第七十九話 黒い城の住人たち、そして祠に現れた少女
北の城へと続く道のりは、思っていたよりも険しかった。切り立った岩肌が続き、時折、氷混じりの風が吹きつける。
「この辺りから、傾斜がきつくなる。気を付けて進もう」
アレクシアが、平然とした足取りで進んでいく。四堂悠太は既に、息が上がり始めていた。
(一日休んだくらいじゃ、筋肉痛、全然抜けてない……)
異世界に転生してから、幾つもの理不尽を経験してきたが、今、四堂悠太を最も苦しめているのは、魔王軍でも、石化の呪いでもなく、地味な筋肉痛だった。
(アレクシアなんて、昨日もこの道、僕と一緒に往復してるんだよな……。なのに、なんであんなに平然としてるんだ……)
思えばこの山道を歩くのは、四堂悠太にとって、二日連続だった。昨日アレクシアと一緒に、道がきちんと通れるか調査を行ったばかりだった。
「……アレクシア、疲れてない? 昨日も、同じ道、歩いたのに」
四堂悠太が息も絶え絶えに尋ねると、アレクシアは不思議そうな顔で振り返った。
「疲れる? この程度で?」
「この程度って……」
「昔、騎士団の訓練では、これの三倍の距離を全力疾走した後、更に模擬戦をこなすのが、日課だった。……この程度の山道なら、むしろ、準備運動にもならん」
(準備運動……。僕にとっては、ガチ本番の二周目なんだけど……)
「シドー、遅れておるぞ」
前を歩くリデルが、振り返りもせずに、そう声をかけてきた。獣人族の身体能力は、山道程度ものともしていないらしい。険しい岩場を、まるで平地を歩くかのように、軽々と進んでいく。
「シドーさん、大丈夫ですか?」
ルティナだけが心配そうに、こちらを気にかけてくれた。だがその足取りも、四堂悠太より、遥かに安定していた。
「だ、大丈夫……。ちょっと、休憩……」
四堂悠太は、岩に手をついて、荒い息を整えた。
(世界最強パーティに、体力面でだけは、絶対に敵わない……。無属性魔法があっても、こういうところで、格の違いを見せつけられるとは)
「情けないのう、シドー」
リデルが少し引き返してきて、呆れたように言った。
「僕にも、得意分野はあるから……。ただそれが、山登りじゃないだけで……」
「なら、何が得意なんだ」
「えっと……。かっこいい魔法陣を書くこととか、かっこいい魔法の打ち方を考えることとか……」
そういえばここへ来る前、一人鏡の前に立って、かっこいい魔法の打ち方を何度も練習していた。小説を書くときの参考にしようと思ってやってたことだけど、今まさにそれを活かせる場面だと、四堂悠太は気づいた。
(無属性魔法を撃つとき、何でやってこなかったんだ……‼ いつもピンチになって、慌ててタイトルを叫ぶだけで精一杯だった。……よし、次はちゃんと、かっこよく撃ってみよう)
「それ、どこで役に立つのじゃ?」
「戦いに勝つか負けるかだけじゃなく、かっこいい戦い方も大事だ……と僕は思う」
(……って、これ完全にブリザードと同じこと言ってる‼ 僕、魔王軍幹部と美意識が合致してるってこと⁉)
自分で自分に驚いて、四堂悠太は思わず口を噤んだ。
「訳の分からんことを言う奴じゃな」
リデルから疑わしげな目で見られたが、まさか「魔王軍幹部と気が合いそうで恥ずかしい」とは、口が裂けても言えなかった。
「まぁ、良い。無理に急ぐと、余計に体力を消耗するぞ。少し、ペースを落とそう」
アレクシアがそう提案してくれたことに、四堂悠太は心の底から感謝した。
(アレクシア……。優しさなのか、それとも、単に僕が足手まといだからなのか……。まぁ……どっちでもいい、ありがたい)
一行は、多少ペースを落としながらも、着実に山道を登り続けた。四堂悠太だけがその道のりを、人一倍長く感じていた。
「見えてきましたね」
ルティナが、前方を指差した。霧の向こうに、黒く塗り替えられた城が、静かにその威容を現していた。かつては白亜であったという面影は、もはや、どこにも残っていない。
「……重苦しい城じゃな」
リデルが、僅かに身を強張らせた。
「気配が、あまりよくありません。……用心してください」
アレクシアが剣の柄に手をかけながら、先頭を歩いていく。四人は慎重に、城門をくぐった。
***
城内は、静まり返っていた。長い廊下、埃をかぶった調度品。かつて、誰かがここで暮らしていた気配だけが、色褪せた形で残っている。
「シドー、あそこじゃ」
リデルが、廊下の奥を指差した。そこには、灰色に変わり果てた人々の姿が、いくつも並んでいた。城の使用人だったのだろう、当時の服装のまま時を止めている。
「石化された人たちだ……」
四堂悠太は、懐からサンダーに託された結晶を取り出した。
「これで、元に戻せる」
一人ずつ丁寧に、石化を解いていく。淡い光が廊下に広がるたびに、黒色だった肌に、色が戻っていった。
「……あ……わたくしは……」
最初に目を覚ましたのは、年配の女性だった。かつて、この城の家政を取り仕切っていたのだろう、その所作には、どこか品があった。
「大丈夫ですか?」
四堂悠太が声をかけると、女性は辺りを見回し、それから震える声で言った。
「あぁ……。この城は、確か、魔王軍に……」
「大丈夫です。もう、危険はありません」
ルティナが、静かにそう告げた。女性はしばらく混乱した様子を見せていたが、やがて少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
「……皆様はこの城を、助けに来てくださったのですか」
「はい。石化された方々を、元に戻して回っています。……一つ、伺いたいことがあります。あなたが石にされる直前、何か気になることは、ありませんでしたか」
