第3話 豊穣の精霊と領地改革の始まり
第3話 豊穣の精霊と領地改革の始まり
黒衣の男が残した不穏な気配に気付かぬまま、エリシアは翌朝から本格的にローゼンベルク領の立て直し計画を開始していたのだが、領地視察によって実際に村人たちの生活をその目で見たことで前世では単なるゲームの背景設定でしかなかった貧困や飢えが現実の問題として重くのしかかるようになり、何より幼い子供たちが満足に食べることもできず将来に希望を持てない環境だけはどうにかしなければならないと強く思うようになっていた。
執務室では侯爵である父アルフォンスを始め領地経営に携わる文官たちが集められていたが、八歳の少女が突然会議を開かせたという状況に誰もが戸惑いを隠せず、それでも妖精契約者としての奇跡を目の当たりにしているため露骨に反対する者もいなかった。
「まず畑を見せてほしいの」
エリシアがそう言うと農業担当の役人であるバルトが困った表情を浮かべながら地図を広げる。
「土壌そのものが痩せ切っております、肥料も足りませんし近年は雨も不安定でして、良い作物が育たないのです」
結衣はなるほどと頷いた。
前世の知識だけでは解決できない問題だが、自分にはカードがある。
そして今回は戦闘ではなく内政こそが主戦場だった。
昼過ぎになるとエリシアたちは広大な農地へ移動した。
見渡す限りの畑。
だがそこに広がる光景はあまりにも寂しい。
麦は細く。
葉は黄色い。
土地には力がない。
農民たちも自信をなくしているのか表情が暗かった。
「こんな状態だったのか」
父アルフォンスも苦しげに呟く。
領主として状況は把握していたが、現実を目の前にすると改めて心が痛むらしい。
しかしエリシアは小さく笑った。
「大丈夫だよ、お父様」
そして手を前へ掲げる。
周囲が息を呑む。
透明なカードウィンドウが視界に展開され、その中から一枚のカードがゆっくりと浮かび上がった。
淡い緑色に輝くそのカードには、美しい女性の精霊が描かれている。
エリシアは高らかに宣言した。
「フィールドカード発動、《豊穣の精霊イシュタ》召喚!」
途端にカードが閃光となって砕け散り、巨大な魔法陣が畑全体へ広がっていく。
農民たちから悲鳴にも似た歓声が上がる。
そして結衣は思わず前世で見ていたカードアニメのノリで能力説明を叫んでいた。
「豊穣の精霊イシュタの特殊能力発動! このカードは耕作地に存在する限り土壌活性化効果を発揮し作物成長速度を三倍に上昇させる! さらに自然魔力を循環させ不毛状態を解除する!」
次の瞬間。
緑色の光が大地へ吸い込まれた。
枯れかけていた植物が起き上がるように葉を広げる。
ひび割れていた地面から芽吹きが現れる。
痩せていた土が黒々とした肥沃な色へ変わっていく。
農民たちは口を開けたまま動けない。
その中心でカードから現れた美しい精霊イシュタが優雅に舞うように両腕を広げると、柔らかな風が畑を吹き抜け、一面の作物がまるで歓迎するかのように揺れ動いた。
「こ、こんなことが……」
バルトが震えている。
農民たちの中には泣き出す者までいた。
何年も成果が出なかった畑が一瞬で息を吹き返したのだから無理もない。
しかしエリシアはまだ終わらなかった。
「次のカード」
再び手を伸ばす。
現れたのは青い宝石のようなカードだった。
「サポートユニット召喚、《泉竜ナーガ》!」
カードが輝く。
畑の中央に巨大な水の渦が発生し、その中から青銀色の美しい竜が姿を現した。
長い身体をくねらせながら宙を泳ぐその姿に村人たちは次々と膝をつく。
竜はこの世界では神話級存在だからだ。
エリシアは構わず能力を読み上げる。
「泉竜ナーガの起動能力発動! 地脈から水属性魔力を抽出し半径五十キロ以内の水源を活性化! 干ばつ状態を解除して継続的な水供給フィールドを展開する!」
竜が咆哮する。
すると地面が震えた。
枯れていた用水路へ水が流れ込み始める。
村の井戸から水が溢れる。
遠くの丘からは新たな泉まで湧き出していた。
もはや奇跡だった。
農民の一人がその場に座り込む。
「夢じゃ……ないよな……」
誰も答えられない。
全員が同じ気持ちだった。
アルフォンス侯爵ですら涙ぐんでいる。
「エリシア……お前は本当に私の娘なのか?」
「失礼だなお父様」
そう言いながら結衣は内心苦笑していた。
実際には半分違う。
だが今のエリシアとして、この家族を守りたい気持ちは本物だった。
その日の夕方。
領地中に衝撃の知らせが駆け巡った。
不毛だった土地が蘇った。
水不足が解消された。
侯爵令嬢が精霊と竜を従えている。
噂は尾ひれが付きながら拡散していく。
聖女だと言う者もいた。
女神の化身だと言う者もいた。
だがエリシア本人はというと。
「次は収穫量計算かな」
数字と睨めっこしていた。
世界ランカーの本質は効率厨である。
せっかく作物が育つのなら最大利益を目指さない理由がない。
ところがその夜。
領地から離れた森の奥で。
黒衣の男が再び報告を行っていた。
目の前には漆黒の水晶球。
そこから低い声が響く。
「精霊だけではない、竜まで召喚しただと?」
「間違いありません」
黒衣の男が頭を下げる。
「報告によればローゼンベルク侯爵家の娘エリシアは未知の召喚術を使用しております」
長い沈黙。
やがて水晶球の向こうの存在が笑った。
だがその声には不気味な冷たさがあった。
「面白い」
その一言だけで周囲の空気が凍り付く。
「計画を前倒しにしろ、あの少女は放置できん」
暗闇の中で複数の人影が動き始める。
エリシアはまだ知らない。
没落寸前だった侯爵家を救うために使ったカードの力が、王国の裏側に潜む者たちにまで届き始めていたことを。
そして次に訪れるのが収穫祭ではなく、自身を狙う最初の事件であることを。




