第六十七話 ワラビーを片時も離さず
夕刻になって、街に着いてすぐとっておいた宿屋に戻ると、リデルとアレクシアも、既に戻っていた。
「シドー、ルティナ、遅かったのう!」
リデルが、両手いっぱいの紙包みを抱えて、満面の笑みで駆け寄ってきた。アレクシアはといえば、心なしか懐が寂しそうだったが、いつも通りの佇まいを保っている。
「情報収集を任せてしまい、申し訳なかったな」
「いえ、リデルさんとアレクシアさんも、それぞれ充実した時間を過ごせたようですね」
ルティナが、にこにこしながら二人を見比べた。
「うむ、大満足じゃ! それになシドー、聞いてくれ。実は今日、良いものを見つけたのじゃ」
夕食の席に着いてからリデルは、興奮した様子で紙包みを一つ、四堂悠太の前に差し出した。
「開けてみよ」
言われるままに包みを開けると、中から出てきたのは、小さな動物の置物だった。灰色がかった茶色い毛並みに、丸っこい体つき、そして特徴的な後ろ足。
「これ……ワラビーだ」
四堂悠太は、思わず声を上げた。まさかこの異世界で、ワラビーの置物に出会うとは思わなかった。
「ふふん、驚いたか。街の雑貨屋で見つけてな、シドーのことを思い出したのじゃ」
リデルは、得意げに胸を張った。
(ワラビーって……あ、そうか。前に、ペンネームの話をしたことがあったっけ)
四堂悠太は、記憶を辿った。いつだったか、何気ない雑談の中で、小説を書くときのペンネームが「ワラビー」だったという話を、リデルにしたことがある。ワナビ(作家志望者)に似ているオーストラリアの動物がいると知って、親近感からつけた——というだけの、本当にどうでもいい話だった。
(あんなどうでもいい話、リデル、ずっと覚えててくれたんだ……)
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「リデル、ありがとう。これ、大事にす——」
置物に手を伸ばそうとした瞬間、リデルが、素早くそれを引っ込めた。
「ち、違う。これは我のじゃ」
「え?」
「シドーのために買ってきたのは、こっちじゃ」
リデルはもう一つの紙包みを、もったいぶるようにゆっくりと差し出した。中から出てきたのは、たてがみを立派に蓄えた、ライオンの置物だった。
「え、でも、さっき……」
「さっきのは、我のじゃと言うたであろう。……お主が持っていく必要はない」
リデルはそう言って、ワラビーの置物を大事そうに両手で包み込んだ。
「知っておるか、シドー。ワラビーというのはな、敵に遭遇すると、固まって動けなくなってしまう、臆病な動物なんじゃと。……シドーにそっくりじゃな」
悪気の欠片もない声で、リデルはそう言うと、ワラビーをぎゅっと胸に抱きしめた。
(……否定できないの、地味に傷つくな。しかも、それを我がことのように大事に抱えられると、傷口に塩を塗られてる気分なんだけど)
この世界に来たばかりの頃、何もできずに、ただ守られているだけだった自分を思い出して、四堂悠太は微妙な顔をした。だが同時に、そのどうしようもない自分を象徴するような置物を、リデルが大事そうに抱きしめている光景に、なんだかじんわりと胸が温かくなるのも感じていた。
リデルはそれから、少しだけ視線を逸らして付け加えた。
「そのライオンは……何と言うか、ちと、我に似ておると思うてな。……お主のことを、守ってやれるようなものが良いと思うて、選んだのじゃ」
差し出されたライオンの置物を、四堂悠太はまじまじと見つめた。確かに堂々とした佇まいが、どこかリデルを思わせる。
「ありがとう、リデル。大事にするよ」
礼を言うとリデルは、少し照れくさそうに頬を緩めた。それから、自分の分のワラビーを、そっと胸に抱いた。
「……ふん。当然じゃ」
その仕草を、四堂悠太は特に気に留めなかった。だが、隣で黙って様子を見ていたルティナが、なぜか意味深に微笑んでいた。
「ルティナ、どうかした?」
四堂悠太が尋ねると、ルティナはいつもの穏やかな笑みのまま、小さく首を振った。
「いえ、何でもありません。……リデルさんは優しい方だな、と思っただけです」
その言い方が、何か含みを持っているような気がしたが、四堂悠太にはそれが何なのか、うまく掴めなかった。




