第五十話 石化を解いた手と、戦う手——それぞれの役割
リューベックを発って丸一日が経った頃、四堂悠太たちは、最初の目的地であるロゼット村に辿り着いた。
街道の両脇には実りかけの麦畑が広がり、風が吹くたびに、金色の穂が波のように揺れていた。のどかな田園風景が続く道のりだったが、それだけに村の異変は際立って見えた。
村に一歩足を踏み入れた瞬間、四堂悠太は思わず息を呑んだ。
畑仕事の途中だったのだろう、鍬を手にしたまま固まった老人。井戸端で洗濯物を抱えたまま止まった女性。追いかけっこの途中で転びかけの姿勢のまま止まった子ども——村中の人々が、黒色の石と化し、まるで時間だけが止まったかのように、あちこちに佇んでいた。
(フェモンの街で見た光景と、同じだ……)
分かっていたはずなのに、実際に目の当たりにすると、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
「……酷いもんじゃな」
リデルが、悔しそうに呟いた。石化した子どもの前で、しゃがみ込んでいる。
「シドー、頼む」
アレクシアに促され、四堂悠太は肩掛けの鞄から布袋を取り出した。中から、淡く光る小さな結晶——夢見るドキドキハートを、そっと摘み上げる。
(これで、みんなを元に戻せる)
一番近くにいた老人の石化した手に、結晶をそっと触れさせた。
その瞬間、結晶が眩い光を放ち、老人を包み込んだ。光は瞬く間に村全体へと広がっていき、黒色だった村人たちの肌に、少しずつ色が戻っていく。
「……あ、あれ? わし、鍬を持ったまま……」
老人がきょとんとした顔で、辺りを見回した。それを皮切りに、村のあちこちで、次々と人々が我に返り始めた。
「お母さん‼」
「良かった、無事だったのね……‼」
抱き合う親子、涙を流しながら手を取り合う夫婦。四堂悠太はその光景を見ながら、胸が熱くなるのを感じた。
(役に立てた。……本当に、良かった)
村人たちは事情を知ると、四堂悠太たちに何度も頭を下げた。だが、数年放置された村は、畑も家畜も見る影もなかった。石化が解けた村人たちは、荒れ果てた自分たちの村を前に、しばらく言葉を失っていた。
「……リューベックの街への避難を、ご検討いただけないでしょうか。食料や支援は、街の領主に訴えていただければ、必ずいたします」
ルティナが、そう言った。
村長は、少し悩む素振りを見せたが、やがて深く頷いた。
「……そうさせて頂きます。もう、二度とあんな目には遭いたくない」
四堂悠太たちは、その夜は村に泊まり、翌朝また旅を続けることにした。
***
翌朝、四堂悠太たちはロゼッタ村を後にし、次の目的地であるもう一つの村――カルヴィン村へと向かった。
街道を外れ、森の中の近道を進んでいたときだった。
「……止まれ」
先頭を歩いていたアレクシアが、不意に足を止め、剣の柄に手をかけた。
「魔物か?」
「あぁ。数は……三、四体といったところか」
茂みの奥から、ガサガサと葉の擦れる音が聞こえてくる。やがて灰色の毛に覆われた、犬のような魔物が、牙を剥き出しにしながら姿を現した。
「ウルフ種じゃな。この辺りでは、よく見かける」
リデルが、油断なく身構えながら言った。
「シドーは下がっておれ。……いつも通りにな」
「う、うん」
四堂悠太は言われるがまま、大きな木の陰に身を隠した。鞄にしまった布袋——夢見るドキドキハートが入ったそれに、思わず手を添える。
(僕にできることは……ない)
無属性魔法は、魔王の軍勢——クライナーを生み出す幹部級の魔族にしか、効果を発揮しない。目の前の、ただの魔物には、何の力も及ぼせない。
(こういう場面、自分の小説だと大抵、隠れてる主人公が覚醒フラグを溜める展開になるんだけど……。今のところ、その気配は微塵もない)
「行くぞ‼」
アレクシアの声を合図に、戦いが始まった。彼女の剣が一匹目のウルフを、鮮やかに斬り伏せる。リデルの振り下ろしたハンマーが二匹目を、地面ごと叩き潰した。ルティナも、詠唱と共に放った風の刃で、三匹目を退ける。
あっという間の出来事だった。四堂悠太は木の陰から、ただその光景を見ていることしかできなかった。手も足も出せず、息を潜めて、仲間たちが戦う様子を見守るだけ。
「……終わったぞ、シドー」
最後の一匹を倒したアレクシアが、剣についた汚れを払いながら、振り返った。四堂悠太は、木の陰からおずおずと姿を現す。
「あ……うん。お疲れさま」
「ん? どうした、浮かない顔をして」
リデルが、ハンマーを背中に背負いながら、こちらを覗き込んだ。四堂悠太は少しの間言葉に迷った末に、ぽつりと呟いた。
「……僕、この世界の魔物には、本当に、何もできないんだなって」
自嘲するように、小さく笑う。
「無属性魔法は、敵が魔王軍でないと発動できない。それ以外の魔物が出てきたら、僕はただ、隠れていることしかできない。……足手まといなだけなんじゃないかって、思って」
しばらくの沈黙のあと、口を開いたのはアレクシアだった。
「シドー、それは違うぞ」
いつになく、はっきりとした口調だった。
「私たちがどれだけ束になっても、勝てぬ相手がいる。魔王軍の幹部——そしてそいつらが生み出す、クライナーだ。もちろん、その先にいる魔王もな。無属性魔法がなければ、私たちは、指をくわえて見ていることしかできぬ」
「そうじゃぞ、シドー」
リデルも、力強く頷いた。
「並のウルフ相手なら、我らだけで、十分に対処できる。じゃが、魔王軍には、我らの物理攻撃も魔法攻撃も、まともに通らぬ。……お主の魔法だけが、あやつらに対抗できる、唯一の手段じゃ」
「シドーさんの魔法は、私たちには決して届かない場所に、届くものです」
ルティナも、穏やかな声で続けた。
「私たちが並のウルフを退けるのと、あなたが魔王軍に対処するのとでは、役割が違うだけ。……どちらが欠けても、この旅は成り立ちません」
「役割分担、ということじゃ」
リデルが、締めくくるようにそう言った。
「我らは我らの得意なことをする。お主は、お主にしかできぬことをする。それで、良いのじゃ」
四堂悠太はしばらくの間、三人の顔を順番に見つめていた。じんわりと胸の奥が温かくなっていくのを感じる。
「……うん。ありがとう」
素直に、そう言葉が出た。
「でも、隠れてるだけっていうのは、やっぱりちょっと、格好悪いなぁ……」
「なに、いずれ慣れる。我も最初は、隠れるお主を見て、危なっかしいと思うたものじゃが……」
リデルが、悪戯っぽく笑った。
「今は、お主が無事に隠れておることこそが、我らにとっての安心材料じゃ。お主に何かあれば、それこそ、この旅は終わる」
「そうだぞ。……お前が無茶に前へ出て怪我でもしたら、私たちの方が、よっぽど困る」
アレクシアもそう言って、四堂悠太の肩を軽く小突いた。
四堂悠太はその温かい言葉に、思わず頬が緩んだ。
(そっか。……隠れてるだけじゃ、ないんだ)
仲間たちの信頼を確かに感じながら、四堂悠太はそう思った。




