第六十六話 動物雑貨と賭博と、孤独の重さと——
翌朝、エルフの隠里で朝食を済ませた後も、四人はしばらく黙り込んだままだった。
「ヴィクターからの頼まれごと——石化された人たちを助けてやってくれ、という任務は果たせたな」
「うむ。じゃが結局ダークキングの居場所は聞き出せなんだし、これからどうするつもりじゃ、ルティナ」
「えぇ……。本当に困りましたねぇ、目的地を見失ってしまいました」
ルティナが、困ったように苦笑した。
その様子を見ていたエルフの長老が、静かに口を開いた。
「この村を出て北東にずっと進んでいったところに、この辺りでは一番大きな街がある。そこの領主は、わしの古い知り合いでな。なかなかの情報通じゃ。何か、手掛かりを知っておるやもしれん。訪ねてみるのも良いかもしれんぞ」
他に行く当てもない。四堂悠太たちは長老の紹介を頼りに、その街を目指すことにした。
***
長老に礼を言って隠里を発ち、半日ほど歩くと、目的の街が見えてきた。
エルフの隠里とは違い、確かにこの辺りで見た中では、一番大きな街だ。石造りの城壁は高く分厚く、物見の塔が等間隔に並んでいる。開け放たれた城門をくぐると、途端に喧騒が四堂悠太たちを包み込んだ。石畳の大通りには露店がひしめき、焼きたてのパンや香辛料の匂いが入り混じって漂ってくる。呼び込みの声、荷馬車の車輪が石畳を軋ませる音、子供たちの笑い声——これまで訪れた小さな村とは、明らかに音の密度が違った。
街道には行商人の荷馬車が何台も列をなし、様々な土地の言葉が飛び交っている。見上げれば、色とりどりの旗や布が軒先に掲げられ、風にはためいていた。しばらく小さな村や静かな隠里ばかりを巡ってきた四堂悠太にとって、その賑わいは、ほんの少し目眩がするほど鮮やかだった。
早速、長老の紹介状を持って領主の屋敷を訪ねたが、あいにく領主は留守にしていた。
「領主様は今ご不在で。明日の朝にはお戻りになられます。どうぞ、屋敷に泊まっていってください」
「では、明朝までに自分たちで情報収集をした後、また参ります」
執事のような身なりの男性が丁寧に勧めてくれたが、ルティナが丁重に断った。せっかく大きな街に来たのだから、旅に必要な食料や消耗品も買い足したいと言う。
街に着いたときから、アレクシアとリデルの様子がおかしいことに、四堂悠太は気づいていた。やたら街中をキョロキョロと見渡して、落ち着かない。魔王軍の情報を得ようとしているには、挙動不審だった。
「アレクシアとリデル、どうかしたの?」
四堂悠太が思い切って聞いてみると、二人は気づかれていないとでも思ったのか、びくりとした。
「こんな大きな街じゃからな……。どこかに我の目に叶う動物雑貨があるのでは……と思うてな」
「うむ。久し振りの大きな街だ。きっと賭博場もあるのだろうな。もう、リューベックの街を出てしばらく、賭博をしていない……」
リデルとアレクシアの手が、小刻みに震えていた。リデルは小さな声で、「動物雑貨屋さん、動物雑貨屋さん……」と繰り返し、アレクシアも小さな声で、「賭博場、賭博場……」とつぶやいている。
(禁断症状が出てる……。確かにリューベックの街を出て以来、小さな村にしか立ち寄っていない。そろそろ、サブスク能力に課金が必要になってきたってことか)
「分かりました。リデルさんとアレクシアさんは、好きなことをして過ごしてください。情報収集は、私とシドーさんでやっておきます」
「そ、そうか……すまん、ルティナ。この埋め合わせは必ず……」
「ルティナにも似合いの動物雑貨を見つけてきてやるからな!」
「それは要りませんから、夕刻までには宿屋に戻ってきてくださいね……」
ルティナが念を押している途中で、二人は街の中へ消えていった。
「では、シドーさん。街の人に聞いて回るのが一番確実です。明日の面会までに、少しでも手掛かりを集めておきましょう」
ルティナの提案で、四堂悠太とルティナは連れ立って街を歩き回ることにした。
***
市場で買い出しをしながら、それとなく話を振ってみる。最初のうちは、めぼしい情報は得られなかった。だが、香辛料を売る屋台の老婆に聞いたとき、思いがけない答えが返ってきた。
「この近辺で、魔王軍を見たことはないかって? 魔王軍があちこち破壊してるって話は聞くけど、この街に現れたことはないね」
「では、ここ数年で何か変わったことは、起きていませんか?」
「変わったことねぇ……。そういえば、北の山の向こうにある、真っ黒な薄気味悪い城なんだけど、確か五年くらい前までは真っ白なお城だったんじゃ」
老婆は、干した薬草を選り分けながら、懐かしそうに目を細めた。
「あの城は、わしが若い頃からずっと真っ白な、そりゃあ美しい城だったんだよ。遠くからでも、日の光を浴びて輝いて見えたもんさ。それが五年前——ちょうど、あの魔王とやらが世界を騒がせ始めた頃かねぇ。気付いたら、真っ黒に塗り替えられておってなぁ」
「白い城が……急に真っ黒に?」
四堂悠太は、思わず身を乗り出した。老婆は頷きながら、遠い目をした。
「最初見たときは、いたずらでもされたのかと思うたわい。それにしても、あんな大きな城を、一体誰が、何のために黒く塗り替えたものやら」
(それ、多分理由は分かってます……)
