第六十話 感傷は不要なデータです
「では、始めましょう。データを、いただきます」
戦いが始まった。ストームの動きは、無駄がなく、機械的なまでに正確だった。ルティナの魔法を、ことごとく見切り、最小限の動きでかわしていく。
「あなたの魔法、詠唱パターン、発動までの間、威力の傾向……すべて、記録しています」
「随分と、丁寧なことです」
「一挙一動が、貴重なデータです。曖昧な感覚や、勘に頼るのは、非効率的な戦い方です」
ルティナは、少し困ったように微笑んだ。
「私も、データを集めるのは好きですよ。大事なことだとも思います。……ですが」
杖を握る手に、力がこもる。
「データのみに頼りすぎ、それだけを見て判断していると、とんだ間違いを犯すことになりますよ。本当に見なければならないのは——データではなく、人そのものだと、私は思います」
その言葉に、ストームの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
(……今、私は、止まった……? 何故……)
「……興味深い意見ですが、感傷的すぎます」
ストームは、そう切り捨てながらも、内心では、その言葉が小さな棘のように刺さっているのを感じていた。
(データではなく、人そのものを見る、か。……非効率的な発想だ。だが——)
ストームは、ルティナの構える杖の先を、静かに見つめた。
(何故、私は今、この者の言葉の意味を、考えている? 不要な思考だ。今は、データの収集に集中すべき——)
ルティナは、風属性の十五階層の魔法を唱えた。
「風の精霊との誓約に従い、蒼穹より来たれ、全てを切り裂く天空の神風カムイ。大気は牙を剥き、記憶の残響に在りしテンペストブレイドは、不可視の斬撃となる。蒼天の疾風に導かれ、久遠の虚空にて運命の裁定を待て。シルバーウィンダムは静寂を。エンペラーイーグルは断罪を。終末ヴァルハラに帰結を。真空のレクイエムを聴きながら塵となれ」
ルティナが呪文を唱え終えた瞬間、耳の奥が、つんと痛んだ。
音が、消えたわけではなかった。むしろ逆だ。周囲のあらゆる音——虫の声も、木の葉の揺れる音も——何か巨大なものに吸い込まれるように、消えていく。四堂悠太自身、思わず呼吸を止めていたことに、遅れて気づいた。
「っ……!」
思わず足を踏ん張った、その時。
ルティナの杖の先、何もないはずの空間に、糸のように細い、無数の亀裂が走った。それは目に映る色を持たず、ただ、そこにあるべき景色が、僅かに欠けて見える——そんな異様な感覚だった。見えないのに、分かるという感覚。
次の瞬間、その「欠けた空間」が、一斉に弾けた。
爆音は、なかった。代わりに、耳を塞ぎたくなるほどの、甲高い破裂音のようなものが、四方八方から同時に押し寄せてくる。地面が抉れ、土埃が渦を巻いて舞い上がり、周囲の木々が、まるで見えない大鎌に薙ぎ払われたように、次々と幹の途中から吹き飛んでいった。直径一キロメートルはあろうかという範囲の大気そのものが、刃と化していた。
目を凝らしても、そこにあるのは、ただの「何もない空間」だった。それなのに、その何もなさが、これまで見たどんな魔法よりも、四堂悠太の背筋を凍らせた。
だが、ストームの姿は、その暴風の中心にはなかった。爆発の予兆——詠唱のわずかな間、杖の角度、魔力の圧の高まり方。そのすべてを読み切り、着弾の寸前、最小限の動きで、暴風の縁をすり抜けていたのだ。
(データ通りの、範囲と発生位置……。詠唱から着弾までの間隔も、既に記録済みです)
ストームは、乱れた髪を払いながら、平静な声で告げた。
「威力は、想定を上回りました。ですが、発動までの動作は、既に見切っています」
(既に見切ったと言いつつ……悔しい、と感じたのか、私は。何故だ。この程度の誤差、修正すればいいだけの話だ)
ストームは、その僅かな動揺を、自分自身でも訝しんだ。データの誤差に一喜一憂するなど、これまでの自分には、あり得なかったはずだった。
戦況は、動かない。ルティナの魔法は、この世界でも指折りの実力だったが、ストームには通用しない。だが、ストームもまた、決定打を欠いていた。
(勝てないと分かっていて、それでも退かない。……何故だ。データの上では、あり得ない選択のはずなのに)
その動揺が、隙になった。ストームが放った、これまで見せていなかった一手——予備動作の少ない、意表を突く一撃が、ルティナの防御を掠める。
「くっ……!」
ルティナが、体勢を崩した。
ルティナは、自らが語った言葉——データだけでは判断できない、ということを、身をもって思い知らされた形となった。
「……勝敗、決したようですね」
ストームが、静かに告げた。だが、その声には、いつもの淡々とした響きが、僅かに揺らいでいた。
(勝った……。データ通りの、当然の結果だ。それなのに、何故……この感覚は……)
勝利を収めたはずのストームの中に、説明のつかない何かが、小さく渦巻いていた。
(この者は、最後まで、目を逸らさなかった。勝機がないと知りながら。……それは、弱さか、それとも——)
結論の出ない問いが、ストームの思考の片隅に、小さく引っかかったまま、消えなかった。
だが、その戸惑いも、一瞬だった。ストームは、何かを振り払うように目を伏せると、静かに、村の方角へと視線を移した。
木々の合間から、村の広場に集う長老たちの姿が、微かに見えていた。
「感傷は、不要なデータです」
ストームは、静かに目を伏せた。ルティナの戦闘データは、既に十分に得た。あとは、当初からのもう一つの目的——この地で夢見る心を刈り取り、クライナーを生み出すことだけだった。
「……予定通り、進めましょう」




