第二話 気配のない人
異世界での目覚めの少し前、四堂悠太は夢を見ていた。
白い天井。消毒液の匂い。
医者らしき人物たちが、ベッドに横たわった自分を取り囲んでいる。
(夢にしては、やけにリアルだ)
「これはもうダメですね」
「すぐに家族を呼びますか?」
「あー、どうせ間に合わないでしょうから、手が空いたら呼んでおいてください」
(……笑えないな)
笑えない、と思った次の瞬間——笑えた。
「ちなみに、今夜の夕飯どうします?」
「あ、近所に新しいラーメン屋できたじゃないですか。行きません?」
「いいですね。じゃあ一九時で」
(僕が死にかけてるのに、ラーメン食べに行く話⁉)
——あぁ、これが死か。
妙に冷静だった。痛みはなかった。
(……何でこんなことになったんだっけ)
ぼんやり自分の人生を振り返ってみた。七年間ワナビをやっていた。その集大成と思って、新人賞に応募した作品がまた落選した。
つまり、落選と死亡が同じ日に起きた。
(人生最悪の日の密度、えぐい)
ここまで悪運が重なれば、もう笑うしかない。人生の半分近くをワナビとして過ごしたけど、悪くない人生だったと思う。
(そもそも僕が、ワナビになったきっかけは……)
記憶を遡って——大切な日を思い出した。
ある日曜日の朝。いつもより少し遅く起きた四堂悠太は、ソファに寝っ転がって、母親が朝ご飯を作るのを待っていた。隣には五歳の妹も座っていて、テレビに夢中になっている。
画面に映っているのは、毎週日曜日の朝に放映される子ども向けアニメだった。
(幼児向けじゃん……)
自分だってまだ小学六年生のくせに、そう思っていた。ご飯ができるまでの暇つぶし。それくらいの感覚で、なんとなくテレビを眺めていた。
——そこに雷が落ちた。
比喩じゃない。本当に、全身に電撃が走ったような感覚だった。
画面の中で、魔法少女が変身する。光に包まれて、キラキラ輝いて——その瞬間、心が、全部持っていかれた。
(すごい……)
所詮は幼児向けだと侮っていた自分を、ぶん殴ってやりたい。
その番組の名前は「魔法少女スターナイツ」。
異世界からきた妖精ねこニャンが、「世界を救って欲しいニャン」と中学生の少女たちに頼み、彼女たちが魔法少女スターナイツに変身して、悪者と戦うという物語だ。
選ばれた五人の魔法少女の名前は——スターエレメント、スターサラマンダー、スターウンディーネ、スターシルフ、スターノーム。
彼女たちはぶつかり合い、傷つき、挫折しながらも、互いを支え合って立ち上がっていく。
綿密な世界観。魅力あふれるキャラクター。笑って泣けるストーリー。全部が全部、最高だった。
毎週日曜日に、「魔法少女スターナイツ」を見るのが、四堂悠太の一番の楽しみになった。やがて、こう考え始めた。
(どうやったら、こんな世界を創れるんだろう。僕にも、誰かを幸せにする物語を作れるのかな……)
答えは小説だと思いついた。
アニメを一人で作るのは無理でも、小説なら一人でできる。世界を創るなら、アニメも小説も関係ない。そう気づいた日から、四堂悠太は書き始めた。
(あの日の「スターナイツ」、もう一回見たかったな……)
***
目覚めてすぐは、異世界転生を疑っていた。そんなの、当然だ。
「待て待て待て。落ち着け、自分。歩道橋から落ちて死んだ? 異世界に転生した? ラノベじゃないんだよ、僕の人生は」
口に出してみたら、余計に混乱してきた。到底信じられないけど、目の前に広がる世界は、どこからどう見ても現代日本ではない。
——否定するより検証が先だ。
(……一旦、落ち着こう。ワナビ歴七年の僕が、この展開を知らないはずがない)
異世界転生もの、読んだことある。書いたこともある。ほとんど一次選考で落ちたけど。
ともかくこの状況、前例がある。
頭を切り替えて、冷静に状況を整理してみる。
着ているのは、いつもの学校の制服だ。身体的な感覚も転生前のまま。十八年間の記憶もしっかりある。つまり、「赤ちゃんに転生」でも「異形モンスターに転生」でも「悪役令嬢に転生」でもない。
元の肉体・記憶・精神をそのまま保った状態での異世界転生、というわけだ。
四堂悠太は、異世界転生小説を書いていたときに、毎回主人公に、自分の体の状態を確認させていたことを思い出した。他にも、
・周囲の状況。
・言語が通じるか。
・現代日本から持ち込んだアイテム。
・ステータスやチートスキルの有無。
などのチェックも欠かせない。
(前世……じゃなくて、前の世界でやってたことが役に立つとは)
嬉しくもないし、悲しくもない。ただ、虚しかった。
(けど今は、そんなこと気にしてる場合じゃない!)
