第九十五話 出でよ、クライナー、世界を闇に染めろ‼
火の精霊の祠が見えてきたところで、馬車は、街道から外れた岩陰に停められた。
「ここからは、歩きだ」
アレクシアが、言った。六人は馬車を降り、荷物を最小限にまとめると、岩場を進み始めた。
乾いた風が、頬を撫でていく。空気には、微かに焦げたような匂いが混じっていた。熱を含んだ大気が、行く手の岩肌を揺らめかせている。
「祠に近づく前に、済ませておくことがあります」
ストームが、不意に足を止めた。
「まずこの場所を、新たな拠点として登録します。……北の城との行き来が、以降いつでも可能になります」
ストームは目を閉じると、少しの間意識を集中させた。やがてその気配が、周囲に馴染むように溶け込んでいく。
「……登録、完了しました」
「うむ。……これで、いつでも城に戻れる、というわけじゃな」
リデルの言葉に、ストームは頷いた。
「はい。それから、クライナーの元となる魔物を、事前に確保しておきます。……スターサラマンダーに、気づかれないように」
その言葉にリデルが、不思議そうに首を傾げた。
「事前に、じゃと? どういうことじゃ」
「夜明け前に私は、この周辺を一人で調べておきました」
ストームは抑揚のない声で、淡々と続けた。
「祠から少し離れた岩場に、三匹の魔物を確保しています。……スターサラマンダーに勘付かれぬよう、風を纏わせて気配を隠しておきました」
「……いつの間に、そんなことを」
アレクシアが、はっと目を見開いた。
「……ちなみに、いつ寝ておるんじゃ、お主は」
リデルが、少し呆れたように聞いた。
「睡眠は、ほとんど必要ありません。僅かな時間眠れば、それで足ります」
「……そうか」
リデルはそれ以上、何も聞かなかった。
「今回の作戦には、必要な準備でした。……開戦と同時に、私とサンダーで、まず二匹をクライナーへと変え、投入します。残る一匹はブリザード、あなたが後ほど使ってください」
「私が、後から?」
ブリザードが、僅かに眉を上げた。
「はい。……タイミングは、追ってお伝えします」
「……なるほどね。理解したよ」
ブリザードはそれ以上、深く問い返さなかった。
「クライナーを、三体……。それはまた随分と、思い切ったことをするのぅ」
「はい。……理由は、後ほど説明します。まずは、位置につきましょう」
六人はそれぞれ散開し、岩陰に身を潜めながら、祠へと近づいていった。
やがて、視界が開ける。荒れ果てた岩場の中央、ひときわ大きな岩の上に、赤みがかったピンク色の髪をなびかせた少女が、静かに佇んでいた。
「……来たね」
スターサラマンダーが、こちらを振り向いた。その表情に、驚いた様子はなかった。
「六人がかり、か。……面白い」
スターサラマンダーは、不敵に笑った。
「じゃあ、あたしも、遠慮なく行かせてもらうよ」
「では早速、始めさせていただきます」
ストームが、静かにそう言うと、腕を大きく振りかぶった。
「出でよ、クライナー。世界を闇に染めろ‼」
同時に、サンダーも、拳を構えた。
「出でよ、クライナー。世界を闇に染めろ‼」
荒野に、その言葉が低く響いた。ルティナが、一瞬、目を細めた。だが、感傷に浸っている余裕はなかった。すでに手の中で、魔力が、静かに渦を巻き始めていた。
二筋の黒い光が、それぞれ、離れた岩陰へと放たれた。
一体目——鋭い角を持つ、山羊に似た獣は、ダークエナジーに全身を侵されていく。四肢は骨ごと軋みながら伸び、毛並みは色を失い、角は黒鉄色の刃のように鋭く変貌した。喉から漏れる鳴き声が、次第に、金属を擦り合わせるような響きへと変わっていく。
二体目——痩せた野犬だったものは、皮膚の下から黒い棘が幾つも突き出し、全身を覆っていった。牙は倍近くに伸び、赤黒く濁った眼が爛々と光を放つ。
『クライナー』
『クライナー』
二体の声が、同時に、荒野に響いた。サンダーは、二体が完全に変貌したのを確認すると、無言で岩陰へと身を引いた。その双眸は、静かに、戦況全体を見据えていた。
「な……⁉」
スターサラマンダーが初めて、表情を強張らせた。
「クライナーが二体、同時に……⁉ 嘘……冗談やめてよ! 五人揃ってても、一体倒すの苦労するのに」
その驚愕の隙を、逃さなかった。
「今です‼」
ストームの合図と共に、アレクシアとブリザードが、地を蹴った。
「絶対防御‼」
「氷の盾、重ねて」
アレクシアの展開した光の壁に、ブリザードの氷の盾が重なる。二重の防御を纏った二人が、スターサラマンダーへと真っ直ぐに突撃していく。
「くっ……‼ まとめて、相手してあげるよ‼」
スターサラマンダーが、両の拳に炎を纏わせ、迎え撃つ構えを取った。
だがその視界の端で、二体のクライナーが、既に牙と角を剥いて、彼女の背後から迫っていた。
「……っ! まずはそっちから、片付けないと」
スターサラマンダーの意識が、一瞬、二体のクライナーへと逸れた。
その隙を、アレクシアとブリザードの二重防御が、正面から捉えた。
「はぁあああっ‼」
アレクシアの剣が、光の刃となって、スターサラマンダーの炎の拳と、真正面から激突した。そこへ、ブリザードの氷の盾が重なり、炎をさらに圧し返す。轟音と共に、白い蒸気が周囲に噴き上がった。
「くっ……‼」
スターサラマンダーが、後方へたたらを踏む。岩陰では、リデルが腰を低く落とし、鋭い眼で戦況の全体を追っていた。だがその隙も、束の間だった。
「ぐるるるるっ……‼」
背後から迫っていた、山羊型のクライナーが、黒鉄色の角を振りかざし、突進してきた。
「面倒な……‼」
スターサラマンダーは舌打ちすると、身を翻し、迫るクライナーへと拳を叩き込んだ。
「シャイニングフレイム‼」
拳から放たれた炎が、山羊型のクライナーを直撃する。角に絡みつくように燃え広がる炎に、クライナーが苦悶の唸り声を上げた。