女性は記憶を辿るように、目を閉じた。
「……そういえば」
「はい」
「城の裏手に、古い祠があるのです。……風の精霊様に、魔法の契約をお願いする、由緒ある場所です。地形の険しさと、手強い魔物のために、あの祠を訪れる者はほとんどいません。ですが、祠の周囲に貴重な薬草が生えているので、時折城主様の命で採りに行っておりました。険しい山道には手強い魔物も現れますので、いつも数名の冒険者を伴っての採取です。
石にされる少し前、いつものように薬草を採りに向かった、その日のことです。祠の近くで、怪しい人影を見ました。驚いてよく見てみると、年若い娘でした。初めはエルフかと思ったのです。エルフなら、幼い見た目でも実年齢がいっていることはよくありますから」
「なるほど」
ルティナが、静かに相槌を打った。
「ですが目を凝らしてみると、人間の娘でした。彼女は険しい岩から岩を、驚くような身のこなしで跳んでいくのです。一緒にいた冒険者の方たちが驚愕して、人間の動きじゃない、もしかすると魔物が人に化けているのかもしれないと言っていました。若い娘がたった一人でこんな場所に来ることが、そもそもあり得ないことですので、私たちは震え上がり、すぐに山を下りました。その数日後でした……魔王軍の襲撃を受けたのは……」
女性は、そこで言葉に詰まった。石化される直前の記憶は、何か恐ろしいことを思い出したのだろう。
(幼い少女が一人でそんな場所に。確かにそれは変だ……)
魔物が人間に化けたのでは、と不安になるのも分かる気がした。
「ありがとうございます。……十分な情報です。すみません、嫌なことを思い出させてしまいました」
ルティナは丁寧に礼を告げると、女性から離れた。その表情を見るに、四堂悠太と恐らく同じ考えが浮かんでいるようだった。
「……幼い少女が一人で険しい山道を。確かにおかしいですね」
「うむ、魔物の化けたものでなかったなら、一体誰なのじゃ。魔王軍の新手か?」
リデルが、腕を組みながら考え込んだ。アレクシアも、静かに頷く。
「分からないな。……その少女が一体何の目的で、精霊の祠をうろついていたのか。まさかそんな危ない場所に一人で、精霊と契約をしに来た訳もないだろうし」
「えぇ、シルフとの契約なら私も随分昔に来ました。今日通ってきたのと同じかそれ以上に、険しい山道だったと記憶しています。確かに手強い魔物も生息していたかと……。それに、険しい岩から岩を、驚くような身のこなしで跳んでいく——魔法使いの動きではないですね。リデルさんのような、体力や筋力を鍛えるため武者修行に来た少女だったら、話は別ですけど」
「ほう。……我の武者修行が、良いお手本になっておるとは、光栄なことじゃな」
「冗談ですよ、リデルさん」
「分かっておる。……じゃが、悪くない話じゃった」
リデルはまんざらでもない様子で、腕を組み直した。
「その娘、きっと我と同じ武闘派じゃな。はっ……もしや我に憧れて、密かに岩場修行に励んでおったのか。……よし、いつかこの祠を訪れる機会があれば、我が直々に稽古をつけてやろう」
「リデルさん、その子はまだ会ったこともない相手ですよ」
「構わぬ。憧れの先輩から稽古をつけられるとなれば、あちらも喜ぶじゃろう」
「先輩というか、面識すらないんですけど……」
「うむ。初対面でも、志を共にする者同士。すぐに打ち解けるものよ」
ルティナは額を押さえながら、小さく息を吐いた。ルティナが軽い冗談のつもりで言ったことを、リデルは途中から本気になって考え出したようだ。
「……いつものことだけど、リデルは妄想で突っ走って僕たちを置いていくよね」
四堂悠太が、苦笑いを浮かべながら呟いた。
「……ともかく、全く理解できない話ですが、他に手掛かりはありません。その祠に、私たちも向かうべきです」
ルティナの言葉に、全員が頷いた。
四堂悠太は他の人々の石化も、次々と解いていった。城内には次第に、安堵の声が満ちていく。
***
城内の人々の対応を一通り終えた後、四人は改めて城全体を見渡した。
「結局……ダークキングの姿は、どこにもなかったですね」
ルティナが、ぽつりとつぶやいた。玉座の間も、地下の牢獄も、幾つもの見張り塔も、隅々まで探索したが、それらしき気配はどこにも見当たらなかった。三幹部の姿さえ、どこにもない。
「……もぬけの殻、ということでしょうか」
ルティナが、辺りを見回しながら呟いた。
「私たちがいつ来るか、向こうにも分からなかったはずだ。……ただ城でじっと待つより、自分たちから攻撃を仕掛けようと考え、どこかで入れ違いになったのかもしれない。実際これまでもそうやって、奴らの襲撃を受け続けてきた」
アレクシアの推測に、リデルも頷いた。
「うむ。大人しく待っておるだけの連中ではないからのぅ」
城の静けさが、かえって四堂悠太の胸に小さな不安を残した。
「ダークキングがおらぬのは、予測していた通り、というべきじゃな……」
「はい。……であればなおさら、この手掛かりを頼るしかありません」
四人は、城の裏手へと向かった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
ブクマ登録や評価まで頂いて、本当に嬉しいです。物語がいよいよ動き出すところに差し掛かり、正直、少し筆が重くなっていたのですが、今日皆さんの反応を見て、頑張って書こうという気持ちがまた湧いてきました。
一人でも多くの方に、この先の展開を見届けていただけたら嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いします。




