第六十八話 あの日と同じ恐怖、違う結末
夕食を終え夜も更けた頃、四堂悠太とアレクシアはいつものように、街の見回りに出かけた。リューベックの街を出て以来、旅先でもこうして二人で見回りをするのが、恒例になっていた。
「今夜は、静かだな」
アレクシアが月明かりの下、周囲に目を配りながら言った。
「うん。……大きい街だから、もっと物騒かと思ったけど」
「油断は禁物だ。大きい街ほど、隠れる場所も多い」
そう言った、まさにその時だった。
「た、助けてくれ……」
路地の奥から、しわがれた声が聞こえた。見ると、地面に座り込んだ老人が、こちらに向かって、震える手を伸ばしている。
「大丈夫か、立てるか? 肩を貸そう」
アレクシアが、迷わず駆け寄った。四堂悠太も、後を追う。
「あぁ、あぁ……足を挫いてしもうて……」
老人は、痛みに顔を歪めながら、アレクシアの手を掴もうとした。アレクシアが、その手を取ろうと、身を屈めた——瞬間だった。
「——っ⁉」
老人の姿が、一瞬で豹変した。折れ曲がっていたはずの背が、しゃんと伸びる。皺だらけだった顔が、意地の悪い笑みに歪んだ。その手にはいつの間にか、短剣が握られていた。
「かかったな‼」
短剣がアレクシアの脇腹に、深々と突き刺さった。
「がっ……‼」
アレクシアの体が、大きく傾いだ。手にした剣を辛うじて構えようとするが、力が入らない。老人——いや、賊はゆっくりと立ち上がった。足の痛みなど、最初から芝居だったのだと、今更ながら悟る。
「アレクシア‼」
四堂悠太は咄嗟に、アレクシアと賊の間に、体を割り込ませた。同時にポケットに入れておいた魔道具を、無我夢中で握る。指先がそのくぼみを、強く押し込んでいた。
「シドー、下がっ——」
アレクシアの叫びは、間に合わなかった。賊の短剣が四堂悠太の腹に、深く突き刺さる。
「……っ」
声にならない痛みが、全身を駆け巡った。視界が、急速に歪んでいく。四堂悠太は、そのまま地面に倒れ込んだ。
「シドー……⁉ シドー‼」
アレクシアは、思わず叫んでいた。
(……あぁ)
朦朧とする意識の中で、アレクシアは目の前の光景に、既視感を覚えていた。
同期の騎士見習い、ノア。彼もこうして自分を庇って、剣を受けた。そして、二度と目を開けなかった。
(また……また、同じことが……)
恐怖が、体の芯まで凍りつかせる。頭では分かっていた。今すぐ剣を構え、賊に立ち向かわなければならないと。だが足が、根を張ったように動かない。あの日と、全く同じだった。
「終わりだ」
賊が、地に倒れた四堂悠太に向かって、ゆっくりと歩み寄る。
「や……やめろ……」
アレクシアの口から出たのは、か細くて力のない言葉だった。脇腹の傷が、燃えるように熱い。それ以上に心がすくんで、悲鳴をあげていた。腕に力が入らない、何もできない。
「やめるんだ……頼む……」
剣を握る手が、小刻みに震えている。動かなければと分かっているのに、体が言うことを聞かない。賊が四堂悠太にとどめを刺そうと、短剣を振り上げた——その時だった。
「——今だ‼」
地面に倒れていたはずの四堂悠太が、突然、上半身を起こした。右手には、いつの間にか掴んでいた、地面の砂。それを賊の顔面めがけて、思い切りぶちまけた。
「うぁぁぁあっ‼ 目がっ……! 目がぁぁぁあああ……‼」
賊が、目を押さえてのたうち回る。四堂悠太は荒い息をつきながら、震える声で叫んだ。
「アレクシア……‼ まだ、戦いは終わってない……‼ 諦めちゃ、だめだ……‼」
その声がアレクシアの中で、凍りついていた何かを、静かに溶かした。
(……そうだ)
あの日ノアは、最後まで戦うことなく逝ってしまった。だが今目の前の少年は、大怪我を負ってなお、諦めていない。最後の力を振り絞って、抵抗を続けている。
(私は……私は、また、諦めていいのか?)
答えは、すぐに出た。
「うおおおおおおおぉぉぉ‼」
アレクシアは、脇腹の激痛を押し殺し、剣を構え直した。目を押さえたまま暴れる賊へ、一直線に踏み込む。
「これで……終わりだ‼」
鋭い一閃が、賊を斬り伏せた。短い呻き声を上げて、その場に崩れ落ちた。
静寂が、戻ってきた。アレクシアは荒い息のまま、その場に膝をついた。全身から力が抜けていく。だが、心のどこかに、今まで感じたことのない感覚があった。
(動けた。私は今——自分の……自分の手で、倒せた)
あの日と同じ状況。あの日と同じ恐怖。それでも今、目の前で起きたのは、あの日とは全く違う結末だった。
「シドー……‼」
アレクシアは、倒れたままの四堂悠太に、駆け寄った。腹から流れる血が、地面を赤く染めている。意識は、既に朦朧としているようだった。
「しっかりしろ、シドー……‼ 頼む、目を開けてくれ……‼」
その時、四堂悠太のズボンのポケットで、微かな光が瞬いた。以前ヴィクターから渡された、あの魔道具だった。アレクシアが刺されたときに、咄嗟に四堂悠太が押していたものだった。




