第三十九話 騎士は、弱き者を守る者
そうして、日々飼い主を探し続けていた、ある夜のことだった。
四堂悠太は、なかなか寝付けずに、宿屋の窓から外を眺めていた。すると、月明かりの下を、一人の人影が足早に街の外れへと向かっていくのが見えた。
(あれ……アレクシア? こんな時間に、どこへ……。まさかまたギャンブルしに行って、身ぐるみ剥がされて、あのエプロン姿で帰ってくるんじゃ……。いや、さすがに毎回それは、ないか)
昼間、激しい戦闘をして、疲れ切っているはずだった。それなのに、寝る間も惜しんで、また出かけていく。以前アレクシアは言っていた。全てを投げ打つ覚悟のために、賭博で修行をしていると。あの時は賭博で負けがこんで、支払いのために装備を全て失い、装備を全て失っていた。
(覚悟を失わないための訓練とはいえ、またあんなことになったら……。気になる……。ちょっとだけ、様子を見に行ってみようかな)
こっそり宿屋を抜け出し、アレクシアの後を追った。
辿り着いたのは、街の中でも特に治安の悪い区画だった。壊れかけた建物が並び、夜になると人通りもほとんどない。そんな場所を、アレクシアは剣を携えて、一人静かに見回っていた。
「——誰だ」
物陰から声をかけようとした瞬間、鋭い声が飛んできた。四堂悠太は、思わず飛び上がった。
(心臓が口から出るかと思った……声のかけ方、完全に間違えた……)
「わ、僕だ! シドーだよ!」
「……何だ、シドーか」
アレクシアは、構えていた剣を下ろして、小さく息をついた。
「こんな時間に、こんな場所で何をしているの?」
尋ねると、アレクシアは一瞬、気まずそうに目を逸らした。
「……見回りだ。それだけだ」
「見回りって……昼間も、ずっと戦っていたし、もう休んだ方が……」
「これくらい、何でもない」
アレクシアは、それだけ言うと、また歩き出そうとした。その時、月明かりに照らされた彼女の腕に、小さな痣が浮かんでいるのが見えた。
「アレクシア、それ……」
「……大したことじゃない。つい先日の見回りで、少しな」
なんとなく察してしまった。昼間は敵と戦い、夜になっても、こうして一人で街を守っている。誰にも言わず、誰に頼まれたわけでもなく。
「もしかして……昼間は敵と戦っていて、街の見回りができないから、夜に一人でやってるの?」
図星を突かれたように、アレクシアは黙り込んだ。しばらくして、諦めたように、ぽつりと口を開いた。
「……昼間、老婆が言っていたのだ。夜になると、この辺りに賊が出て、怖くて眠れないと。だが、優先順位でいえば、魔王軍幹部と戦って、この地を守らねばならん。後回しにせざるを得なかった」
アレクシアは、剣の柄を、静かに握り直した。
「だが、それで、あの老婆が今夜、恐怖に震えて眠れないのだとしたら——私は、それを見過ごせない」
「でも、だからって、一人で夜通し見回るなんて……。休まないと、体が持たないよ」
四堂悠太が食い下がると、アレクシアは、少しだけ目を伏せた。
「シドー。私は、元騎士団長だった。……その意味が、分かるか」
「え……」
「騎士とは、弱き者を守る者だ。それが、私の全てだった。剣を持つ資格も、誇りも、全部そこにある」
アレクシアの声は、静かだったが、確かな芯があった。
「魔王軍と戦うだけでは、私の中で、まだ足りないのだ。守ると誓ったなら、中途半端にはしたくない。……これは、私の性分だ。誰に強いられたことでもない」
その言葉を聞いて、自分の中で、ふと繋がるものがあった。——覚悟というのは、一度身に着けたら終わり、というものではない。慣れれば、鈍る。
いつだったか、賭博で負けが込んで、荷運びの労働で返しているとき、アレクシアがそう言っていた。剣を失い、鎧を失い、最後に盾を失ったとき、清々しさすら覚えたのだと。あの独り言のような告白は、こういうことだったのか。彼女は今も、こうして誰にも言わずに、自ら覚悟を鍛え続けている。
(この人はいつでも、何かを守るために、自分をすり減らしてるんだ……)
「……あの人のことを、思い出してたの?」
思い切って尋ねてみた。かつて、アレクシアを庇って命を落とした、同期の騎士見習いのことを思い出した。
少しの沈黙の後、アレクシアは、静かに頷いた。
「あいつは、私よりずっと剣が下手だった」
いつか、アレクシアはそう言って、小さく笑っていた。
「初めての実技試験で、私が的を外して落ち込んでいたら、隣で自分はもっと外していたくせに、『次は一緒に当てような』と、笑っていた。……本当に、お人好しな奴だった」
訓練中、いつも一番に音を上げるのは彼の方で、それでもアレクシアより先に音を上げたことは一度もなかったという。誰よりも不器用で、誰よりも諦めが悪かった。
「私が夜遅くまで自主訓練をしていると、必ず、あいつも付き合った。『お前一人にするわけにはいかないだろう』と、大した理由でもないくせに、いつもそう言って」
その日も、いつも通りの任務のはずだった。だが、不意打ちで賊に襲われ、アレクシアが体勢を崩した瞬間——彼が、迷いなく前に出た。
助けられたのは、一瞬だった。守られたのは、アレクシア一人だった。
「私が的を外しても、次は一緒に当てような、と言ったくせに……あいつは、最後の的すら、外さなかった」
その時のアレクシアの声を、四堂悠太は今も覚えている。悔しさとも、悲しさとも違う、もっと静かで、深い場所から絞り出されたような声だった。
アレクシアは、少しの間、遠くを見るような目をしていたが、やがてまた、静かに口を開いた。
「あぁ。……今夜のような、何でもない夜にこそ、ふと思い出す。あいつが守ろうとしたのは、私一人じゃない。名も知らぬ、この街の老婆のような者たちだったはずだ。……それなのに私は、まだこの程度のことしかできていない」
それ以上は、何も語らなかった。ただ、アレクシアの横顔には、以前見せたものとはまた違う、静かな決意のようなものが滲んでいた。
それを見て、四堂悠太は、覚悟を決めた。
「……分かった。でも、せめて、僕にも手伝わせてよ。一人でやるより、二人の方が早く終わるでしょ」
「シドーが? ……お前の無属性魔法は、魔王軍にしか効かないだろう。それでは、賊とは戦えない」
「戦えなくても、見張りくらいはできるよ! それに、一人でこっそり無理してるアレクシアを放っておく方が、僕は嫌だ」
アレクシアは、しばらく四堂悠太の顔を見つめていたが、やがて、ふっと小さく笑った。
「分かってはいたが……お前も、とんだお人好しだな」
「アレクシアほどじゃないよ」
そう言うと、アレクシアは、珍しく声を出して笑った。
「よし。では、今夜だけ、特別に付き合わせてやろう。だが、危険なことは私がやる。シドーは、大人しく後ろにいろ」
「うん、分かった」
二人は、月明かりの下、静かな街を並んで歩き出した。
(アレクシアが、こんなにも、誰にも言わずに頑張ってたなんて……)
隣を歩くアレクシアの横顔を、そっと見つめた。捨て身の覚悟を積み重ねる賭博も、こうして誰にも知られず街を守り続けることも、全部同じ場所から来ているのだと、今なら分かる気がした。
(騎士は、弱き者を守る者——か……)
その言葉が、しばらく心に、静かに残り続けた。




