第五十八話 王様の目覚まし係——そして、初めて忘れた夜
——夜。宴が終わり、村人たちが寝静まった頃、四堂悠太たちは、村外れの小高い丘で、焚き火を囲んでいた。パチパチと薪が爆ぜる音だけが、静かに響いている。
「ふわぁ……」
リデルが、大きく欠伸をしながら、焚き火のそばに猫のように丸くなった。満腹になったせいか、瞼が、うとうとと重そうに落ちてくる。
「リデル、眠いなら、先に休んでていいよ」
「む……いや、まだ、平気じゃ……」
そう言った傍から、リデルの尻尾が、ふらりと力なく揺れた。
「あ、リデル、尻尾が」
「なに……⁉」
リデルは、はっと目を見開いたが、時すでに遅く、こてん、と小さく船を漕ぎ始めていた。
「……朝、その尻尾ではたかれて起こされたこともあったなぁ……」
「うむ……。朝は、我の役目じゃからな……」
半分眠りながらも、律儀にそう返すリデルに、四堂悠太は思わず笑ってしまった。
「そういえば、あの尻尾でのはたき方、いつからやってるの?」
「さぁ……。物心ついた頃には、もう、そうしておった気がするのぅ……。父上などに」
「え……、アルブリー王に⁉」
威厳あるライオン型獣人のアルブリー王が、リデルの尻尾にはたかれて起こされる場面を、四堂悠太は想像した。
(なんか……すごいシーンだ……)
「父上は、寝坊癖がひどくてな。侍従が何度声をかけても起きぬから、幼い我が、業を煮やして、しっぽでばしっと」
「い、いきなり実力行使⁉」
「一発で目を覚まされた。それ以来、父上の目覚まし係は、我の仕事じゃ」
「王様の目覚まし係が幼女って、国としてどうなの……」
「なに、慣れれば早い。父上も、『ワシの目を覚まさせられるのは王妃かお前くらいじゃ』と、よう仰っておった」
「それ、褒められてるようで、地味に失礼な話だと思う」
(国家機密級の情報を、こんな軽い雑談で聞いてしまっていいんだろうか……)
ルティナが隣で、興味深そうに耳を傾けていた。
「獣人の方の目覚まし方法、興味深いです。今度、詳しく研究させてください」
「研究対象にされるのは、なんか嫌じゃ……」
眠気の抜けきらないリデルの反論に、アレクシアが、珍しく小さく吹き出した。
「あ、今の、なんかいつもと違う笑い方だった」
「……そうか? 自分では、よく分からんが」
「なんていうか……肩の力、抜けてる感じ? いつもより柔らかいっていうか」
からかうような口調の四堂悠太に、アレクシアは少し気まずそうに視線を逸らした。
「……今日は、悪くない一日だった、というだけだ」
その一言に四堂悠太は、少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……ちょっと聞いてもいいかな」
少しの間を置いて、四堂悠太が改めて切り出した。
「今日までで、一番楽しかったこと、って何かある?」
「藪から棒に、何じゃ」
リデルが、眠そうな目を擦りながら、それでも律儀に考え込んだ。
「そうじゃな……。やはり、今日の宴じゃろうか。皆で、あたふたと料理をこさえて……。しかも、思わぬところで、シドーの秘密も暴かれたしな」
「その話、まだ続くの……」
「そうやって嫌がるところが、また面白いのじゃ」
アレクシアも少し考えてから、静かに口を開いた。
「私は……騎士として在ろうとするあまり、随分長いこと、誰かと笑い合うことを忘れていた気がする。だから今日みたいに、他愛のないことで笑えたのは……。正直、久しぶりだった」
その言葉には、飾り気のない、素直な響きがあった。
「私は、皆さんと出会って、初めて『誰かのために』何かをする、という感覚を知りました。研究のためだけに生きてきた私にとっては、それが、一番の変化だと思います」
ルティナが、いつもの淡々とした口調のまま、そう続けた。
「ニックが言ってたこと、覚えてる? 一人で、誰にも認められなくても、剣を捨てなかったって話」
「うむ、覚えておる」
「もし、みんなが、急に一人になったら……何をすると思う?」
