第九十三話 リューベックに似た街と、九百三十億光年
日が傾き始めた頃、馬車は街道沿いの小さな街へと差し掛かった。
「そろそろ、休むとしよう」
御者を務めていたアレクシアが、手綱を緩めながら言った。
「夜通し馬を走らせるのは、馬にも負担が大きい。……今夜はここで、宿を取ろう」
街の門をくぐると、車内の全員が、自然と窓の外へと視線を向けた。
石造りの城壁、その内側に広がる、こぢんまりとした街並み。中央に走る大通りには、露店がいくつも並び、夕暮れの光の中で、行き交う人々の声が賑やかに響いている。
「この感じ……。どこかで、見たことがある気がします」
ルティナがぽつりとつぶやいた。しかしそう思ったのは、ルティナだけではなかったらしい。
「あぁ……なんだか、懐かしい感じの街だ」
アレクシアが、窓の外を眺めながらうなずいた。
「うむ。……リューベックの街に、少し似ておるかもしれんな」
リデルも、同じことを感じていたようだった。
「あそこまで大きくはないが……この賑やかさというか、活気は似ている」
アレクシアが、馬車を宿の前に停めながらそう言った。
全員が馬車を降り、荷物を下ろす。ストームとブリザード、サンダーは、少し離れた場所で、辺りの様子を静かに窺っていた。
宿の主人に部屋を案内してもらい、荷物を置くと、リデルとアレクシア、ルティナの三人は、夕食までの間、街の広場に面したベンチに腰を下ろした。
夕暮れが近づくにつれ、広場の露店は少しずつ、灯りをともし始めていた。どこからか、肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
「……あの露店、リューベックにあった、果実酒の店に似ておらぬか」
リデルが、通りの一角を指差した。
「言われてみれば……。あの、店主の呼び込みの声の調子まで、似ている気がする」
アレクシアが、小さく笑った。
「今頃、リューベックの街は、どうなっているでしょうか」
ルティナがふと、そう漏らした。
「ブルーム公は、相変わらず、酒に付き合ってくれる者を探しておられるでしょうか」
「あぁ。それなら、容易に想像がつくのぅ。我が父アルブリー王の用心棒の、ガルダとヘンリルも酒好きじゃ。よく父上と飲み会をしておったわ」
リデルが、懐かしそうに目を細めた。
「アルブリー王とブルーム公、随分と気が合っておられましたね」
ルティナが、微笑んだ。
「アルブリー王が国に帰られても、ガルダさんとヘンリルさんがいるなら、あの街も安心です」
「コレット副隊長も、今頃、忙しくしているだろう。ブルーム公の領主の仕事を手伝うと言っていたな。……となると、世界を救い隊本部が心配だ。ヴィクター隊長は、書類仕事が苦手だから、机の上に書類の山ができていなければ良いのだが」
アレクシアが、遠い目をしながら言った。
「……我も書類仕事は、得意ではないのぅ」
リデルが、ぽつりと呟いた。アレクシアとルティナは、顔を見合わせた。
「ハンマーなら、どんな相手にも向かっていけるのじゃが……あの、細かい文字の並んだ書類というのは。どうも、針に糸を通すより難しく感じる」
「……知っていました」
「私もな」
アレクシアとルティナが、ほぼ同時に言った。
「そ、そうか……」
リデルが、少し神妙な顔をした。
「サランセルゴ共和国の騎士団の方々や、ヴィンラント連合の魔導部隊も、街の守りを固めてくださっているでしょう」
ルティナが、話を戻した。
三人はしばらくの間、リューベックの街の人々の顔を、代わる代わる思い浮かべていた。
「……ふと思ったのですが」
ルティナが、静かに口を開いた。
「私たちが留守にしている間、あの街を守ってくれているのは、あの方々です。……サンダーやブリザードのような、圧倒的な力は持っていません。それでもあの街は、これまでずっと、持ちこたえてきました」
「うむ。人の想いというのは、時に力を超える。……そういうものかもしれぬな」
リデルが、頷いた。
その会話を少し離れた場所から、ストームが黙って聞いていた。感情を表に出すことはなかったが、その視線はしばらくの間、三人から離れなかった。
