第六十四話 充分、という言葉
四堂悠太は水を張ったような静けさの中、クライナーが消えた周辺で、光る石を探していた。
「これだ……」
草の間に転がっていた夢見るドキドキハートを拾い上げる。ひんやりとした感触が、手のひらに伝わった。
「ようやく、見つかりましたか」
声のした方を振り返ると、晴明が、少し離れた場所に立っていた。その輪郭が、心なしか、薄い。
「あ……晴明さん、体が……」
「ええ。そろそろ、潮時のようです」
晴明は、いつもと変わらない、抑揚のない声で言った。焦った様子も、名残惜しそうな素振りも、一切ない。
「もう戻っちゃうんだ……。あの、色々ありがとう。助かったよ」
「礼には及びません。私は、私にできることをしたまでです」
晴明は、それだけ言うと、静かに、石化した村の長老たちの方へと視線を向けた。
「その石で、彼らは元に戻るのですか」
「うん。これがあれば」
「……よかった」
短く、それだけ呟いた。表情は変わらないままだったが、四堂悠太には、その声に、確かな安堵が滲んでいるように聞こえた。
「あの、さ。最初に会ったとき、刀の設定のこと、突っ込んでくれたよね。あれ、正直、結構刺さったよ」
「事実を指摘したまでです。……ですが」
晴明は、そこで、僅かに間を置いた。
「あなたが、あの時、慌てながらも、ちゃんと理由を答えたことは、覚えています。誤魔化さず、向き合う姿勢は、悪くないかと」
「……そんな風に言われると、照れるな」
四堂悠太は、頭をかいた。晴明は、変わらぬ調子で、淡々と続けた。
「創造主殿。一つだけ、申し上げておきます」
「な、何?」
また設定の粗でも突かれるのかと、四堂悠太は身構えた。
「あなたの書いた物語には、いつも、誰かを見捨てない登場人物ばかりが出てきます。……不器用でも、迷っていても、最後には、目の前の誰かのために動く。私も、そうでした」
淡々とした口調のまま、晴明は、そう言った。
「それは、あなた自身が、そういう人間だから、そう書けたのだと思います。……根拠のない自信を持て、とは申しません。ただ、その事実だけは、覚えておいてください」
その体は、既に、輪郭の半分ほどが透け始めていた。
「では、これにて」
「あ、待って——」
四堂悠太が呼び止めようとした時には、晴明の姿は、既に、光の粒子となって、静かに空へと溶けていた。声も、気配も、何一つ残さず。
あまりにあっさりとした別れに、四堂悠太は、しばらく、言葉を失っていた。
(……最後まで、晴明さんらしかったな)
手のひらの中の夢見るドキドキハートを、そっと握りしめる。ふと、脳裏に、聞き覚えのある声が蘇った。
『昨日の自分より、ちょっとでも前に進めたなら、それだけで充分頑張ってるんだよ!』
(あ……)
四堂悠太は、思わず目を見開いた。
(充分——晴明さんが、いつも言ってた言葉と、同じだ……)
「もう、充分でしょう」——あの時、晴明が呟いた言葉。それは、他の誰でもない、スターエレメントの言葉と、同じ響きを持っていた。
(そうか……。晴明さんの中にも、スターエレメントがいたんだ……)
自分が創った物語の一つ一つに、無意識のうちにスターエレメントの言葉が、静かに宿っていたのだと、四堂悠太は今更のように気づかされていた。
***
「ルティナ、これ……」
四堂悠太は、手のひらの夢見るドキドキハートをルティナに見せた。
「一緒に、お願いできますか?」
ルティナはそう言って、四堂悠太の手にそっと自分の手を重ねた。二人で結晶を包み込むようにして、石と化した長老の前に立つ。
「戻ってきてください」
ルティナが、短くそう告げた。四堂悠太が結晶に力を込めると、淡い光が溢れ出し、長老の体を優しく包み込んでいった。黒色だった肌に、少しずつ血の色が戻っていく。
「……う……」
小さな呻き声とともに、長老の瞼がゆっくりと開いた。続けて、村の広場に並んでいた隠里の住人たちも、次々と同じように色を取り戻していく。
「わ、儂は……一体……」
「長老様、ご無事で何よりです」
ルティナが、いつもの調子で声をかけた。感情を表に出さない、いつもの彼女の言い方だった。だがその声には、僅かに震えが混じっている。
(あ……)
四堂悠太は、それに気づいた。ルティナの視線は、長老から他の住人たちへと、忙しく移っていた。一人一人が目を開け動き出すたびに、その口元がほんの少しだけ緩んでいる。
「……よかった」
誰に向けてでもなく、ルティナが小さく呟いた。いつもの抑えた声色ではなかった。もっと素直な、安堵そのものの声だった。
「ル、ルティナ……?」
「あ……いえ、何でもありません。全員の生存を確認できたので、安心しているだけです」
四堂悠太に気づかれたことに、ルティナは慌てて、いつもの淡々とした調子を取り戻そうとした。だが頬が、僅かに赤くなっているのは隠しきれていなかった。
(珍しいな……。ルティナがこんな風に、素直に喜ぶの)