気持ちを切り替えて、四堂悠太は考え直した。
周囲の確認はもうやったし、いきなり異世界の人に話しかける勇気はない。前の世界から持ってきたものはないかと、制服のポケットをごそごそ探ってみた。残念ながら、ハンカチとティッシュしか入ってない。財布かスマホくらい持ってこれば良かったと後悔した。
(まぁ……現代日本で流通してた通貨が使えるわけないし。ないものは諦めて次にいこうか)
これで残っているのは。
「ステータス確認か……」
目を閉じ、全集中で念じる。
「……出ない」
十秒待つ。
「……やっぱり出ない」
「ステータスオープン」
「Status Open」
「鑑定」
「スキル確認」
「……開けゴマ」
ステータスを開示できそうな言葉を一通り言ってみたけど、何も出てこなかった。
(そうか。ウインドウが出る設定じゃない世界か)
異世界に来て初めて声を出して喋ってみたのに、天の声も応答しなかった。ということは、異世界案内人みたいな人もいなさそうだ。
(自分が書いてきたのと、結構違うなぁ……)
ワナビとしての知識が、自分のいる異世界のテンプレを裏切り続ける。
ともあれ、ここが異世界であることは間違いなさそうだ。
(……てことは、あの医者たちの会話、夢じゃなくマジだったのか)
歩道橋から落ちた後、朦朧とした意識の中で聞こえた「これはもうダメですね」「どうせ間に合わないでしょう」というセリフを思い出して戦慄した。
(諦めるの早すぎやしないか? ……患者がそこにいるのに)
でも文句を言う相手は、もうどこにもいない。
いずれにせよ、四堂悠太は死んで、異世界に転生してきたのだ。腹をくくるしかないだろう。
ワナビだったころ、「異世界に転生したらやりたいことリスト」を作っていた。
チートな能力で無双する、スローライフを楽しむ、かわいいヒロインに出会う、伝説の剣を手に入れる、お店を開く——そんな夢が猛スピードで頭を駆け抜けた。
(今なら……、何だってできる!)
気持ちが上向いてきた、その時。
(お腹が減った……)
現実は残酷だった。
***
色んなことを考えながら二十分くらい歩いた頃、七階建ての頑丈な石造りの建物の前に到着した。出入りしている人たちを観察すると——甲冑の兵士風、分厚いローブの魔法使い風、それぞれいかにも「戦闘職」な人々が、ひっきりなしに出入りしている。
(ここ……冒険者ギルドじゃないか?)
いきなり当たりを引くなんて、ラッキー過ぎる。これからの全異世界生活の運を使い果たしたんじゃないかと不安になった。でも、そんなこと言っていられない。
恐る恐る、中に入ってみた。
広い室内は、冒険者風の人々でごった返していた。
しばらく中をのぞいていたら、周囲の視線が自分に集まっていることに気付いた。甲冑の男、ローブの女、毛皮を纏った大男——全員が、四堂悠太のことを見ていた。
(——そうか。学生服が浮きまくってるんだ)
ワナビとして書いてきた異世界転生小説では、主人公の服装問題はだいたい二ページ以内で解決してきた。
(あれ、なんで皆すんなり受け入れてたんだろ。書いてた自分が一番謎だわ)
ともかく、周囲が自分を見ているのは、敵意じゃなく物珍しさだと分かった。変に怯えた態度を見せれば、余計目立って怪しまれてしまう。
これ以上不審に思われないよう、四堂悠太は堂々と掲示板まで歩いていった。
掲示板の前には、色々な人間がいた。腕に包帯を巻いたまま次の依頼を探している女性、依頼票を手に連れの男と額を突き合わせて相談している二人組、一枚の紙を何分も眺めたまま動かない老人。それぞれが、それぞれの事情を抱えてここにいるのだろう。
【薬草採取依頼。ゼレ湿原や、エレカーヴィドの森西部に群生している薬草を百束。報酬は銅貨十枚 依頼主、商人ミラベル】
【エルドピットダンジョンを一緒に探索してくれる冒険者求む。報酬銀貨一五枚。依頼主、冒険者ヒューゴ】
【ラーブニリスの巣穴周辺モンスター討伐依頼。報酬銀貨五枚。依頼主、宿屋主人ゼファー】
【魔王軍の魔法攻撃によって石化された人たちを元に戻して欲しい。手段は問わない。報酬金貨十万枚。依頼主、冒険者ギルドマスター】
(依頼。報酬。冒険者。ギルド————‼)
