第四十六話 杯を交わす二人、それぞれの過去
その夜、屋敷の一角では、ブルーム公とアルブリー王が、すっかり意気投合していた。
「いやー、この街の葡萄酒は美味い‼」
「そうでございましょう。領地で採れた自慢のぶどうを使って作ったのです。わしもこの酒は大好きです」
(……あれ、僕、完全に空気だな。誰もお酒勧めてくれないし)
そんなことを考えつつ眺めていると、二人は、まるで古くからの飲み仲間のように、杯を酌み交わしていた。ブルーム公は領主、アルブリー王は一国の王。本来なら身分の壁があってもおかしくないのに、二人の間にそれはまるで感じられなかった。
四堂悠太は、二人の様子を眺めながら、ふと、以前リデルが言っていたことを思い出した。
(そういえば……リデル、前に「我が父王とブルーム公は、統治者として全然違う」って、すごい剣幕で怒ってたっけ……)
あの時のリデルは、確か、父であるアルブリー王の統治の在り方と、悪徳領主だと噂されるブルーム公とを比べて、憤慨していた。二人はまるで違う、比べるのも失礼だ、というような口ぶりだった。
(本人たちが、あんなに仲良く酒を酌み交わしてるって知ったら、リデル、どんな顔するんだろうな……)
想像すると、なんだかおかしくなってきて、こっそり笑いを堪えた。
「王様も、酒がお好きとは意外でした」
「儂は元々、豪快な性分でな。堅苦しい席は性に合わん。それより、ブルーム殿と呼んでも?」
「へへ、そんな大層な呼び方、わしには勿体無いですよ」
ブルーム公は、照れくさそうに頭を掻いた。
「何を言う。この街を、五年もの間、表向きとはいえ支え続けてきたのだろう。それだけで、儂は敬意を払うに値すると思うぞ」
その言葉に、ブルームは少し驚いたように目を瞬かせた。それから、ふっと表情を緩めた。
「……わしは、ただ、ルティナ様に拾ってもらった命を、精一杯使こうとるだけです。それ以上のことは、何も」
「その『それ以上のことは何も』が、簡単にできることではないのだがな」
アルブリー王は、そう言って、杯をぐいっと呷った。
そのまましばらく、他愛のない話——この街の酒の話、料理の話、獣人とエルフの文化の違いなどが続いた。四堂悠太は、少し離れた場所で、その様子を眺めていた。
(なんか、あの二人、妙に馬が合ってるな……)
そんなことを考えていると、ふと、話の流れが変わった。
「ブルーム殿は、確か——ご家族を、魔王軍に奪われたと聞いた」
アルブリー王が、静かにそう切り出した。ブルームの表情が、一瞬だけ強張った。
「……よくご存知で」
「ルティナ殿から、少しだけな。詮索するつもりはない。ただ……儂にも、少し似た話がある」
アルブリー王は、杯を見つめたまま、ぽつりと言った。
「儂には、娘が二人おった」
その一言に、ブルームは、黙って耳を傾けた。
「リデルは、二番目の娘だ。長女は……リデルよりだいぶ年上での。将来は、儂の跡を継いで、この国を背負って立つ器だと、儂は本気で思うておった」
アルブリー王の声が、少しだけ低くなった。
「五年以上前の、三国間の戦争でな。……いや、魔王軍のことではない。まだ獣人族、人間、エルフの三国が、和平を結ぶ前の話だ。あの子は、自ら陣頭に立って戦った。儂が止めるのも聞かずにな。『民を守るのが、王族の役目だ』と言って」
杯を握る、アルブリー王の手に、わずかに力がこもった。
「……それきり、帰ってこなかった」
しばらくの間、二人の間に、沈黙が落ちた。パチパチと、燭台の火が爆ぜる音だけが、静かに響いていた。
「リデルだけは、同じ轍は踏ませぬと固く誓っておったのに……結局リデルもまた、魔王と戦いたいなどと言いだし……儂は、娘に懇願されるとどうも弱い。本気の訴えだと分かるゆえ、やはり止められなかった」
「……それは」
ブルームが、掠れた声で、ようやく口を開いた。
「わしの孫娘も……よく似ておりました。困った人を見ると、放っておけん子で。魔王軍が街を襲った日も、あの子はわしを逃がすために、最後まで残って……。得体の知れん化け物が暴れて、崩れてきた建物の下敷きに……」
言葉が、途中で途切れた。ブルームは、目元を拭うように、手の甲で顔を覆った。
「そうか」
アルブリー王は、それだけ言って、静かに頷いた。それ以上、何も聞かなかった。
「王様も、わしも……大事な者を、守れんかったんですなぁ」
「……ああ、その通りだ」
二人は、しばらくの間、黙って盃を干した。悲しみを共有する、というよりは、ただそこに、同じ重さの何かを抱えた者同士の、静かな理解があるだけだった。
「——だがな、ブルーム殿」
アルブリー王が、ふと、声の調子を変えた。
「儂は、リデルを見ていると、時々、あの子の面影を重ねてしまう。困った人を放っておけんところ、まっすぐなところ……よく似ておる」
「王様も、そうでしたか」
ブルームは、少し驚いたように、そう言った。
「わしも、ルティナ様を見ておると、時々、亡くなった孫娘を思い出します。だからでしょうか、ルティナ様の頼みなら、わしは、何でも聞いてやりたいと思うてしまうんです」
「儂も、同じだ。リデルには、幸せになってほしいと、本気で思うておる。血の繋がりなど関係なくな」
二人はそう言って、顔を見合わせて笑った。悲しみの中にも、どこか温かい笑みだった。
「……よし、辛気臭い話はここまでだ! ブルーム殿、もう一杯どうだ!」
「いいですなぁ、いただきましょう!」
アルブリー王は、豪快に笑いながら、杯を掲げた。ブルームも、それに応えるように、そっと杯を触れ合わせた。
その様子を、少し離れた場所からこっそり窺っていた四堂悠太は、二人の会話の断片を、風の音に紛れて、かすかに聞き取っていた。
(今の話……もしかして……)
それ以上深く考えるのはやめた。二人が今、こうして笑い合っているなら、それでいいのだと思った。ただ、心のどこかに、その話は静かに刻み込まれた。