その様子を四堂悠太は、少し微笑ましく見つめていた。
「勇者様たち、この度は、村を救っていただき、誠にありがとうございました」
長老が、深々と頭を下げた。
「お聞きになられたとは思いますが、リューベックの街に遣わした魔導部隊に、『いつでも帰っておいで』と、言伝を頼んでおったのです。まさかこんなに早く、ルティナと会えるとは思ってもおりませんでした」
エルフの長老はルティナを見て、嬉しそうに目を細めた。
(勇者じゃなくて、ただの元ワナビなんだけど……。まぁ、わざわざ訂正しなくてもいいか)
「しかし、よりによって、魔王軍の襲撃を受けるとは。……お力添えいただけたのは幸運でしたが、間の悪さには、いささか困りものですな」
長老は、苦笑いを浮かべながら続けた。周囲の住人たちも、それに倣うように、次々と頭を下げていく。
「せめてものお礼をしたいのですが、何か、ご希望はございますか」
長老の問いに、四堂悠太が答えるより先に、ルティナが一歩、前に出た。
「でしたら、一つ、伺いたいことがあります」
「何でしょうな」
「以前……長老様が、幼い私たちに、使い勝手が悪すぎて廃れてしまった魔法がある、というお話をされたことがありましたよね。その魔法について、教えていただくことは可能でしょうか」
四堂悠太はびっくりして、ルティナの横顔を見た。
(ちゃんと、覚えててくれたんだ……)
長老は少し驚いた様子で、目を瞬かせた。
「ほう……。あんな昔話、よく覚えていましたねぇ、ルティナ」
「少し、気になったものですから」
ルティナは、そっけなく答えたが、その口調には、以前のような「興味がない」という素っ気なさは、もうなかった。
「残念ながら、儂自身は、その魔法を習得しておりません。あまりに使い勝手が悪いと聞いていたもので、若い頃から、手を出そうとも思わなかったのです」
長老はそう言うと、少し困ったように、白い眉を寄せた。
「ですが……」
「ですが?」
「儂の書庫には、若い頃から集めてきた魔導書が、数万冊ほど眠っております。その中に、その魔法について記されたものが、あるいは残っているやもしれません」
「数万冊……‼」
四堂悠太は、思わず声を上げた。想像もつかない数だった。
「趣味が高じて、気づけば、そんな数になっておりましてな。恥ずかしながら、儂自身、すべてに目を通せてはおりません」
長老は照れくさそうに、白い髭を撫でた。
「そういえば、若い頃に集めた魔導書の中には、『無限の彼方より来たりし、時を超えし叡智の書、其の名は——』などという、それはそれは長ったらしい題の書物もありましたな。題の長さで挫折して、結局、最後まで読み通せなんだのですよ」
「……お、お察しします」
四堂悠太は、視線を逸らした。あまりにも、身に覚えのある話だった。
(そのタイトルの付け方、他人事とは思えない……)
ルティナが、何か言いたげな目で四堂悠太を見ていたが、あえて何も言わないでいてくれているようだった。
「ですが皆様には、命を救っていただいた恩があります。必ず、書庫を隅々まで探し、失われた魔法について記された書物を見つけ出しましょう。見つかり次第、必ず、ルティナに届けます」
「……ありがとうございます」
ルティナは、丁寧に頭を下げた。それから、四堂悠太の方をちらりと見た。
「以前シドーさんが、聞いてみてほしいと仰っていたので」
「え……」
「忘れていた訳では、ありませんよ」
ルティナはそう言うと、すぐに視線を逸らした。その耳が少しだけ、赤く染まっているのが見えた。
(この前は、興味ないって顔してたのに……。ちゃんと、覚えててくれたんだ)
四堂悠太は、込み上げてくるものを堪えるように、小さく笑った。
「楽しみだね。どんな魔法か」
「……過度な期待は、しない方がいいと思いますけど」
そう言いながらも、ルティナの声には、隠しきれない僅かな高揚が滲んでいた。
(そういえば……前に、絶対に長老様に会いに行こうって、約束したんだった……)
四堂悠太は、ふと、あの時の自分の言葉を思い出していた。「近いうちに絶対に行きます‼」と、ルティナが答えるより先に言ってしまった。しかもあの後、勝手に死亡フラグだ何だと、脳内で騒いでいた。
まさかこんな形で——村を救い、長老と対面するという約束が、思いがけず早く果たされることになるとは、想像もしていなかった。
(よし……。ちゃんと、生きて、約束、果たせた……‼)
誰に見せるでもなく、四堂悠太は、小さくガッツポーズをした。
「シドーさん、さっきから、一人で百面相してますけど……何かあったんですか?」
「あ、いや……何でもない。ただ、ちょっと、達成感があって」
「達成感……ですか?」
ルティナが、不思議そうに首を傾げた。四堂悠太は、曖昧に笑ってごまかすことしかできなかった。
(フラグ回避の話は……さすがに、言えないな……)