少しの沈黙のあと、最初に口を開いたのはリデルだった。
「我は……考えたことも、ないな。物心ついた頃から、常に誰かがそばにおった。護衛か、侍女か、家臣か……。一人になったことなど、一度もない」
リデルはそこで、少し言葉を切った。
「もし本当に一人になったら……。きっと、途方に暮れるじゃろうな。一人で何をすればいいのか、我には、分からぬ」
その声には、いつもの気丈さの奥に、微かな心細さが滲んでいた。
「じゃが今は、一人ではないからな。……そう考えると、悪くない」
次に答えたのは、アレクシアだった。
「私は……昔なら、迷わず、騎士として民を守り続けたと思う。そういう生き方しかできないからな」
アレクシアの視線が、焚き火の炎に落ちた。
「強くなることだけが、長い間、私の全てだった。それだけを支えに、剣を振るってきた。誰かと一緒にいることに、意味を見出せなかったんだ」
少しの間を置いて、アレクシアは続けた。
「でも、今は違う。一人でも、戦い続けることはできると思う。……でも、今は、それを選ばない。一人じゃないことが、怖くないから」
最後にルティナが、あっさりとした口調で答えた。
「私は、一人になっても、特に困らないと思います。魔法の研究に没頭するだけなので」
「あ、あー……ルティナらしいね」
「ただ——」
ルティナはそこで珍しく、僅かに言葉を止めた。
「……今の方が、悪くないです。誰かに、成果を見てもらえる方が」
その一言に、四堂悠太は思わず、三人の顔を見比べた。
(みんなちゃんと、自分の言葉で答えてくれる)
四堂悠太は、心の中でそう呟いた。この世界は、自分が書いた小説でも、創った物語でもない。だから、彼女たちの言葉は、誰かが書いたセリフでも、あらかじめ用意された答えでもない。
(僕の知らないところで、みんなちゃんと、自分自身の答えを持ってるんだ)
それは、これまで漠然と感じていたことを、はっきりと言葉にしてくれるような、不思議な実感だった。
「シドーは、どうなんじゃ」
リデルに問われ、少し考えてから、口を開いた。
「僕は……どうするんだろう。ごめん、みんなに聞いておいて、何も思い浮かばない」
もう小説は書かない、ワナビは辞めると決めた。でもだからといって、次にやりたいことはない。強いて言えば——、
「リデルとアレクシアとルティナと、こうして冒険が続けられたらいいなとは思う」
その言葉に、三人はそれぞれ、小さく笑った。
「シドーらしいな」
「うむ、シドーらしい」
「シドーさんらしいですね」
焚き火の炎が、パチリと大きく爆ぜた。夜風が四人の間を、静かに吹き抜けていった。
「そういえば」
ふと思い出したように、ルティナが口を開いた。
「シドーさん、失われた魔法について、長老に会って聞きたいと仰っていましたよね。この村からさらに山奥に入ったところに、私の故郷——エルフの隠里があります。もしよかったら、寄ってみますか?」
「え……や、やったぁ‼ もちろん、絶対行きたいです!」
「では、次の目的地はエルフの隠里にしましょう」
ルティナはそう言うと、珍しく、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
***
その夜四堂悠太は、眠りにつく瞬間、ふと気がついた。
この世界に来て初めて、スターエレメントのことを考えないまま、眠りについていた。
前の世界にいた頃は、寝る前に必ず「魔法少女スターナイツ」を見てから眠るのが、日課だった。こちらに来てからしばらくは、それができないことに、ずっと悶々としていたはずだった。離脱症状のせいで、肌に謎のブツブツができたこともあった。
それなのに、今夜は違う。信じられないほど自然に、スターエレメントのことを、頭の片隅にも浮かべないまま、瞼が落ちていく。
(あれ……。僕、今——)
その違和感に気づいた時にはもう、意識は眠りの底に沈んでいくところだった。




