第七十四話 無能と呼ばれた少年——僕は、僕のままで
「大丈夫か、リデル」
四堂悠太が駆け寄ると、リデルは体を起こしながら、少し照れくさそうに笑った。
「情けない姿を見せたのぅ……。だが、不思議と悔いはない。久しぶりに、心の底から戦いを楽しめた気がする」
「うん。……リデルが楽しそうにしてるの見て、僕も嬉しかったよ」
リデルは、体のあちこちを確かめるように、ゆっくりと立ち上がった。脇腹を押さえながらも、その表情にはこれまでにない晴れやかさがあった。
「ふむ……。まだ痛むが、動けぬほどではないな」
「無理しないでね。ルティナに、後で診てもらった方がいいよ」
「分かっておる。……じゃが今は、この心地よい疲れを、少し味わっていたい気分じゃ」
リデルはそう言って、空を見上げた。目を細めるその横顔は、どこか満ち足りて見えた。
少し離れた場所で、追いついてきたルティナとアレクシアが、二人の様子を見て安堵の息をついていた。
「リデルさん、ご無事で何よりです。……とはいえ、後できちんと治癒魔法をかけさせてもらいますからね」
「うぅ……分かっておる」
「それと、次に無茶な約束を取り付ける前は、一言ご相談くださいね。今回は結果的に上手くいきましたが……」
「そ、それとこれとは、話が別じゃ‼」
「無茶な戦い方だったな、リデル。だが……」
アレクシアは、そこで、ふっと口元を緩めた。
「悪くない顔をしている。負けたというのに……な」
「アレクシアにまで言われるとは。……まぁ、否定はせぬがな」
リデルは決まり悪そうにしながらも、満更でもなさそうだった。
そんな和やかなやり取りの少し先で、ゼンがまた元の様子に戻って、おどおどと佇んでいた。先ほどまでの、迷いのない拳を放っていた姿とはまるで別人のように、所在なさげに、その場に立ち尽くしている。
「……先ほどまでの覇気は、一体どこへ行ったのじゃ?」
リデルが、感心と呆れの入り混じった声で言った。ゼンは、ますます身を縮めた。
「あ、あの……僕、役に立てましたか……?」
「うん、すごく助かった。……ありがとう、ゼン」
四堂悠太が礼を言うと、ゼンは驚いたように目を丸くした。それから、はにかむように笑った。
「よ、よかった……。僕なんかが、本当に役に立てるのか、ずっと不安で……」
「不安だったのに、あんなに強く戦えたの?」
「はい。……不安なのは、今も変わりません。でも」
ゼンは、自分の手のひらをじっと見つめた。
「創造主さんが呼んでくれた時、頼ってくれたのが、嬉しかったんです。役立たずだって、ずっと自分で思ってたから……。だからあの瞬間だけは、頑張れる気がしました」
その言葉に四堂悠太は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「そういえばゼンさんは、技名を叫ばれなかったのですね」
ふと気になったのか、ルティナが小首を傾げた。
「以前の柚月さんは、確か『壱ノ太刀、斬釘截鉄!』と、仰っていましたし……、勇者のニックさんは、『光よ、我が剣に集え——ブレイブ・エンド・ブレード‼』と仰っていました。安倍晴明さんは、『急急如律令——退魔一閃、黄泉返しの太刀』と仰っていましたね。不知火徹さんのときは、珍しくシドーさんが『——蒸気よ、刃となれ‼』と叫んでいました」
ルティナが、これまで召喚したキャラの必殺技名を、丁寧にまとめて教えてくれた。
(まとめて聞くと、凄まじい破壊力の連続だ……。ルティナ、そんなどうでもいい記憶、速やかに脳内から消去して欲しい……)
「あ……。僕、そういうの、思いつかなくて……。叫んだ方が、良かったですか……?」
ゼンが、しゅんとした様子で聞き返した。
「い、いえ、そういう訳では……。そう言えばヘレナさんも、『もう、苦しまなくて良いのですよ。逝きなさい』としか仰っていなかったので、大丈夫かと思います」
「うん‼ そういうの、なくていいから。そんなことより——ゼン、あのさ」
「はい?」
「今日だけじゃなくて……ゼンは、ずっと役に立ってくれてたよ。書いてる間、ずっとゼンのこと考えてた。頑張れって、応援しながら書いてた。それって僕にとっては、もう十分、意味のあることだったんだ」
ゼンはしばらくの間、言葉を失っていた。それから少し照れくさそうに、頬をかいた。
「あの……僕、無能設定だったのに、あんな戦い方して、大丈夫だったでしょうか……。矛盾してませんか……?」
「あー……。まぁ、細かいことは気にしないで」
(突っ込みどころが、思わぬところに残っていた……)
「シドーの創る者たちは、大体そんなものじゃぞ。……前の柚月とやらも確か、剣で斬った心地が、豆腐みたいだとか言っておったな」
リデルがしみじみと言った。地味に古傷を抉られた気がして、四堂悠太は乾いた笑いを浮かべた。
それからゼンの目に、じわりと涙の色が滲んだ。
「……そう、言ってもらえるなんて、思ってませんでした」
声が、少し震えていた。
「僕、こういうとき、いつも言いたい言葉があるんです。……創造主さんが書いてくれた、僕の台詞なんですけど」
ゼンは少しの間、視線を彷徨わせてから、まっすぐに四堂悠太を見つめた。その体がうっすらと、輪郭を失い始めていることに四堂悠太は気づいた。
