第五十四話 退くブリザードと、追放勇者ニック
ニックは、剣を鞘に収めながら、小さく息をついた。それからようやく、少し離れた場所に立つブリザードの存在に気づいた。
「……あんたが、この状況を作った奴か」
「ほう。あれほどの魔物を、単騎で仕留めるとはな」
ブリザードは、静かにニックを見つめた。
「悪いが、まだ終わりじゃない。あんたも、片付けさせてもらう」
「面白い。かかってこい」
ニックが地を蹴った。剣速は、先ほどのクライナー戦よりも、さらに鋭さを増している。
「ふん……‼」
ブリザードは、冷気をまとった拳で応戦する。だが、ニックの剣は、次第にブリザードの防御を上回っていった。
(これは……。先ほどの剣士アレクシアとは、また違う。純粋な、力の差だ)
ブリザードは、初めて、僅かな焦りを覚えた。
「まだだ……‼」
ニックの剣に、淡い光が宿り始めた。
「これで、終わりにさせてもらう! 光よ、我が剣に集え——ブレイブ・エンド・ブレード‼」
ニックが、大きく振りかぶった。剣先から、眩い光の奔流が放たれる。
「なっ……‼」
ブリザードは、咄嗟に氷の盾を展開したが、光の奔流は、それを容易く貫いた。眩い光に、全身を包まれる。
「ぐああっ……‼」
抑揚のなかったブリザードの声が、初めて、はっきりとした苦悶の色を帯びた。膝が、がくりと崩れ落ちる。全身を覆う黒い靄が、光に触れた箇所から、ごっそりと剥がれ落ちていった。
四堂悠太は、思わず息を呑んだ。クライナーが浄化されて消えたときとは、明らかに違う。ブリザード本人が、直接その技を受け、苦しんでいる。
「……げほっ」
ブリザードは、片膝をついたまま、咳き込むように息を吐いた。氷に守られているはずのその体から、蒸気のようなものが、微かに立ち上っている。焼けるような感覚が、全身を苛んでいるようだった。
(これが、浄化の力……。ダークエナジーそのものを、直接抉られているような……)
これまで、負けを感じたことは、何度もあった。だが、これほどまでに、体の内側から力を削られる感覚は、初めてだった。
「まだやるか?」
ニックが、剣を構え直しながら、静かに問いかけた。その目には、一切の油断がなかった。
ブリザードは、震える足で、どうにか立ち上がった。全身に、まだ光の残滓が、燻るように残っている。
(このまま戦い続ければ、消滅させられる。それだけは、確信できる)
以前、東雲柚月から、逃げるように立ち去ったときとは、比べ物にならない。あのときは、まだ余裕があった。動揺こそしたが、体は無傷のまま、心の中で『美しくない』と切り捨て、優雅に去ることができた。
だが今は、違う。無様に膝をつき、傷を負い、それでもなお、目の前の敵から目を離すことができない。
「……くっ」
ブリザードは、奥歯を噛みしめた。悔しさよりも先に、得体の知れない感情が、胸の奥にせり上がってくる。
(この程度で、退くしかないのか。私は……)
「今日のところは、退かせてもらう」
絞り出すように、そう言った。声には、僅かな震えが混じっていた。
「だが、覚えておけ。この程度で、私が終わったと思うなよ」
精一杯の虚勢だと、自分でも分かっていた。それでも、言わずにはいられなかった。
ブリザードの体が、氷の粒子となって、静かに霧散していく。その最後の瞬間、視線は、無意識のうちに、アレクシアの方へと向いていた。
(アレクシアという剣士も、この浄化の力を持つ剣士も……。この世界には、まだ、私の知らない強さが、幾つも眠っている)
姿が完全に消えるまで、ニックは油断なく剣を構え続けていた。やがて、気配が完全に消えたのを確認すると、剣を鞘に収めるより早く、ニックの目は、既に石化した村人たちへ向いていた。
「……ふぅ。とりあえず、片付いたか」
ニックは、そう呟くと、地面に転がる小さな結晶に、目を留めた。クライナーが消えた際に落としていったものだ。
「あっ、ブリザードに、魔王の居場所を吐かせるのを忘れていました!」
いつもは抜かりのないルティナにしては、珍しい失態だった。
(決闘の立会人までやっていたし、それどころじゃなかったのかも……)
「そうじゃった! 吐かぬようなら、我の可愛がっておる猛獣たちの餌にしてくれるわ、とまで脅し文句を考えておったのに……」
(二人とも、脅し文句だけは毎回準備万端なんだよな……)