自作小説に、何回書いたか分からない冒険者ギルドが、目の前にある。多くの冒険者たちに混じって、自分もこの場にいる。
これが歓喜せずにいられようか。落選し続けたワナビライフも、無駄じゃなかった。四堂悠太は、謎のテンションで、この場で踊りだしたいくらいだった。
(……待て待て、落ち着け、自分。いきなり変なことをして、出禁にでもされたら困る)
深呼吸をして、何とか自分を鎮めた。
冷静になったついでに、分かったことを整理してみる。
まず、ここは冒険者ギルドで確定だ。それから、翻訳されているのかは謎だけど、言葉も通じそうで、ほっとした。
掲示板をもう一度、今度は冷静に見てみた。
(銅貨・銀貨・金貨の価値感覚や依頼の報酬額は、異世界もので散々読んだし、自分も通貨設定を作っていたから何となく分かる)
転生前の知識から考えると、薬草採取の報酬が、相場より低い。
(この先冒険者ギルドの依頼を受けるときは、割の悪い依頼を避けるようにしないとな)
冷静になれたついでに、もう一度冒険者ギルドの中をよく見てみようと、周囲を見渡して気付いた。
——気配もなく、すぐ隣に人が立っていた。
驚いて左を見ると、全身を覆い隠すほど長い黒ローブを頭から目深にかぶった人物が、掲示板を眺めていた。顔は見えない。背丈は自分より少し低い。ただ、その「立ち方」が妙だった——人混みの中にいるのに、周囲と空気が混ざっていないような、そんな感覚。
(……いつから、いた?)
全く気配を感じなかった。それだけで、この人物が「普通ではない」と分かった。
「何か依頼を受けるんですか?」
あまりに凝視しすぎたせいか、唐突に話しかけられた。声は静かで、低くもなく高くもなく、感情の色がない。四堂悠太は焦った。
「あ……いえ、ちょっと覗いていただけで……」
覗いていただけなんて、不審人物と思われたらまずい。言いかけて、慌てて言い直した。
「じゃなくて……こ、この、魔王軍に石化された人たちっていうの、めちゃくちゃ怖いなぁと思いまして……」
我ながら情けない返答だった。でも、黒いローブの人物は動じなかった。動じなかった、というより——。
(反応が、薄い)
怪しむでも、笑うでも、呆れるでもない。ただ、じっと掲示板を見たまま、少し間を置いた。まるで、言葉を処理する必要すら感じていないかのように。
「……その依頼が、気になるんですか」
質問というより、確認しているみたいだった。
「気になるというか……、誰かが石化されたまま放置されてるって、なんか……」
言葉が続かなかった。自分でも何が言いたいのか、よく分からなかった。ただ何となく、胸の奥に引っかかりがあった。それだけだ。
黒いローブの人物が、初めてこちらを向いた。
顔は見えない。それでも、見られている、と分かった。品定めするような視線でも、値踏みするような視線でもない。もっと——何か別の、うまく言葉にできない種類の視線だった。
——数秒の沈黙。
(何か、変なことを言ったかな……?)
「……なるほど」
それだけだった。答えにもなっていない、短い一言。でも、その声のトーンが、最初と少しだけ違った気がした。気のせいかもしれない。
「では、近いうちにまたお会いするかもしれませんね」
踵を返し、人混みの中へ消えていく。足音が聞こえなかった。振り返ったときには、もうどこにも姿がなかった。いきなり隣にいたと思ったら、いきなり去って行ってしまった。
呆然と見送っていたその時、突然、頭の中で若い女性の声がした。同時に手のひらが、薄っすらと光った。
『わたくしをお呼びくださいませ。あのような者、瞬く間に片づけて差し上げますわ』
声や喋り方は上品なのに、彼女は物騒なことをささやいた。
「誰っ⁉」
慌てて問いかけてみたけど、脳内からは返事がない。薄っすら光っていた手のひらの光も、消えてしまった。
(……今の、何だったんだ? でも、この声、喋り方……、高貴で優雅だけれど、どこか影があって……そうか、以前書いた小説のキャラ、悪役令嬢のヘレナ・エンヴァークラウンに似ているんだ)
黒いローブの女性も、脳内の声も、光った手のひらも、分からないことだらけだ。
それでも、一つ分かったことがある。ワナビをやっていたから、よく分かる。
——きっと全部が、今後重要になってくる。そんな確かな予感がした。