「ゼン、その体……」
「あ……そろそろ、元の世界に帰らなきゃならないみたいですね」
ゼンは自分の手を、光にかざすようにして見つめた。焦る様子はなかった。むしろ、どこか穏やかな表情だった。
「あの……最後に、一つだけ言わせてください」
ゼンは少しはにかむように、視線を彷徨わせた。
「僕ずっと誰かと比べて、自分なんて……って思ってました。無能だって、ずっと。でも創造主さんは、そんな僕のこともちゃんと見ててくれた。だから……」
言葉を探すように、少し間を置いてから、ゼンは、まっすぐに四堂悠太を見つめた。
「誰かと比べなくて、いいんだと思います。……僕は、僕のままで、良かったんだって。今は、そう思えるので」
そこで少しだけ照れくさそうに、頬をかいた。
「えっと……こんなこと言うの、らしくないと思うんですけど……でも、どうしてもこれだけは伝えておきたくて」
その言葉が静かに、けれど深く、四堂悠太の胸に染み込んでいった。
(……これ、当時の自分だ)
七年間、比べられ続けてきた。新人賞の選評で、他の作品と、他の書き手と。いつも「もっと」を求められてきた。あの頃の自分が、一番欲しかった言葉が、今、ゼンの口から語られている。
そこまで考えて四堂悠太は、はっと息を呑んだ。
言い方は違う。でも伝えたいことは、同じだ。
『誰かと比べなくていいよ。あなたは、あなたのままで、ちゃんと素敵なんだから』
(……エレメントが、いつも言ってくれてたことと、同じだ)
東雲柚月、ヘレナ、不知火徹——これまで召喚してきた誰もが、別れ際に、無意識のうちに、スターエレメントの言葉を語っていた。今度は、ゼンの番だったのだと、四堂悠太は、今更のように気づかされた。
(僕は、自分でも気づかないうちに、スターエレメントの言葉を、ずっとキャラクターたちに託していたんだな……)
「ありがとう、ゼン。……その言葉、忘れないよ」
四堂悠太がそう答えると、ゼンはこれまでで一番、柔らかい笑顔を見せた。
「僕も、忘れません。……創造主さんが、僕を、僕のままで、必要としてくれたこと」
輪郭は既に、ほとんど透き通っていた。それでもゼンは最後まで、まっすぐに四堂悠太を見つめ続けていた。
「また、いつか」
短くそう言い残すと、ゼンの体は光の粒子となって、静かに空へと溶けていった。伸ばされていた右手だけが、まるで、まだ何かを掴もうとするかのように、最後の瞬間まで、静かに空を切っていた。
四堂悠太はその光の粒子が、夕暮れの空に消えていくのを、しばらくの間黙って見上げていた。
「シドーさん」
ルティナが、そっと隣に並んだ。
「またお一人、送り出したのですね」
「うん……。でも不思議と、寂しいだけじゃないんだ」
四堂悠太は手の中の結晶を、そっと握りしめた。ずっしりとした重みが、掌に伝わってくる。
「サンダーが胸の奥に抱えてた迷いも、ゼンが背負ってきた劣等感も……全部、少しずつ、進むための力に変わっていくんだな……って。そんな気がするんだ」
ルティナはその言葉に微笑んだ。
「良い変化ですね。……シドーさんが創った者たちは、皆あなたの元で少しずつ、報われているように見えます」
「そうだと、嬉しいけど」
リデルとアレクシアも、いつの間にか、二人の傍に来ていた。
「シドー、行くぞ。北の城まで、まだしばらくかかる」
「うん、そうだね」
夕暮れの光が、山道を橙色に染めていた。四堂悠太は握りしめた結晶を、もう一度大切そうに胸元にしまった。
「みんな、行こう。……この結晶、絶対にあの城の人たちのところまで届けよう」
その声に三人が、それぞれ頷いた。
***
北の城へ向かう前に、四堂悠太たちは、まず眠りについたままの街へと立ち寄った。大通りにはあの賑わいが嘘のように、誰一人として動く者がいない。倒れたまま眠り続ける住人たちの姿に、四堂悠太は胸が締め付けられる思いがした。
「ゼンが残してくれた夢見るドキドキハート、ここで使わせてもらおう」
「えぇ。……サンダーがくれた分は、城の方々のために取っておきましょう」
ルティナが頷くと、四堂悠太は懐から、ゼンが遺した結晶を取り出した。手のひらの上で淡い光を放つそれを、そっと空へとかざす。夢見るドキドキハートが、光の粒子となって、街全体へと広がっていく。
「う……ん……」
最初に声を上げたのは、通りの端で眠っていた老婆だった。それを皮切りに、街のあちこちで、次々と人々が目を覚まし始めた。
「あれ……俺、何して……」
「お母さん、大丈夫⁉」
戸惑いながらも、次第に活気を取り戻していく街の様子を見て、四堂悠太はようやく肩の力を抜いた。
(みんな、無事だ……)
「シドー殿、これは一体……」
目を覚ました住人の一人が、駆け寄ってくる。四堂悠太は、事情を手短に説明すると、深々と頭を下げられた。
「これで、街の皆は大丈夫そうだね」
「えぇ。……ゼンさんが遺してくれたもののお陰です。彼の頑張りはこうして、ちゃんと誰かを救っているんですね」
ルティナの言葉に、四堂悠太は頷いた。手の中には、まだサンダーから託された結晶の重みが残っている。
「よし……。それじゃあ、改めて、北の城へ向かおう。この夢見るドキドキハートを、待っている人たちのところまで、ちゃんと届けよう」