「まぁ……忘れてしまったものは仕方ない。魔王軍幹部は、どうせまた現れる。次こそ、聞き出せばいい」
「そうですね。まだ石化されたままの村が、もう一つ残っています。その道中で、出くわすでしょう」
性懲りもなく襲ってくる魔王軍幹部のことだ。リデルもアレクシアも、そしてルティナも、そのうちまた機会は訪れるだろうと、あまり気にしていないようだった。
「さっきのヤツ、魔王軍幹部だったのか……。そういや、あんた創造主だろ? あんたが俺を呼んだのか?」
「あ……うん、そう、だと思う」
四堂悠太は、まだ状況が飲み込めないまま、頷いた。それから、クライナーが消滅した後に残った結晶を、慌てて拾い上げると、鞄の中の布袋にそっと収めた。
(これで、村の人たちを、元に戻せる)
「そうか。まぁ、詳しい話は、後で聞かせてもらおう。……取り敢えず村の人たちは、大丈夫そうか?」
ニックは、村の方角へ視線を向けた。石化した村人たちの姿を見て、僅かに眉をひそめる。
「あれは……」
「大丈夫。今、倒したクライナーが落とした、この石——夢見るドキドキハートで、元に戻せるはずだ」
四堂悠太は、手の中にある石を、ニックに見せた。
ニックは、掌の上で淡く光る結晶を覗き込み、僅かに眉を寄せた。
「……今、それ、何て言った?」
「え?」
「ゆめみる、どきどき……何だって?」
「そ、それは、その……固有名詞というか、専門用語というか……」
(まさか異世界の勇者にまで、ネーミングセンスを詰められる日が来るとは……)
四堂悠太は、視線を逸らした。
「まぁ、いいや。……なら、早く元に戻してやろう」
ニックはそう言うと、率先して村の方角へと歩き出した。四堂悠太は、その背中を見つめながら、なんとなく頼もしさを感じていた。
村の広場には、石になった人々が、あの瞬間のまま立ち尽くしていた。悲鳴を上げようとした形のまま、赤子を庇おうとした形のまま——時間だけが、そこで止まっていた。
「みんな……待たせてごめん」
四堂悠太は鞄から布袋を取り出すと、中の結晶をそっと空へとかざした。夢見るドキドキハートが淡い光の粒子となって、広場全体へと広がっていく。
「う……ん……」
最初に声を上げたのは、赤子を抱いていた若い母親だった。腕の中で泣いていたはずの赤子は、いつの間にか、すやすやと眠っている。
「あ……あたし、一体……」
母親は、状況を飲み込めない様子で、辺りを見回した。それを皮切りに、広場のあちこちで、次々と人々が目を覚まし始める。
「な、何が起きたんだ……?」
「母ちゃん‼ 良かった、無事だったんだね‼」
井戸端にいた少年が、母親のもとへと駆け寄った。抱き合う親子の姿に、四堂悠太は、詰めていた息をようやく吐き出した。
(良かった……。間に合った)
「シドー殿、これは、一体……」
目を覚ました村人の一人が、戸惑いながら、四堂悠太に問いかけた。四堂悠太が、手短に事情を説明すると、村人は深々と頭を下げた。
「勇者様、そして、シドー殿。……この村を、救ってくださり、ありがとうございます」
「いや、俺は大したことしてない。……全部、こいつの結晶のお陰だ」
ニックが、四堂悠太を見てそう言った。四堂悠太は少し照れくさそうに、頬をかいた。
「……そういうこと言うの、恥ずかしいからやめてよ」
「事実だろ?」
村中に、次第に活気が戻っていく。誰かが誰かの無事を確かめ、抱き合い、涙を流す——そんな光景が、あちこちで繰り広げられていた。
歩きながらニックは、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、創造主以外のヤツは初見だな。俺の名前は、ニック。……つい先日まで、『暁の光』っていうパーティで、勇者をやってた」
「勇者……? やってた、ということは……」
アレクシアが、疑問を挟んだ。
「あぁ。追放されたんだ。仲間だと思ってた奴らに」
ニックはあっさりとした口調で、そう言った。四堂悠太は、その展開を知っていた。……知っていたどころか、自分がそう書いたのだ。設定として綴った『追放』の二文字が、本人の口から語られると、こんなにも重く聞こえるとは、思ってもみなかった。
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