第九十六話 うっそぉ……まだ、出てくるの……‼
「今だ……‼」
アレクシアは、その一瞬を見逃さなかった。踏み込みは浅く、しかし速い。剣先が狙い澄ましたように、スターサラマンダーの脇腹へと迫る。
「そこだ‼」
スターサラマンダーは、辛うじて身をよじり、致命的な一撃を避けた。刃が、頬すれすれをかすめ、髪の毛が数本、宙に舞う。
「ちっ……‼ これは、思ったより、しつこいね」
そこへ野犬型のクライナーが、牙を剥きながら、横合いから襲いかかった。黒い棘に覆われた体軀が、地を這うように低く駆け抜ける。
「……っ! まずは、そっちから」
スターサラマンダーの意識が、再びクライナーへと向く。彼女は拳の炎を、野犬型のクライナーへと叩きつけた。
「フレイムバースト‼」
直撃を受けたクライナーが、大きく怯む。だが、完全には消滅しない。ダークエナジーで生まれた体は、しぶとく何度も立ち上がってくる。焼け焦げた毛皮の下から、赤黒く濁った眼が、なおも爛々と光っていた。
「くっ……‼ しつこいってば……‼」
クライナー二体を相手にしながら、正面のアレクシアとブリザードの攻撃も凌がなければならない。額から流れる汗が、顎を伝って地面に落ちる。スターサラマンダーの動きに、次第に、余裕がなくなっていく。
岩陰では、ルティナが静かに戦況を見つめていた。両の手の中に、魔力が着実に積み上がっていく。まだ、その時ではなかった。
「今だ‼」
アレクシアの声と共に、ブリザードが氷の手刀を放った。
ブリザードの手刀が、スターサラマンダーの肩を掠める。表面を薄く裂かれた皮膚から、血の玉が滲んだ。
「うぐっ……‼」
その瞬間を、リデルが見逃さなかった。
「今じゃ‼」
リデルが地を蹴り、ハンマーを振りかぶって、スターサラマンダーの死角へと踏み込む。土を蹴り上げる足音と、風を切るハンマーの唸りが、同時に響いた。
「うおおおおおおッ‼」
サンダーも反対側から、同時に拳を放った。地響きのような重みを纏った一撃が、空気そのものを震わせる。
「くらえ‼」
二方向からの同時攻撃が、スターサラマンダーへと迫る。
「な……⁉ 両側から……⁉」
スターサラマンダーは咄嗟に両腕を交差させ、防御の姿勢を取った。だが、リデルのハンマーとサンダーの拳、二つの衝撃を同時に受け止めきれるはずもなかった。骨がきしむような鈍い音が、体の内側から響く。
「がっ……‼」
スターサラマンダーの体が、大きく地面を滑った。土煙が、後を追うように舞い上がる。
「くっ……。一対一なら、まだ何とかなるのに……。数が、多すぎる……‼」
スターサラマンダーは片膝をつきながら、荒い息を吐いた。目の前には、まだ倒れきらないクライナー二体、そしてアレクシアとブリザードの二重防御、さらにリデルとサンダーの物理攻撃。四方から迫る圧力に、対応が、次第に追いつかなくなっていく。
「……っ! でも、まだ、これくらいで……‼」
スターサラマンダーは、歯を食いしばりながら、再び炎の拳を構えた。両の拳から立ち上る炎が、いつもより一段、色濃く燃え上がる。
「フレアバースト‼」
浄化の光が、山羊型と野犬型、二体のクライナーを同時に包み込んだ。二体はそれぞれ奇妙な叫び声を上げ、ピンク色のハートをまき散らしながら、黒い靄となって消えていった。だが、これまでのように、淡く光る結晶が残ることはなかった。
(この魔物には、夢見るドキドキハートが宿っていなかった……。当然か。石化された人間から奪ったものではなく、ただの魔物だったんだから)
スターサラマンダーは荒い息を整えながら、正面のアレクシアたちへと向き直った。
「……あれ?」
スターサラマンダーの動きが、急に止まった。
(何か……いつもと、違う……?)
一瞬、頭の片隅に違和感がよぎった。だが、それを深く考える間もなく、目の前にはまだ倒すべき敵が控えている。
「……気のせい、か」
スターサラマンダーは、その違和感を振り払うように、頭を振った。
「今度こそ、正面から決着をつけさせてもらうよ」
拳に、新たな炎を纏わせる。だがその時、ストームがそっと、ブリザードへと視線を送った。
「今です」
その一言に、ブリザードが、僅かに口の端を上げた。
「了解した」
ブリザードは、懐から取り出した最後の一匹——小さな蜥蜴のような生き物へ、静かに手をかざした。
「出でよ、クライナー。世界を闇に染めろ‼」
黒い光が、その生き物を包み込む。瞬く間に巨大化し、背に黒い翼を生やしたそれは、軋むような唸り声を上げながら、姿を変えていった。
『クライナー』
三体目の声が、荒野に響いた。
「な……⁉ うっそぉ……まだ、出てくるの……‼」
スターサラマンダーが、思わず声を上げた。
「もう、片付けたと、思ってたのに……‼」
背後から迫る、新たな敵の気配。スターサラマンダーの意識が再び、そちらへと引き寄せられる。目の焦点が正面から背後へ、無意識のうちに逸れていく。




