第七十五話 五年前の地図、そして二人で往く理由
サンダーとの戦いを終え、街に戻った四堂悠太たちは、翌日改めて領主の屋敷を訪ねていた。
「北の城へ向かう道について、もう少し詳しくお伺いしたいのですが」
ルティナがそう切り出すと、領主は少し困ったように眉を寄せた。
「先日もお話しした通り、あの城には五年前から私を含め、誰も近寄っておりません。……正直なところ、道の様子については、私も詳しくは知らないのです」
「どなたか、実際に行かれた方をご存知ではありませんか。ほんの少しの手がかりでも構いません」
「そうですな……」
領主はしばらく考え込んでから、静かに口を開いた。
「あの城が、まだ白亜であった頃には、我が街とも交流がありました。当時は、商人たちが頻繁に行き来していたものです。ですが城が黒く染まって以来、誰もあの方角には近づこうとしません。……今、道がどうなっているのかは、我々にも見当がつかないのです」
「五年間、誰も……」
四堂悠太は、思わず呟いた。
(つまり、地図があったとしても、それは五年前のものでしかない、ってことか……)
「城下の者たちに聞けば、あるいは、当時を知る者が見つかるかもしれません。私からも、声をかけておきましょう」
「ありがとうございます」
ルティナが、丁寧に頭を下げた。
***
「ヴィクター隊長からもらった地図に書いてあるのは、石化したままの村二つまで。エルフの隠里は、故郷ですので道を知っていましたが、北の山の城へ行く道は……分かりません。街の人たちに聞いてみましょう」
その後四堂悠太たちは、手分けをして街の人々に聞き込みを続けた。だが返ってくる反応は、どれも似たようなものだった。
「北の城のことかい? 五年前から、誰も近づいてないよ。城にいた人たちが、忽然と姿を消したんだろ? 恐ろしくて近寄りたくもないよ」
「領主様だって、あの方角には見向きもなさらない。俺たちにはどうすることもできないんだ。でもまさか……自分たちも魔王軍に襲われるなんてな」
「わしらを助けてくれたことは感謝するが、悪いことは言わない。これ以上あんたたちも、首を突っ込まない方がいい」
街の人々の口から語られるのは、恐怖と、それに伴う沈黙だった。かつて白亜の城として栄えていたその場所は、黒く塗り替えられて以来、地図の上からも、人々の記憶からも、意図的に切り離されているようだった。
誰に聞いても、返ってくる答えは同じ。四堂悠太はそのことに、小さな不安を覚えた。
***
聞き込みを続けてようやく手がかりを得たのは、日が傾き始めた頃だった。領主が声をかけてくれていた通り、中年の男性が、四堂悠太たちのもとを訪ねてきたのだ。
「北の城の道なら……昔、一度だけ行ったことがある」
そう名乗り出たのは、若い頃、商人として各地を渡り歩いていたという、中年男性だった。
「五年以上前だ。まだ、あの城が白かった頃の話だがね。当時の地図なら、描いてやれる」
中年男性はそう言うと、机に広げた紙に、震える手で道筋を描き始めた。
「元々の道は、ここをまっすぐだ。半日……そうだな大体、四~五時間もあれば着く」
「でも、その道は……」
「あぁ。途中に、大きな谷を渡る橋がある。魔王軍が現れてから、そこが落とされたって噂を聞いた。本当かどうかは、わしも確かめちゃいないが」
彼は地図の上に、二本の別の線を描き加えた。
「橋が駄目なら、迂回するしかない。道は、二つある」
「Ⓐルートと、Ⓑルート……ですか」
ルティナが地図を覗き込みながら、確認するように呟いた。
「こっちの道は、山を越える。険しいが、距離自体は近い。元の道と、そう変わらん時間で着けるはずだ」
中年男性は、もう一本の線を指でなぞった。
「もう一つは、平坦だが、遠回りだ。かかる時間は倍近く……九時間ってところか」
「五年前の地図……ということは」
四堂悠太は地図を見つめながら、慎重に言葉を選んだ。
「その山越えのルートも、平坦なルートも、今も無事に使えるかどうかは分からない、ってことですよね」
「そういうことだ」
彼は、残念そうな顔で頷いた。
「わしが知ってるのは、あくまで五年前の話だ。今、その道がどうなってるかまでは、保証できん。……すまんな、これくらいしか力になれなくて」
「いえ、十分です。ありがとうございます」
ルティナが、丁寧に頭を下げた。
***
その夜、宿の一室に集まった四人は、卓上に広げた地図を囲んでいた。
「元の道は、橋が落ちている以上使えぬ。となると、ⒶルートかⒷルートか、二択じゃな」
リデルが、腕を組みながら言った。
「Ⓐルートは山を越えねばならんが、時間は元の道と大差ない。Ⓑルートは平坦だが、倍近くかかる」
「単純に考えれば、Ⓐルートの方が早く着けます。……ですが」
ルティナが、少し表情を曇らせた。
「もし、実際に進んでみて道が塞がれていたら……」
「引き返して、もう一方を試すしかない、ということじゃな」
「はい。その場合、往復の時間がそのまま無駄になります。しかも、道中の魔物との戦闘も、その分増えることになります」
