第32話 巨大な敵
新宿区にある関東女子医大病院。
権俵六花は緊急搬送後応急処置を受け、いまはICUに隔離された状態だ。
藤吉秀美が説明する。
「やはり、急性覚せい剤中毒だそうです。六花は私たちのアジトの前に、失神状態で捨てられてました」
(権六‥‥)
チアノーゼ。
浮腫。
激ヤセ。
大きく頑丈だった身体が、中毒症状を起こして痛々しい。
「おそらく、安土会に対する見せしめと警告でしょう。余計な詮索はするな、という関東大和田組の」
「藤吉。東京に大和田組なんてあるのか?」
「ええ。昭和の昔からありますよ」
(また、歴史が変わっている)
廊下を歩きながら話す。
「東京の広域暴力団は、明王会や大吉連合じゃないのか?」
「ああ。なんでも、昭和40年代に大和田組に淘汰されたみたいっすね」
「関東天武会は?」
「……なんすか、それ?」
「……」
「あと、大麻グミのルートはわかりました。海外で精製したブツを沖縄で仕入れて、高知のカツオ漁船で和歌山に運んでから、神戸の大和田組総本部に……」
「上総リタ!」
廊下の向こう側に男が現れる。
「…来たか。藤吉、逃げろ!」
そう言って、秀美を押し飛ばす。
「姐さん!」
「来るな!」
リタ自ら、男の方に歩み寄っていく。
「今度はわかるぜ。おまえは大和田組から送られたヒットマンだろ?」
「…ふん。わかってるなら、話は早い」
拳銃を抜く。
乾いた音。
火花。
目を覚ます。
背中からは、美蘭の寝息。
昭和の布団の中に戻っている。
(今のは何だ?ただの夢?)
だが、肌感覚では夢ではなかった。
(また、煩わしいルーティンをはしょって令和に行ったのかな?だとしたら、未来はよくなっていなかった。いや。最悪だった)
ここまでは、順調にステージをクリアしていた。
だが今回は「ステージいくつをクリアした」等、脳に直接伝える声もなかった。
(今回のバトルは失敗、ということか?いや。クリアとは言われてないけど、フェイルとも言われてない。つまり、まだバトルの途中で挽回の余地はある、ということなのかもしれない)
分析してみる。
玉木富士夫というフィクサーから八億円を奪った。
明王会の次期会長を追放した。
瀬川隆介を問い詰めた。
(このうちのどれかが、大和田組の東京進出を許す要因になった?)
秀美は「明王会も大吉連合も昭和40年代に大和田組に淘汰された」と言い、関東天武会の存在も知らなかった。
どこかの時点で東京が大和田組に占領される、ということだろうか?
(本来なら、玉木の仲介で明王会と大和田組は同盟関係になるはずだった。その歴史をあたしが書き換えたため、大和田組が強硬策に出てきた……とか?)
そしてその連合軍に、他の東京の暴力団は淘汰される。
(この分析が当たっていようが外れていようが、今度の敵は大和田組ということだろうな)
昭和40年(1965年)8月。
この日、枝野悟は大学内に隠れている債務者を追い込みに来ていた。
枝野は大和田組の企業舎弟で、表の顔は枝野ローンの社長だ。
債務者の小林という大学生が、学生ローンで10万円をツマんでいた。
半年経ち、債務は200万円に膨らんでいる。
令和の1千万円ほどだろうか。
とっくに廃部になった囲碁部の部室の前。
「社長さん。この部屋です。小林の野郎、ここに女連れ込んでますんや」
枝野たちを案内するのは、債務者の同級生だ。
1万円を渡すと、隠れ家から実家の在り処までペラペラ喋った。
若衆のうちの一人が、バールでカギを壊す。
「おーい、小林君。おるんやろ?遊びに来たでえ」
畳張りの部室内に、ズカズカ踏み込んで行く。
窓から逃げようとする半裸の男が見える。
「アホやなあ。取り囲んでから踏み込むに決まってるやん。小林君」
窓から、若衆が飛び込んでくる。
「ぐえ!」
小林の喉を掴んで、畳の上に押し倒した。
「枝野さん。すんません。必ず、必ず返します」
息も絶え絶えに、許しを請う。
「お金のこと?いや、もうそれはええねん。あんたからはもう一円も返って来んってわかってん。せやから、お金やなしに…」
小林の顔を覗き込む。
「あんたの人生で払うてもらうことにしてん。タコ部屋や」
タコ部屋は、民間の強制労働収容所である。
「それだけは勘弁してください!知ってるんです。俺のポン友が廃人になって、実家の前に捨てられてたって」
「そうなるかどうかは、あんた次第ちゃう?」
「か、代わりに、あの女を、あの女を好きにしてもらっていいんで」
小林が指さした先には、酩酊状態の女が転がっている。
「あの女?あの女って誰?ヒヒ。イヒヒ」
ラリっている。
どうやら、マリファナ漬けのようだ。
道理で、さっきから妙な異臭がしていた。
「どんな関係やの?」
「婚約者です。婚姻届も、ほら」
慌てて碁盤の下から、緑色の紙を取り出して見せた。
だが「妻」の欄には、何も書かれていない。
恐らくこの小林が、勝手に婚約者に仕立て上げているのだろう。
(こんだけラりってるんや。こっちでサインして拇印押させりゃ、成立はするか)
法的配偶者なら、連帯保証人にできる。
こんなボンクラより、女の方が換金はしやすい。
「きみはほんまもんのクズやのう。小林君」
枝野は小林の頭をくしゃくしゃと撫でてから、碁盤に叩きつけた。
つづく




