第六十九話 ワラビーが落ちた夜、命の重さを知る
宿屋でお茶を飲んでいたリデルは、鞄の中に入れていた魔道具が光ったことに気づいた。焦って席を立った拍子に、棚に飾っておいたワラビーの置物が床に落ちる。嫌な予感を感じつつ、ヴィクター隊長からの餞別である魔道具を取り出すと、それは確かに、初めて光を放っていた。
同じ部屋に泊まっているアレクシアは、食後しばらくして既に部屋を出ていた。リデルは急いで隣の四堂悠太の部屋の戸を叩いたが、何度ノックしても、声をかけても返事がない。開けてみると、四堂悠太の姿もそこにはなかった。
動転したままノックをするのも忘れて、リデルはさらにその隣のルティナの部屋に駆け込んだ。
「ルティナ、大変じゃ‼ ヴィクターがくれた魔道具が光っておる」
リデルに言われ、自分の魔道具を確かめたルティナも、思わず腰を抜かしそうになった。
「これは……アレクシアさんかシドーさん、もしくは両方が危険な目に遭っているということです‼」
「今確認したが、二人とも部屋におらぬ。すぐ助けに行くぞ、ルティナ」
「えぇ。でも……」
ルティナは手の中で光っている魔道具を見た。手のひらにすっぽり収まるサイズの魔道具から放たれる光は、遠くまでは見えない。窓の外を見てみたが、真っ暗な中に光はどこにも見えなかった。
「案ずるな。我の目なら、どんなに遠くても見える。着いてくるのじゃ‼」
***
「あそこじゃ‼」
闇の中、リデルの声が響いた。夜目の利く彼女には、遠く離れた場所からでも、その微かな光が、はっきりと見えていた。
二人が駆けつけたとき、目に飛び込んできたのは、言葉を失うほどの光景だった。血だまりの中、四堂悠太がぴくりとも動かずに倒れている。その顔は、月明かりの下でも分かるほど、血の気を失っていた。すぐ傍らにはアレクシアが、自らの傷も構わず、四堂悠太に寄り添うようにして膝をついている。
「シドー、アレクシア‼」
「私には、何も見えませんでしたが……リデルさんが、急に走り出して」
「夜は、我の得意分野じゃ‼ ……それより、この惨状は⁉」
「シドー……⁉」
リデルの声が、掠れた。反射的に駆け寄ろうとした足が、一瞬、竦んで止まる。
「息は……⁉ 息はしておるのか……⁉」
「分かりません、でも——‼」
ルティナも、いつもの落ち着きをかなぐり捨てて、震える声で叫んだ。二人にとって、四堂悠太が動かなくなる姿を見るのは、初めてのことだった。これまで、幾多の危機を乗り越えてきた。でも目の前の光景は、これまでのどの戦いとも違う、生々しい死の気配を纏っていた。
「大変です、すぐに治癒魔法を……‼」
ルティナが、震える手で杖をかざした。焦りのせいか、いつもよりも詠唱が長い。まばゆい光が、四堂悠太とアレクシアを、同時に包み込む。傷口が、みるみるうちに塞がっていった。
「……あ」
四堂悠太が、小さく声を漏らして、目を開けた。
「シドー……‼ 良かった、目を覚ましてくれた……‼」
アレクシアが思わず、四堂悠太の体を抱きしめた。
「うっ……アレクシア、痛……」
「あ……す、すまん」
慌てて、アレクシアが体を離す。だがその頬は、うっすらと赤く染まっていた。
「無事で……本当に、良かった」
その声には、いつもの凛とした調子とは違う、隠しきれない安堵と、もう一つ別の何かが滲んでいた。
「アレクシアこそ、大丈夫? 結構深く刺されてたと思うけど……」
「あぁ、ルティナのお陰で、もうすっかり治った。……それより」
アレクシアは少しの間、言葉を探すように黙り込んだ。
「シドー、ありがとう。お前が、諦めるなと言ってくれたお陰で……私は、また立ち上がることができた」
「……うん」
四堂悠太は少し照れくさくなって、頭を掻いた。
「アレクシアが、自分の手で、ちゃんと敵を倒せたんだね。……あの時のことも、これで少しは、乗り越えられたんじゃないかな」
アレクシアは、しばらくの間、四堂悠太を見つめていた。その目には、これまで見たことのない、柔らかな光が宿っていた。
(ノアが守ってくれた命を、今度は、私が守る番だと思っていた。……でも)
脇腹の傷はもう塞がっていたが、その場所に確かな熱が、まだ残っているような気がした。
(この命は、あいつも諦めなかった命だ。……私一人だけの、覚悟ではないのかもしれない)
リデルは少し離れた場所で、まだ胸を押さえていた。
「……本当に、肝が冷えたぞ。臆病なワラビーが、無茶をしおって……」
いつもの快活さが、すっかり鳴りを潜めていた。
「シドーが、あのまま動かなくなったらと思うと……我は、我は……」
言葉を、うまく続けられないようだった。ルティナも、いつになく静かな声で続けた。
「私も、治癒魔法をかけながら、正直、生きた心地がしませんでした。……間に合って、本当に良かったです」
その言葉には、いつもの飄々とした調子はなく、心の底からの安堵だけがあった。
「……この世界に、死者を呼び戻す魔法は、存在しません」
ルティナは、静かに、そう付け加えた。
「治癒魔法は、傷を治すことしかできない。命の灯が消えてしまえば、私にも、どうすることもできないのです。……ですから、シドーさん。どうか、あまり無茶をなさらないでください」
その声には、いつもの穏やかな微笑みの奥に、確かな重みが込められていた。四堂悠太は二人の様子を見て、改めて、自分がどれほど危険な状態だったのかを実感した。
「アレクシアさんも、大丈夫ですか?」
ルティナに声をかけられて、アレクシアは、はっと我に返った。
「あ……あぁ、大丈夫だ。何でもない」
そう答えながらも、アレクシアの視線は、無意識のうちに、四堂悠太の横顔へと向いていた。その胸の奥で、これまで感じたことのない、不思議な鼓動が、静かに響いていた。
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