第五十九話 見えない道と、懐かしい森の匂い——ルティナ、故郷へ
森の奥へ進むにつれて、ルティナの足取りが、心なしか早くなっていった。いつもは、周囲を警戒しながら、一定のペースを崩さない彼女が、今は少し前のめりに、迷いのない足取りで進んでいく。
「ルティナ、久しぶりの帰省だもんね」
「……そう見えますか?」
ルティナは、少し照れたように、いつもの微笑みに戻った。だが、木々の隙間から差し込む光を見上げる横顔は、どこか懐かしそうだった。
「この森の匂い、随分久しぶりです。……何年ぶりでしょうね」
道なき道を、ルティナの案内に従って進んでいく。地図にも載っていない獣道のような小道は、油断すると、すぐに見失ってしまいそうだった。
「この辺り、目印になるようなものが、何もないけど……」
「えぇ、意図的にそうしているんです。エルフの隠里は、里の外の者が偶然辿り着けないよう、道自体が分かりにくく作られています。……私のように、里の血を引く者にしか、正しい道が『見える』ようになっているんです」
「え、それって……」
「簡単に言えば、結界のようなものですね。私が先導しなければ、皆さんは、この森を何日彷徨っても、隠里には辿り着けなかったと思います」
(隠里っていうくらいだから、絶対何かあると思ってた……。前に僕も書いたことある、「よそ者には見えない村」ってやつだ)
「シドーさん、何を一人で頷いているんですか」
「あ、いや……ワナビ的にテンションが上がっただけです」
村へと続く山道を抜けると、木々の合間から、白木造りの家々が見えてきた。ルティナの故郷——エルフの隠里だった。
「ここが、ルティナの故郷……」
「はい。私が生まれ育った場所です」
ルティナが、珍しく、どこか懐かしそうな目で、村の入り口を見つめていた。木々に溶け込むように建てられた家々、澄んだ空気、遠くから聞こえる、水の流れる音。四堂悠太は、思わず息を呑んだ。
「わぁ……」
「村に入ったらまず……長老に、皆さんを紹介させてください」
「そういえば、この村、地図にも載ってなかったよね。よく見つけられたね」
「ここは、古い結界に守られています。エルフの血を引く者か、長老が認めた者でなければ、辿り着くことすらできません。……本来であれば」
ルティナが、先に立って歩き出そうとした、その時だった。
行く手を阻むように、一人の女性が立っていた。緑色の髪をお団子にまとめた、あの女——ストームだった。
「またお会いしましたね」
抑揚のない声だった。四堂悠太は、思わず身構えた。
「ストーム……。エルフの隠里を、一体どうやって見つけたのですか⁉」
ルティナが、驚きを隠せずに問いただすと、ストームは、感情の読めない目のまま、淡々と返した。
「意外そうですね。これで隠していたつもりだったのですか? 辿り着くのに、さほど手間はかかりませんでしたが」
「そんな……。この村は、結界に守られているはずです……」
ルティナが、掠れた声で呟いた。ストームは、その反応を興味深そうに一瞥すると、静かに続けた。
「結界とは、認識を歪める術式に過ぎません。この村を包んでいたのは、力を弾く結界ではなく、気配と存在を欺く、古い型の隠蔽術式です。ダークキング様より賜った権能は、こうした認識操作系の術式を看破し、無効化することに特化しています。ですから、破ること自体は、さほど困難ではありませんでした」
「……」
「もっとも——あなたがリューベックで張っていた結界は、話が別です。あれは、力そのものを弾く防御結界。サンダーの一撃を、真正面から消し去るほどの強度でした。ああした力任せの防御に対して、私の権能は、本来、決して万能ではありません」
ストームは、そう淡々と告げながらも、僅かに目を細めた。
「……力を、力で以て正面から相殺する。効率という点では、悪くはありませんが——それだけの魔力を、一つの街のために注ぎ込むとは。非合理的な、判断です。
まぁ、それはともかく——お仲間の戦いを観測するため、以前から、あなた方を追跡していました。あなた方の戦い、逐一とは言いませんが、把握しています。ブリザードとサンダーから、報告を受けましたので」
ストームは、感情の読めない目で、一人一人を見渡した。その視線が、やがてルティナの上で止まる。
「初めは、この世界の人間など、取るに足らないと判断していました。ですが、ブリザードいわく——弱いか強いかにばかり拘っていると、見えないものがある、と。……その言葉の意味は、私には分かりませんでした。ですが、確かめる価値はあると判断しました」
「それで……我らに、何の用じゃ」
リデルが、警戒したように一歩前へ出た。
「ブリザードとサンダーから、リデルとアレクシアの戦闘スタイルについて、詳しく聞きました。ですが、ルティナはあまり戦闘に参加していないため、ほとんど情報が得られませんでした。よって、ルティナのデータを取得したく思います。私と戦っていただけますか」
「——私、ですか」
ルティナが、驚いて聞き返した。
「はい。あなた方の戦い方のデータが揃えば、ダークキング様の悲願——この世界を手に入れるという目的に、一歩近づけると判断しました」
「お断りします」
ルティナは、いつもの柔らかい笑みを浮かべたまま、はっきりと言った。
「あなたの提案には、こちら側の利点が一切ありません。データを差し出す義理は、ございませんので」
四堂悠太は、内心で少し驚いた。いつも穏やかなルティナが、これほどきっぱりと断るのは珍しい。
「……そうですか」
ストームは、それだけ言うと、一度目を伏せた。だが、すぐにまた顔を上げる。
「では、判断材料を、一つ差し上げましょう。私は、あなたの戦いを直接見たことはありませんが、街に潜入し、色々と知りました。リューベックの街の領主について……とか。なかなか、興味深い事実でした」
ルティナの表情が、一瞬だけ強張った。それを、四堂悠太は見逃さなかった。
「今この場で、話しても構いませんが」
ストームの言葉に、リデルとアレクシアが、怪訝そうにルティナを見る。
「……分かりました。お受けします、その勝負」
ルティナが、静かに、しかしきっぱりと答えた。
「ルティナ? 急にどうしたのじゃ」
「無理に受ける必要はないと思うが」
「アレクシアさん、リデルさん。少しだけ、ストームと二人きりで話をさせてください。データを取るだけの戦いです、危険はありません」
有無を言わせぬ口調に、二人は顔を見合わせながらも、渋々離れていった。四堂悠太だけが、心配でその場に残った。
***
少し離れた開けた場所で、ルティナとストームが向かい合う。
「賢明な判断です。私は、無駄を嫌いますので」
「私も、無駄な戦いは嫌いですよ。ですが、あなたの提案には、乗らざるを得ない理由がありましたので」
ルティナが、杖を構えた。




