第五十一話 賭けは、性に合う——アレクシア、決闘を受ける
昨日とは打って変わって、空にはうっすらと雲がかかり、時折、涼しい風が頬を撫でていく。街道の脇には小川が沿うように流れ、水面が陽の光を細かく弾いていた。
少し開けた場所まで来たところで、休憩を取ることにした。荷物を下ろし、それぞれが水を飲んだり、軽い食事を取ったりする。
「腹が減ったのう……。シドー、ロゼット村で貰った干し肉、まだ残っておるか?」
リデルが、荷袋を覗き込みながら、四堂悠太に尋ねた。
「うん、あるよ。……あ、でも、リデルの荷物にも、村で貰った干し肉、入ってなかったっけ?」
「あれは、犬用に取っておくのじゃ」
「犬、もうブルーム公に預けてきたよね……?」
四堂悠太が、思わず突っ込むと、リデルは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「うむ? そうであったな。……まぁ、いずれまた、犬なり猫なり、拾うこともあろう」
「気が早すぎるよ……」
「備えは、早いに越したことはない。ちなみに、我の部屋には、まだ動物コレクションを飾る棚の空きがある。あと三匹は、余裕で置ける」
「捨てないでって、お父さんに言ってたばかりなのに、もう増やす気満々なんだ……」
アレクシアが、呆れたように肩をすくめながらも、口元には、小さな笑みが浮かんでいた。そんな他愛のないやり取りに、四堂悠太も、思わず頬が緩む。旅の緊張が、少しだけ和らいだ気がした。
「そういえば、ヴィクターに貰ったハチミツ、まだ試してなかったな」
四堂悠太は、荷袋の奥から、あの黄金色の瓶を取り出した。旅立ちの日、餞別として渡された品だ。
「あぁ、あれですか。……正直、ヴィクター隊長のあの熱の入れようを思い出すと、少し身構えてしまうのですが」
ルティナが、瓶を覗き込みながら、苦笑した。
「パンにも肉にもスープにも合うって、力説してたよね。……せっかくだし、この干し肉で試してみようか」
四堂悠太は、硬く乾いた干し肉に、ほんの少しだけハチミツを垂らした。甘いものと、塩気の強い干し肉。組み合わせを想像するだけで、正直、あまり期待は持てなかった。
「……あ」
一口かじって、思わず声が漏れた。
(意外と、美味しい)
塩気の強い肉の旨みに、ハチミツのほのかな甘みが絡んで、単体で食べるより、むしろ深みが増している。噛むほどに、干し肉特有の硬さの奥から、甘さがじんわりと滲み出てくるようだった。
「うむ、これは……存外、悪くないの」
リデルも、半信半疑で口に運んだ後、目を丸くしていた。
「私も一ついただこう」
アレクシアも同じように試し、少しの間、無言で咀嚼していたが、やがて、静かに頷いた。
「……美味い。ヴィクター隊長の言うことも、あながち間違いではなかったようだな」
「今度、スープにも試してみましょうか。ヴィクター隊長が一番おすすめしてたのはそっちでしたし」
「賛成。……とはいえ、あの量だけは、絶対に真似しない方がいいと思う」
四堂悠太が、真顔でそう付け加えると、全員が、揃って頷いた。
——そのときだった。
「——なかなか、良い旅をしているようだな」
聞き覚えのある、抑揚のない声が、辺りに響いた。
「ブリザード⁉」
四堂悠太は、思わず立ち上がった。振り返ると、そこには、以前フェモンの街で戦った、氷のように冷たい目をした魔王軍幹部が、音もなく佇んでいた。
「相変わらず、唐突な登場じゃな……」
(またこのパターンだ……。気配を消して現れるキャラ、僕の書いた小説でもよく使ってた演出だけど、実際にやられると普通に心臓に悪いな)
リデルが、警戒するように、身構えた。アレクシアも、無言で剣の柄に手をかける。
「構えるな。今日は、戦いに来たわけではない」
ブリザードは、感情の窺えない声のまま言うと、視線をまっすぐアレクシアへと向けた。
「アレクシア、と言ったな。この前の、貴様の戦い方——あれは、美しかった」
「……何?」
アレクシアが、怪訝そうに眉をひそめた。
「無駄がなく、迷いがなく、そして何より、恐れがなかった。私は、これまで数多の戦士を見てきたが、あれほどの剣技には、そうそう出会えるものではない」
ブリザードの声は、いつも通り平静だったが、そこにはどこか、真剣な響きがあった。
「だから、一つ提案がある。私と、一対一の決闘をしてもらいたい」
「決闘……だと?」
「あぁ。もう一度、貴様の剣技を、間近で見てみたい。それだけだ」
その場にいた全員が、一瞬、言葉を失った。
「なぜ、わざわざそんなことを……」
四堂悠太が、疑問を口にすると、ブリザードは、僅かに視線を動かした。
「理由など、大した話ではない。強いて言うなら——興味だ。もし私が本気を出せば、貴様は、どう応えるのか。それを、見てみたくなった」
平坦な声の中に、微かな熱のようなものが滲んでいた。
(……待って。ブリザードって、いつも素手で戦ってなかったっけ?)
