視庁に自首していた。
ヤクザ特有の「闇から闇に葬る」ことができなくなったのだ。
さらに、厄介なことがわかった。
どうやら枝野の後押しをしたのは、大和田組本家の若頭・下地道夫のようなのだ。
(あのおっさん、何を血迷うとんねん)
大和田組には鉄の掟がある。
一般人を抗争に巻き込んではならない。
これは、田母神のこだわりだ。
本来のターゲットが織田帰蝶だったとはいえ、結果として一般人を殺してしまった。
(なんぼカシラに全幅の信頼を寄せとっても、今度ばかりはオヤジは怒るやろな)
これを機に、アンチ下地派の幹部が反旗を翻さないとも限らない。
それほど下地の強引なやり方は、組織内の反感を買っていたからだ。
組が割れる、かもしれない。
(しやけど何より、俺はあのオンナに借りを作ってもうた)
事件直後、織田帰蝶は猛り狂ったという。
帰蝶は組員を自分の部屋に集めて、詰問した。
「おまえらがついていながら、なんでこうなった!」
その中に役者上がりの坂上仁もいた。
帰蝶は全員を並ばせて、次々と頬を張り倒したりみぞおちに膝蹴りをくらわせた。
「どいつもこいつも役立たずばかりだな。おい、佐久間」
若頭の佐久間信男も、その場に呼び出されていた。
「このクズどもの失態はおまえの失態だ。どう責任を取る?」
「はい。指を詰めます」
「よし。やれ」
若衆に包丁とまな板を持って来させた。
若衆が見守る中、佐久間は自ら左手の小指に包丁を当てた。
「ぬう!」
全体重を乗せた包丁は、小指を跳ね飛ばした。
「がああ!」
佐久間は切断面を押さえて、うずくまった。
帰蝶がふんと鼻で笑う。
「おい。そのきったねえ小指を持って来い」
命じられた坂上が、床に落ちた小指をハンカチにくるんで帰蝶に差し出した。
「便所に流して来い」
信じられない言葉だった。
この場合の小指は、ヤクザの魂である。
それを便所に捨てろ、と。
「いえ。いくら姐さんの命令でも、ご勘弁ください」
「なるほど。流れていくクソなんざ見たくねえってか?坂上、顔上げろ」
恐る恐る、顔を上げた瞬間。
二本の指が両目をえぐった。
「ぎゃああ」
出血する目を押さえて、のたうち回る。
「なら、見なきゃいいだろうが。役立たず」
帰蝶は自ら佐久間の小指を拾い上げて、便所に向かった。
子分たちが顔面蒼白でうち震える中、水洗の流れる音だけが響いた。
そんなピリついた空気の中、玄関チャイムが鳴った。
「おい。見て来い」
帰蝶に言われて、若衆が玄関に行く。
「警視庁捜査4課だ。入るぞ」
警官達がずかずかと、土足で家の中に踏み込んできた。
「織田帰蝶。15年前の赤羽での抗争事件で、国の財産である九七式中戦車を山内豊に窃盗するよう強要した窃盗教唆、および騒乱罪の容疑で逮捕する」
刑事が逮捕状を提示する。
帰蝶はその紙を奪い取った。
「はあ。何ねむたいことぬかしてんだ?そんなことより、大和田組のクソどもをとっとと捕まえろや。税金泥棒が!」
逮捕状を破り捨てる。
「……公務執行妨害罪を追加する」
組員達がなすすべもなく見守る中、帰蝶は確保、連行されていった。
玄関先には、山内豊と織田三郎の姿があった。
帰蝶がふたりを見とめて、声を荒げる。
「こら。てめえら。謀りやがったな!」
「帰蝶。しばらくブタ箱で、頭を冷やしてこい」
「てめえ!」
捜査車両が遠ざかっていく。
三郎はニコニコと笑いながら手を振った。
「ほうか。組のモンが見とる前で、パクられたんか。それも亭主に裏切られて」
いつにもまして、下地は苦虫をかみつぶす顔になる。
(人望も何もないやないか。わしはあの女を買いかぶっとったんか?)
事を焦ったかもしれない。
「それとその佐久間いう男は、親とは言え下のモンの前でメンツを潰されたわけやな」
「はい。自分は見たわけじゃないですが、自分の組に戻ったあとも、思いつめたように怒りを噛みしめてたそうです」
(ほんならその佐久間も、こっちゃに寝返らせれるなあ)
坂上という小僧の密告を分析する。
筋は通っている。
整合性はある。
だが、この男の言う事をどこまで信じて、どこから疑えばいいのか?
「自分は元々ヤクザでもなんでもないんです。舞台俳優です。あんな狂ったオンナのために、大和田組と事を構える気なんて微塵もないんです」
もと役者が頭を下げる。
「お願いします。ぼくを大和田組の末端に加えてください」
「おい。こいつの包帯を取れ」
若衆が包帯を解くと、真っ赤に染まった眼球があった。
どうやら、目つぶしの件は事実のようだ。
「す、すいません。お見苦しいもんをお見せして」
坂上がポケットからサングラスを取り出し、慌ててかけた。
「おい。このガキに部屋を用意したれ。この目やと外出もでけへんやろ」
結局、真偽のほどはわからない。
だが何かあったときの人質にとっておこう、と決めた。
つづく




