第八十九話 待つしかあるまい——それが、今できること
「シドー‼ シドーはどこじゃ‼」
リデルの声だった。声は思いのほか近く、扉の向こうから、痛みを堪えるような掠れが混じって聞こえた。四堂悠太は思わず、木剣を握る手に力を込めた。
ブリザードが窓の外を一瞥し、静かに口を開いた。
「……戻ってきたようだね。少し、早いかな」
「様子を見てくる」
サンダーが、そう言って部屋を出ていった。四堂悠太は木剣を持ったまま、その後をついていくかどうか、迷った。
「……行かなくていいのかい」
ブリザードの問いに、四堂悠太は小さく首を振った。
「今、みんなの顔を見たら……。また、何て言えばいいか、分からなくなりそうで」
「そうか」
ブリザードは、それ以上何も言わなかった。ただ、四堂悠太の握りしめた木剣に、一瞬だけ視線を落としてから、窓の外へと目を戻した。
***
城の広間では、リデル、アレクシア、ルティナ、そしてストームが、揃って戻っていた。全員、満身創痍だった。リデルの獣耳は左側だけ大きく毛が乱れ、アレクシアの鎧には風の刃で削られたような無数の傷が刻まれている。ルティナの杖は先端が欠け、ストームの纏う漆黒のドレスも、裾のあちこちが焼け焦げていた。それでも誰一人、その痛みを言葉にはしなかった。
広間の隅では、この城の使用人たちが、忙しく立ち働いていた。かつて石像と化していた者たちだ。リデルたちが魔法を解いて以来、彼らはこの城を取り戻した恩人として、四堂悠太たち一行を、何くれとなく歓迎してくれている。今も通りすがりの使用人が、深々と一礼してから広間を横切っていった。
誰も、五年前にこの城を蹂躙した張本人であるサンダーが、当然のようにその輪の中に混じっていることに、気づいた様子はなかった。石像にされていた当時の記憶は、あの日の混乱の中で途切れている。目の前の武人が、かつて自分たちを石に変えた本人だとは、思いも寄らないのだろう。
「……よく気づかれないものだね。まぁ、指摘する気もないけれど」
部屋の窓からその様子を眺めていたブリザードは、そっと呟いた。
サンダー自身も、それを気にした素振りは見せない。……あるいは、気づかれていないことを分かった上で、あえて何も言わずにいるだけなのかもしれなかった。
「無事、だったか……」
サンダーが、四人の様子を見て僅かに眉を寄せた。
「スターシルフとの戦闘、決着はつきませんでしたが……。連携での対処法は、確立できました」
ストームが、抑揚のない声でそう報告した。
「連携、だと?」
「はい。……アレクシアの防御で足を止め、リデルが足場を崩す。その隙に、私とルティナで、風を相殺する。……理論上、他の魔法少女にも、応用が利くはずです」
「ほう」
サンダーが、興味深そうに腕を組んだ。
「それで、シドーは」
アレクシアの声には、隠しきれない、案じる響きがあった。ブリザードが、静かに首を横に振った。
「まだ、迷いの中にいる。さっきまで、剣を握らせていたんだけどね」
「わしも、だいぶしごいてやったんだがなぁ……」
「サンダーのしごきに耐えたのか……シドーは。それは相当なことじゃ……。なのにまだ、立ち直っておらぬのか」
リデルが、耳を力なく垂らした。それからふと思い出したように、顔を上げた。
「そういえば……。ブリザードの言う『芸術』と、サンダーの言う『手荒く』とやら……。結局、両方同時に発動したのか?」
「さて、な」
サンダーが、素知らぬ顔で肩をすくめた。ブリザードも、笑みを浮かべたまま、答えをはぐらかした。
「さぁ、どうだったかな。……本人に、直接聞いてみたら?」
リデルは、余計に不安を煽られ、思わず立ち上がりかけた。
「ルティナ、我が直接——」
「……今は、そっとしておいた方が良いと思います」
ルティナが、そっとリデルの袖を引いた。
「……多分」
「その『多分』、もう何度聞いたか分からぬぞ……! ……ええい、シドーが無事なら、それで良いわ……!」
リデルは頭を抱えながら、渋々と腰を下ろした。芸術と手荒くの真相は、どうやら永遠に闇の中らしい。
「無理もありません」
ルティナが、改めて口を開いた。
「あれほど信じてきた相手に、裏切られたように感じているのですから。……簡単に立ち直れる方が、不自然です」
その言葉に、リデルもアレクシアも、何も返せなかった。しばらくの沈黙の後、サンダーが、ふと口を開いた。
「……案ずるな。あやつは、そう簡単に折れる男ではない。……わしが見た限りではな」
「サンダー……」
「わしらが、いくら急かしたところで、意味はない。あやつが、自分の足で立ち上がるのを、待つしかあるまい」
その言葉に、リデルはしばらく黙り込んでいた。それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……そうじゃな。我らが今すべきは、シドーを急かすことではない」
「リデル?」
「我らにできることを、我らでやろう。……シドーが戻ってきたとき、少しでも多く、力になれるように」
アレクシアも、頷いた。
「私も、同じ考えだ。……いつまでも、立ち止まってはいられない」
「では」
ストームが、静かに一歩前に出た。
「一つ、提案があります。……先ほどの連携、実は、私一人で発案したわけではありません」
「どういうことだ?」
「あなた方の戦い方を、間近で見て、着想を得ました。……ならばこの連携に、ブリザードとサンダーも、加わるべきではないかと」
ストームの視線が、ブリザードとサンダーに向いた。
「サンダー、ブリザード。……次は、あなた方も、共に戦っていただけませんか」
「わしが、か?」
サンダーが、僅かに片眉を上げた。
「はい。……六人での連携が組めれば、勝算は、格段に上がります」
ブリザードはしばらく何かを考えるように、目を細めていた。
「……面白い提案だね。だけど」
ブリザードの視線がちらりと、四堂悠太のいる方角へと向いた。
「あれが一人になるってことだけど、良いのかな?」
「それこそが、必要なことなのかもしれません」
ルティナが、静かに言葉を継いだ。
「今のシドーさんには、誰かに気を遣われるより、一人で、じっくり自分と向き合う時間が、要るのだと思います。……私たちがいくらそばにいても、答えは出ないでしょうから」
その言葉に、サンダーが小さく笑った。
「……なるほどな。エルフの娘は、頭が回る」
「決まりですね」
ストームが、静かに頷いた。
「ですが、その前に」
ストームの視線が、四人の傷だらけの姿へと向いた。
「ルティナ、治癒魔法は……」
「少し休んだので、魔力が戻ってきました。今なら皆さん全員の傷を癒すことができます」
そう言ってルティナは、順番に治癒魔法をかけていった。
「ルティナの魔力も、まだ完全ではないじゃろう。全回復までは要らぬぞ」
リデルが、労うように言った。
「城の者に、治癒魔法の使い手がいないか、聞いてみるか?」
アレクシアの提案に、ストームは少し考えてから首を振った。
「いえ。……傷は深いですが、命に関わるものはありません。無理に治癒魔法を探すより、今夜はこのまま休み、体力の回復を待つ方が良いかと思います」
「そうじゃな。眠れば、大抵のことは何とかなる」
リデルが頷いた。
「わしも、賛成だ。無理をして動く方が、後々こたえる」
サンダーが、腕を組みながら言った。六人はその夜、城でゆっくりと休息をとることにした。翌朝、全員が顔を揃えたなら、次は六人で動く——その予感だけを胸に、それぞれ眠りについた。