(あの街は、それほど大切だったのですか……)
誰にも気づかれないまま、その事実だけがストームの中に、刻み込まれていった。
しばらくして、隣に立っていたブリザードが、静かに声をかけた。
「……何を、聞いていたんだい?」
「別に、何も」
「そう?」
ブリザードは、それ以上何も聞かなかった。ただほんの少しだけ、口元に笑みが浮かんでいた。
***
夕食は、宿の食堂でとることになった。
運ばれてきたのは、野菜と豆のシチュー、黒パン、そして塩漬けの肉だった。見た目はごく素朴だったが、湯気の立ちこめる香りには、旅の疲れを解くような温かみがあった。
六人がテーブルを囲む。普段ならもう一人、騒がしく席に着く人間がいるはずだった。ルティナが一瞬だけ、隣の空席に目をやってから、静かにスプーンを手に取った。
「そういえば三幹部のみなさんは、宇宙人だったのですよね? シドーさんから聞きました。普段、どんなものを食べているのですか?」
ルティナが、ふと聞いた。
「我々の食事は、もう少し……効率的なものです」
ストームが、静かに答えた。
「一錠で、一日分のエネルギーを摂取できるものが、主流でした」
「……一錠?」
アレクシアが、思わず聞き返した。それから、少し遠い目をしながら続けた。
「……シドーから宇宙人の話を聞いた時は、あの小さな星の上に、器用に家を建てて住んでいるものかと思っていたが」
「我も、小人じゃと思ったぞ……」
リデルが、筋骨隆々のサンダーをちらりと見てから、付け加えた。
「……ずいぶんと、イメージが違った」
三人が揃って、テーブルを挟んで向かいに座る三人をじっと見た。
「……小人ではありません」
ストームが、静かに言った。
サンダーは、黙ってシチューを一口すくった。
「……では、宇宙というのは、実際、どのくらいの広さなのですか?」
ルティナが、恐る恐る聞いた。
「観測可能な宇宙の直径は、約九百三十億光年です。一光年とは、光が一年間で進む距離であり、秒速約三十万キロメートルの光が、三百六十五日間、移動し続けた距離に相当します」
三人が、揃って黙り込んだ。
「……もう、何から突っ込めばいいのか分からぬ……」
リデルが、げんなりした表情で呟いた。
「シドーに聞いた時と、まったく同じ気持ちじゃ……」
「説明が、足らなかったでしょうか。続けましょうか?」
「……い、いえ、大丈夫です」
ルティナが、慌てて首を振った。
「……十分だ」
アレクシアも、短く言った。
「まぁ、私たちのいた星には、こういう食事はあまりないんだよ」
ブリザードが、どこか楽しそうに言った。
「香りがあって、温度があって、食感がある。……なかなか、興味深いね」
「わしは、食えるなら何でも構わん」
サンダーが、ぶっきらぼうにそう言いながら、黒パンをちぎって口に放り込んだ。
「……この街に来る前も、串焼き肉を三十本ほど、食べていましたね」
ストームが指摘した。
「何の話だ」
「街の入り口の露店で、立ったまま、一人で、です」
「……食えるなら食う。それだけのことだ」
ブリザードが、口元に笑みを浮かべながら口を挟んだ。
「どの星に行っても、どんな食べ物でも、大体食べるよね、サンダーは。雑食で羨ましいよ、本当に。私は、美しくないものは食べないけどね」
「うるさい」
サンダーが、ぶっきらぼうに繰り返した。
「シドーさんがいたらきっと、この料理が何かに似ていると言い出して、向こうの世界の話を始めるのでしょうね」
ルティナがふと、そう口にした。
「だろうな。……あいつがいると、大抵、話が思いもよらない方向に転がる」
アレクシアが、小さく笑った。
「シドーがおらぬと、やっぱり寂しいのぅ」
リデルが、ぽつりと呟いた。
「あぁ。……あいつがいると、いつも何かしら、突飛なことを言い出すからな」
「妙な小説の知識を披露して、話が脱線することも多いですが……。それも含めて、賑やかでした」
三人は、それぞれ小さく笑った。
「明日には、精霊サラマンダーの祠に着く。……気を、引き締めねばな」
アレクシアの言葉に、二人は静かに頷いた。