四堂悠太が、そのことに気づいたのとほぼ同時に、ブリザードは、腰に佩いた剣に、軽く手を触れた。粗末な造りの、村のどこにでもあるような一振りだった。
「あぁ、これ。今回は、貴様の剣技に応えるつもりで来た。素手では、あまりに礼を欠くと思ってね。……道すがら、丁度良いものが落ちていたので、拝借したんだ。美しくはないが、こんなものしかなかったから仕方ない」
肩をすくめて、当然のように言い放つブリザードに、四堂悠太は思わず苦笑した。
(拝借って……それ、盗んだってことだよね……)
「もし、私が決闘を断ったら?」
アレクシアが、静かに問いかけた。
「その場合は、予定通り、この近くの魔物を使ってクライナーを喚び出し、すぐそこの村の人々を石化する。決闘を拒んでも、結果は変わらない」
「なっ……」
四堂悠太は、思わず声を荒らげかけた。
「だが、もし貴様が決闘に勝てば、私は何もせず、すぐにこの場を退く。約束する」
ブリザードは、そこで一度言葉を切ると、表情を変えずに続けた。
「どうだ? 貴様たちにとっては、随分と有利な話だと思うけどね。……それとも、怖いか?」
挑発するような響きは、ほとんどなかった。ただ、純粋に、問いかけているようだった。
(無属性魔法を使えば——小説のキャラを召喚すれば、確実に勝てる。でも……)
四堂悠太の考えを読んだかのように、ルティナが隣で囁いた。
「無属性魔法は、あと八回しか使えません。一回でも温存できるなら、それに越したことはありません」
そのあと、アレクシアに向かって、話を続けた。
「アレクシアさんも、分かっているとは思いますが、勝ち目は薄いです。……でも、ブリザードの言う通り、こちらに損はない話でもあります。万が一にも勝てば、シドーさんの魔法を一回温存できる。分の悪い賭けですが——アレクシアさんは、こういう賭けの方が、性に合うのでは?」
ルティナの言うことは理にかなっている。残り僅か八回の戦闘で、魔王を倒さなければならない。アレクシアが決闘に勝って、ブリザードが何もせずこの場から退いてくれれば、それが一番だ。
「無論。一対一の決闘を申し込まれた以上、断るという選択肢は、私にはない。それが、騎士としての矜持だ」
そう言ってから、アレクシアは、僅かに口の端を上げた。
「……それに、ルティナの言う通りだ。分の悪い賭けには、慣れている。何度も、身ぐるみ剥がされてきたからな」
「アレクシア……」
四堂悠太が名を呼びかけた時には、アレクシアは既に、迷いのない足取りで一歩を踏み出していた。
「案ずるな、シドー。……それに」
アレクシアは、剣を静かに引き抜きながら、小さく笑った。
「私の剣技を、認めてくれるというのだ。騎士として、これほど光栄なことはない」
四堂悠太は、少しの間、逡巡した。無属性魔法を使えば、確実に決着はつく。でも、アレクシアの目には、既に、強い覚悟が宿っていた。
(アレクシアが、こんな顔をしてる時は……止めても、聞かないんだよな)
「……分かった。でも、危なくなったら、負けを宣言して欲しい」
「もちろんだ。……侮ってなどいない」
アレクシアは、静かに剣を握り直した。
「フェモンの街で、私はブリザードが呼び出したクライナーと戦った。だが、あの化け物一体にすら、決着をつけられなかった。……幹部本人は、あの化け物よりも、遥かに強い。であれば、私一人で敵う相手ではないと、覚悟の上だ。こんなところで命を落とし、肝心の魔王を打てない愚行を犯す気はない。……それに、ここで私が決闘を退けば、あの男は容赦なく、すぐそこの村を襲うのだろう。ならば、受けて立つ以外に、道はない」
アレクシアはそう言って、ブリザードと向き合った。
二人の間に、静かな緊張が満ちる。風が、二人の間を吹き抜けた。




