大晦日
そして当日、大晦日である。
前日の早朝から炎杜伊織は炎杜家の裏庭の井戸の聖水を使い沐浴を済ませた後、白い祭服に着替え祭場殿舎『迦神殿』に籠り『迦神殿神授の儀』を翌日の大晦日の夕刻まで執り行っていた。
伊織は彼の持つ妖力によって『御神火』を霊脈から拝受し奉ると、それをランタンに移した。その炎を満足げに暫く見た後、伊織はランタンの扉を閉めた。
その時である。伊織は自身の体の異変を感じた。無事に『御神火』を取り出して、張りつめていた神経が一瞬緩んだ瞬間だった。息をするのも辛い体調の異常を感じた。
――これまでか……――
と悟ると静かにランタンを床に置き
「……千灯……」
と声を振り絞って、内扉の前で待機していた孫娘を呼んだ。
「はい。おじい様……」
と千灯が扉を開けて中の様子をうかがうと、正座した伊織の膝元に『御神火』が灯ったランタンが目に入った。
「お勤めご苦労様でした」
と千灯が床に手をついて頭を下げると
「千灯よ……今からお前に頼みたいことがある」
といつものような穏やかな口調で伊織は言った。
「頼み事ですか? なんでしょうか?」
「うむ。この『御神火』を姫巫女様の住まう神殿まで届けてくれないか」
と伊織は穏やかな口調であった。
「私がですか? 一人で?」
と驚いた表情で千灯が聞き返した。
いつもであればこの『御神火』は忌火の職人の長であり炎杜家の家長でもある伊織が、姫巫女様の元へお届けに上がるものである。それを十歳そこそこの孫娘に委ねるというのである。驚くのも無理はない。
「そうじゃ……本来であれば儂がお届けに参るところではあるが……済まぬ。儂はもう動けんようじゃ。儂の代わりに炎杜家の人間として『壱番参り』をお前に任せる……『御神火』を姫巫女様の元へ頼む……」
と今にも倒れ込みそうな状況でありながら、伊織は何とか気力を振り絞り平静を保ち千灯にランタンを手渡した。伊織は苦渋の決断で孫娘に全てを託す決断をした。
その鬼気迫る雰囲気の伊織の姿を見て、全てを悟ったこの孫娘は気丈にも
「分かりました。私が命に代えてもこの『御神火』を姫巫女様の元へ届けてまいります」
と平然と答えた。
「それではお主に任せる。聖樹海の入り口までは、いつものようにその『御神火』に任せておけばよい。お主を導いてくれるであろう」
「はい。心得ております」
と千灯は答えた。
それを聞いて満足そうに頷いた伊織はそのまま優し気な表情を見せた。
もうこの時点で彼の意識は完全に遠のいていたが、それを最後まで千灯には悟らせなかった。
『迦神殿』を辞した千灯は他の職人達に伊織の面倒を頼んだ。
伊織ではなく千灯の手に『御神火』が灯ったランタンを認めた職人たちは、それを見て神殿内で何が起きたかを即座に理解した。
「長の元へ急げ!」
と数人の男たちが神殿の中へと向かった。
一人の職人が手に笠と蓑をもって千灯の前に現れた。
「千灯様これを」
千灯はそれを受け取り、笠を被り蓑を羽織るとランタンを下げて屋敷を出た。
一緒に見送りに出た職人が千灯に
「聖樹海まではお送りしなくても大丈夫でしょうか?」
と心配そうに声を掛けた。
「ありがとう。でも大丈夫です。おじい様がそれはご用意してくれました」
と千灯は答えてから地面を託されたランタンで照らした。すると千灯の足元に魔法陣が現れた。
「これでおじい様が送ってくれます」
と言って微笑むともう一度気合を入れ直すように息を吐いた。そして魔法陣に足を踏み入れると同時に千灯の姿は消え、聖樹海の入口へと飛んだ。向かうは姫巫女様の住まう神殿である。




