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第三十話 頬に触れた誰かの温もり

 宿屋の部屋に戻って、ベッドに横になった。今日も色々あった。サンダーとの戦い、東雲柚月とヘレナの召喚実験失敗、そしてヘレナの最後の願い。


(僕にできることなら……か)


 ヘレナの即答を思い出すと、まだ胸の奥がちくりとする。彼女は迷わず前を向いていた。処刑された過去も、今の自分を作った糧だと言い切っていた。


 ——それに比べて、自分はどうだろう。


 目を閉じて、いつもの癖で、スターエレメントの顔を思い浮かべようとした。今夜も、あの温かい声を聞きながら眠りに落ちようとして——ふと、思考が止まった。


(……あれ)


 いつもならすぐ、脳内に完コピしたアニメ「スターナイツ」の映像を再生できていたのに、今夜は、何だか気が引けた。

 東雲柚月もヘレナも、四堂悠太が何年も前に、恥ずかしさに堪えながら書き上げたキャラだ。読んでもらえなかった、日の目を見なかった、黒歴史そのものだったキャラたちが、今この世界で、誰よりも真っ直ぐに前を向いて戦ってくれている。


(なのに僕は、まだエレメントの言葉に寄りかかってばかりだ)


 七年間、ずっとそうしてきた。エレメントに励まされて、エレメントの言葉を心の支えにして。それ自体は、後悔していない。彼女がいなかったら、そもそも小説なんて書き始めていなかった。

 ——何気ない拍子に、考えなくていいことが、頭をよぎった。


(無属性魔法……。誰かを呼び出すたびに、体力も気力もごっそり持っていかれる。しかも一度きりしか呼べないかもしれない。厳しい制約なのに、なんでか妙に……よくできてるんだよな)


 まるで、誰かがわざわざ用意したみたいに。ラノベだとよく、神様みたいな人が、チート能力を授けてくれる。場合によっては、丁寧に使い方まで教えてくれたりして。もしかしてこの無属性魔法も、誰かが何かの考えによって、授けてくれたのかもしれない。


(……いや、何を考えてるんだ、僕は。この世界で神様的な存在に、遭遇したこともないのに)


 馬鹿げた思考を振り払おうとした——その時だった。


 ——ふと、頬に何かが触れた気がした。

 風でも、虫でもない。もっと温かくて、もっと懐かしい——まるで誰かに、そっと頬を撫でられたような感覚だった。


(……え?)


 慌てて目を開けたが、薄暗い部屋には、当然誰もいない。窓は閉まっている。風なんて、吹きようがない。


(気のせい、だよな……?)


 そう自分に言い聞かせながらも、心臓が少しだけ速くなっているのが分かった。理由は分からない。でも、今の感覚は——知っている気がした。昔、スターナイツのイベント会場でエレメントに触れたときの、あの感じに、どこか似ていた。


(まさかな。エレメントがこんなところにいるはずない)


 馬鹿げた考えを、無理やり笑い飛ばした。

 もし今、本当にエレメントが目の前にいたら、何て言うだろう。


『今できなくても、頑張れば、きっといつかできるようになるよ』


 いつもの台詞が、頭の中で自動的に再生される。でも今夜は、その先が続かなかった。

 いつまで、彼女の言葉を借り続けるつもりなんだろう。ヘレナはもう、自分の足で立って、自分の言葉で前を向いていた。


(……僕も、そろそろ)


 そこまで考えて、四堂悠太は小さく苦笑した。


(そろそろ、何だよ。まだ何にも変わってないくせに)


 結局、答えは出ないまま、四堂悠太はルティナに頼まれたことを思い出した。


(そうだ……。残り九作品分のタイトル、思い出さないと)


 頬に触れた温かさのことは、もう考えないことにした。きっと、疲れているだけだ。

 そう思おうとしたところで、急な眠気に襲われて、四堂悠太はそのまま眠りに落ちた。


***


 翌朝も宿屋に籠って、九作品のタイトルを思い出そうとしていたが、初めて書いた小説のタイトルはすぐ思い出せたものの、残りがなかなか出てこない。「聖女ですが、何か?」だったか、「追放された聖女」だったか、「聖女だった件」だったか——似たようなタイトルばかりで、頭の中がこんがらがってくる。


(外の空気を吸いながら考えた方が、意外と記憶も蘇るかもしれないし)


 気晴らしも兼ねて、四堂悠太は街に出ることにした。


***


(「聖女だった件」はたぶん違う。「勇者パーティに追放された聖女」……これも違うし……)


 考え事に夢中になっているうちに、気づけば、あまり治安のよくなさそうな路地裏に迷い込んでいた。


(あれ……、なんかさっきと空気違うな……)


 ふと我に返って、周囲を見渡す。

 さっきまで歩いていた大通りとは、明らかに様子が違った。石畳はところどころ割れて、隙間から雑草が伸びている。両脇に並ぶ建物は、壁の漆喰が剥がれ落ち、木の骨組みがむき出しになっているところも多い。窓は板で塞がれているか、そもそも割れたまま放置されているかのどちらかだ。

 道の真ん中には、誰かが捨てたのであろうゴミが積まれ、饐えた臭いが鼻をつく。頭上を見上げると、建物と建物の間に洗濯物らしき布が何本も渡されていて、日差しをほとんど遮ってしまっている。おかげで昼間だというのに、薄暗い。


(うわぁ……、これは完全にアレだ。スラム街ってやつだ……)


 自分が今まで書いてきた異世界小説にも、こういう場所は何度か登場させたことがある。主人公が訳あって迷い込み、そこで意外な出会いをする——という、テンプレ展開の舞台装置として。


(でも実際に足を踏み入れると、想像してたのと全然違うな……)


 小説で書いていたときは、「薄汚れた路地」とか「治安の悪い裏通り」とか、その程度の描写で済ませていた。でも実際は、臭いも、湿度も、住人たちの視線も、文字では絶対に伝わらない重みがある。

 道端にしゃがみこんだ老人が、四堂悠太をぎろりと睨みつけてきた。反対側では、痩せこけた子どもたちが数人、壁に寄りかかって座り込んでいる。誰も声を発さない。ただ、値踏みするような目だけが、こちらに向いていた。


(……まずい、完全に浮いてる)


 制服姿の自分は、この場所には明らかに不釣り合いだった。冒険者ギルドで浮いていたときとは、種類の違う居心地の悪さだ。あのときは物珍しさだったが、今感じているのは、もっと剥き出しの、値踏みされるような視線だった。

 そそくさと引き返そうとしたところで、道の先——薄暗い路地の奥に、見覚えのある人影が、木箱を運んでいるのが見えた。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。個人的に気に入っているお話です。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

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