脳裏に、勝手に映像が浮かんだ。真っ白な城壁を前に、ローラーを手にした『漆黒の闇』幹部のサンダーが、力任せに塗料を叩きつけている。飛び散った黒い塗料が、周囲にまだら模様の跡を残していく。
『これでは美しくない……。もっと丁寧に、均一に塗らなくては!』
几帳面な様子で塗りムラを気にしているブリザードの姿も、勝手に思い浮かんだ。
『効率を考えれば、噴霧塗装の方が早いと思うのですが』
冷静にそう提案しているストームの声まで、脳内で再生される。だが二人とも聞いていない。サンダーは黙々とローラーを振り回し続け、ブリザードは細かい塗りムラに文句を言い続けている。
(三幹部、DIYで壁塗りしてる姿、想像以上にシュールだ……。ついでにあの三人、絵の具の分担とか、揉めそうだな。ブリザードは絶対「配色のバランスを考えろ」とか言い出すし)
思わず、ぷっと噴き出しそうになった。
「シドーさん、何をにやにやしているんですか」
ルティナが、不審そうな目で四堂悠太を見ている。
「あ、いや、何でもない……。それより、ありがとうございます、貴重なお話でした」
ルティナに怪訝な顔をされて、慌てて誤魔化した。老婆に丁寧に礼を言い、二人はその場を後にした。
「北の山の向こう、ですか。……この一言だけでも、大きな収穫ですね」
ルティナが、呟いた。
市場を後にして、次の当てもなく通りを歩きながら、四堂悠太はふと、さっきのエルフ老婆の言葉を思い出していた。「わしが若い頃から」という一言。何気ない言い回しだったが、妙に引っかかっている。
「そういえば、ルティナって、こういう街の移り変わりとか、ずっと見てきたのかな。エルフって、長生きなんだよね」
「えぇ、そうですね」
ルティナは、いつもの穏やかな笑みのまま、あっさりと答えた。だが、四堂悠太は、そこに一瞬、何かが翳るのを見た気がした。
「……具体的に、どのくらい生きてるのか、聞いてもいい?」
「さぁ、どうでしょう。数えるのをやめて、もうずいぶん経ちますから」
はぐらかすような口調だったが、突き放す響きではなかった。むしろ、慣れた冗談を言うような、力の抜けた声だった。
「長老様が、いつでも里に帰っておいでと仰っていましたよね。……あれ、私が長く里を離れているのを、心配してくださっているんです」
「うん。……ルティナは、帰らないの?」
「帰りたい気持ちが、ない訳ではありません。ですが……」
ルティナは、少しの間、言葉を選ぶように黙り込んだ。
「人間の方々や、リデルさんやアレクシアさんのように、時の流れが速い方々と過ごす時間は、私にとって、とても眩しく見えるんです。一つ一つの出来事が、その方々にとっては、きっと私が思うよりずっと重い。……だから、少しでも長く、そばにいたいと思ってしまうのでしょうね」
その声には、いつものからかうような響きがなかった。ただ静かに、本音だけがそこにあった。
「いつか私だけが、この世界に取り残される日が来るのでしょうけれど」
四堂悠太は、その一言に胸を突かれた。以前聞いたルティナの三年間の秘密が、頭をよぎる。汚れ役を全部一人で引き受け、コレットにもヴィクターにも打ち明けず、たった一人で抱え込んできたあの覚悟。
(……ルティナは、いつもそうだ。孤独になることを、自分で選んでる)
「ルティナ」
四堂悠太は、思い切って口を開いた。
「あのさ、前から思ってたんだけど。……ルティナは、汚れ役を全部一人で背負う必要、本当はないと思う」
「……何のお話ですか?」
ルティナは、少し驚いたように、こちらを見た。
「街の運営のことも、リデルとアレクシアのことも、影武者のことも。全部一人で決めて、一人で抱えて。……ルティナがそうしてきたのは、二人を守りたいからだって分かってる。でもそれって結局、ルティナ自身が一番孤独になる選び方じゃないかな」
しばらくの間、ルティナは何も言わなかった。市場の喧騒だけが、二人の間を通り過ぎていく。
「……シドーさんは、時々、鋭いことを仰いますね。えぇ、仰る通りです。いずれ孤独になることが分かっているから、それなら、最初から孤独で良いと思ってしまうのです」
やがてルティナは、小さく息をついて笑った。いつもの微笑みだったが、どこか力が抜けているように見えた。
「でも、大丈夫ですよ。好きでやっていることですから」
「うん、それは分かってる。でも、好きでやってることと、一人で抱え込まなきゃいけないことは、別だと思うんだ」
四堂悠太はなるべく真っ直ぐに、ルティナを見つめた。
「僕は、ルティナが何歳とか、あとどのくらい一緒にいられるとか、そういうのは分からない。……でも、少なくとも今、この旅の間くらいは、一人で背負わなくていいよ。僕でよければ、いつでも聞くから」
ルティナは、目を丸くして、しばらく四堂悠太を見つめていた。それからふっと、いつもとは違う、柔らかい笑みを浮かべた。
「……ふふ。創造主様は、ヘレナさんやニックさんだけでなく、こちら側にも、そうやって力を貸してくださるのですね」
「創造主とか言わなくていいから。ヘレナやニックには力を貸したんじゃなく、僕が貸してもらったんだけど……それより、ほんとに恥ずかしいから、勘弁してください」
「ふふ、失礼しました。……ありがとうございます、シドーさん。少しだけ、心が軽くなりました」
ルティナはそう言うと、いつもの調子で歩き出した。だがその足取りは心なしか、さっきより軽やかに見えた。