ルティナの言葉に、四堂悠太は思わず唸った。
(確かに……。当てずっぽうで進んで、駄目だったら引き返すっていうのは、結構なロスになりそうだ)
「提案があります」
ルティナが、切り出した。
「もう一日だけ、この街に留まりませんか。今日話を聞けたのは、街の方々の、ごく一部です。まだ聞いていない人の中に、もっと新しい情報を持っている方がいるかもしれません」
「時間をかけて、精度の高い情報を集めてから動く、ということじゃな」
「はい。急いては事を仕損じる、と言いますし……」
ルティナの提案に、リデルが頷きかけたとき、それまで黙って地図を見つめていたアレクシアが静かに口を開いた。
「私も、提案がある」
全員の視線が、アレクシアに集まった。
「私が明日、一人でⒶルートを見てくる。片道四、五時間程度だと言うなら、朝出れば、夕方までには戻れるはずだ」
「アレクシア……」
「山越えの道なら、身軽な方が動きやすい。荷物も最小限で構わない。……もし途中で道が塞がっていれば、無理はせず、すぐに引き返す」
アレクシアの声には、迷いがなかった。
「それなら、僕も行くよ」
四堂悠太が、すぐに口を挟んだ。アレクシアは、それに対して僅かに眉を寄せた。
「……いや、いい。私一人で十分だ」
「でも、一人で行くのは……」
「シドー。悪いが、お前が一緒だと、かえって足手まといになる」
アレクシアの言葉は、素っ気なかった。だがその口調には、突き放すような冷たさではなく、どこか焦りに似た響きが滲んでいた。
「道中、魔物に絡まれることもあるだろう。その時私一人なら、すぐに片付けられる。だがお前を守りながらでは、身動きが取りづらい。……身軽に動ける方が、確実だ」
(アレクシア……また、一人で抱え込もうとしてる……)
四堂悠太にはそれが、単なる合理的な判断だけではないことが、何となく分かった。
「アレクシア、それでも、僕は行くよ」
「シドー……」
「もし、道中で魔王軍と鉢合わせたら。アレクシア一人じゃ、多分、切り抜けられない」
「……舐めるな。私の絶対防御があれば、防いで逃げることくらいは……」
「うん、それならできるかもしれない。でも三幹部が、逃げることを許してくれるかは、分からない。そうなったら、倒すしかない」
アレクシアは、何かを言い返そうとして、けれど言葉を呑み込んだ。それは彼女自身、痛いほど分かっていることだった。
「その場合……ルティナかリデルが一緒に来ても、同じだと思う」
「同じ、とは?」
「前にウルフを狩ったときを思い出してよ。並の魔物になら、三人の力で十分対処できる。でも、魔王軍の幹部やクライナー相手だと、話が変わる」
その言葉にアレクシアは、はっとしたように目を見開いた。
「僕の無属性魔法だけが、あいつらに対抗できる、唯一の手段なんだ。……だから、もし道中で魔王軍に出くわしたときのことを考えるなら、誰が一緒に行くかじゃなくて、僕が一緒に行くかどうかが、一番大事なんだと思う」
アレクシアは、しばらくの間押し黙っていた。反論しようにも、その理屈には、彼女自身頷かざるを得なかった。
「……分かった。理屈は、認める」
それでもまだ何か言いたげに、視線を彷徨わせている。四堂悠太は、そんな彼女に向かって言葉を続けた。
「一人で全部背負おうとしなくていいって、前にも言ったと思うんだけどな」
その一言にアレクシアは、はっとしたように目を見開いた。
しばらくの沈黙の後アレクシアは、小さく息を吐いた。
「……好きにしろ」
それだけ言うと、アレクシアは視線を逸らした。だがその横顔には、拒絶ではなく、どこか決まり悪さのようなものが浮かんでいた。
「そうですねぇ。この街に一日留まって情報収集したとして、有益な情報が得られるかどうか分かりませんし、ルートの偵察班と情報収集班に分けるのもありでしょう。そうすると、いざというときに治癒魔法が使える私とシドーさんで、偵察に行くのが良いと思いますが、アレクシアさんとリデルさんに情報収集を任せたら……途中で目的を忘れて、買い物と賭博で一日が終わってしまうかもしれません。情報収集班には、私が入らなくてはなりません。では、こうしましょう」
リデルとアレクシアが、ぴたりと同時に視線を逸らした。図星を突かれた気まずさからか、二人とも珍しく素直に押し黙っている。
(否定しないのか……)
四堂悠太は、内心そう突っ込まずにはいられなかった。 二人のやり取りを見守っていたルティナが、話をまとめた。
「明日、アレクシアさんとシドーさんは、Ⓐルートの偵察を。いざというときのために、薬草を持っていってくださいね。私とリデルさんは引き続き、この街で情報収集をしましょう」
「う、うむ……それがいいじゃろう。我らはまだ聞けていない者たちから、話を集めるとしよう」
「分かった。……アレクシア、明日、よろしくね」
「……あぁ」
アレクシアは短くそう答えると、それ以上何も言わず、地図に視線を落とした。だがその目には、先ほどまでとは違う、静かな決意が宿っているように見えた。




