第34話 時限爆弾
(私は何をやっているんだろう?)
小林智也子は、双眼鏡でターゲットの様子をうかがっていた。
織田家を監視できる、向かいのアパートの一室。
ちゃぶ台には灰皿とマリファナ。
今や、朝起きた時から欠かせない。
ブツは大和田組が調達してくれる。
週に一度は、ヘロインというアメリカ産の覚せい剤も打つ。
(この仕事がうまくいったら好きなだけシャブくれるって言うし、頑張らないとな)
ラジオからはラテン音楽が流れている。
ボサノバという陰気な音楽だ。
(あ、動いた)
玄関ドアが開き、女が出てきた。
(織田家に住む女性は、ターゲットだけのはず。関東天武会織田組三代目姐、織田帰蝶。午前8時。いつも通りの出勤時間だ)
と、電話が鳴った。
「もしもし」
―おう。チャコちゃんか。どんな塩梅や?
枝野の声だ。
「今ちょうど、ターゲットが事務所に向かうところです」
通話中に、ターゲットは車に乗り込んでいる。
―ほうか。ほな、切るで。グッドラックや。
切れた。
1960年代、まだ無線リモコンというものは存在していない。
せいぜい漫画の世界で、ロボットを動かす機器として登場するくらいだ。
有線式リモコンはあったものの、無線式が登場するのは70年代後半である。
アメリカの研究者が書いた「超音波による遠隔操作実験」の論文を読んでみた。
どうやら20~40キロヘルツの超音波で、スイッチのON・OFF操作ができることがわかった。
枝野に頼んで、材料を手に入れてもらった。
(発火装置だけ遠隔操作できればいい。なるべくシンプルにしよう)
送信機も受信機もラジオを改造して、意外と簡単に作ることができた。
発火装置は自動車用のスパークプラグを使う。
スイッチをONにしてすぐ発火しては、自分も巻き込まれてしまう。
受信機とプラグの間にタイマーを仲介して、3分後に爆発する仕組みにした。
プラグの先にあるのは、5㎏のダイナマイト。
こうして、無線リモコン式の時限爆弾が完成した。
手製のリモコンを手に、監視用アパートを飛び出した。
地下駐車場から出てくる車は、玄関を出たあと公道と交差する。
ここで一旦停止するのが常だ。
(超音波の送受信距離は3メートル。出口付近の歩道から遠隔操作が可能)
もう何度もリハーサルをした。
問題ない。
緊張感が頭をもたげる。
(私がボタンを押したとき、革命が始まるんだ)
アパートの中で智也子は、濃度の濃いマリファナを吸った。
それで何とか正気を保っている。
黒塗りのクラウンが、駐車場から出てきた。
この車も何度も見ているし、昨夜のうちに後部トランクをこじ開けて爆弾を仕込んだ。
問題ない。
スモークというのだろうか窓ガラスは黒く塗られていて、中の様子は確認できない。
だが運転しているのは、織田帰蝶で間違いない。
車が徐行してきた。
智也子は、自分に言い聞かせる。
(この中に、女ながらにヤクザのトップに君臨する専制君主がいる)
黒塗りの車が一旦停止する。
智也子の目の前だ。
(その女は封建制度の象徴なのだ。その女は腐った男どもと一緒になって、男尊女卑を助長している悪の権化なのだ)
目の前を、黒塗りの車がゆっくりと通り過ぎて行く。
(革命……万歳)
リモコンのスイッチを押す。
500mほど進んで行った頃。
ドッカーン!
黒い乗用車が大破した。
「あ~はっは。革命ののろしだ。ざまあみろ!」
狂喜乱舞した。
ただこのあと、智也子は奈落の底に落ちていく。
夕方のニュースで、車に乗っていたのがターゲットとは別人だと知ったからだ。
国税庁から、確定申告の申告漏れを指摘された。
織田帰蝶は、税理士たちと徹夜した。
織田興業と関東天武会、それに分家した系列団体の収支と必要経費、それにかかる税金の洗い出したのだ。
(たく。これじゃ、ただの経理部だよ)
税理士たちは明け方に帰った。
帰蝶も事務所のソファで仮眠をした。
(ああ。着替えを頼んどけばよかったな)
昨夜のうちに金美蘭に、徹夜することは伝えてあった。
「じゃあ、朝ご飯もそちらに持って行きますね」
「そんなことしなくても、駅前のそばでも食っておくからいいよ」
「いいえ。そばなんてダメです。ちゃんと食べないと」
確か、そんなことを言っていた。
黒電話が鳴った。
取る。
「はい。織田興業」
―…エスだ。
エスは警視庁にいるスパイの符牒だ。
「どうした?」
―手短に言う。落ち着いて聞けよ。あんたの車が爆破された。
「……」
―乗っていた金美蘭は…即死だった。
「……」
電話の向こうでバタバタと音がする。
―課長が来た。切るぞ。
ツーツーツー。
受話器を下ろすことができなかった。
つづく




