第二話 気配のない人
異世界での目覚めの少し前、四堂悠太は夢を見ていた。
白い天井。消毒液の匂い。
医者らしき人物たちが、ベッドに横たわった自分を取り囲んでいる。
(夢にしては、やけにリアルだ)
「これはもうダメですね」
「すぐに家族を呼びますか?」
「あー、どうせ間に合わないでしょうから、手が空いたら呼んでおいてください」
(……笑えないな)
笑えない、と思った次の瞬間——笑えた。
「ちなみに、今夜の夕飯どうします?」
「あ、近所に新しいラーメン屋できたじゃないですか。行きません?」
「いいですね。じゃあ一九時で」
(僕が死にかけてるのに、ラーメン食べに行く話⁉)
——あぁ、これが死か。
妙に冷静だった。痛みはなかった。
(……何でこんなことになったんだっけ)
七年間小説を書いて、その集大成と思って新人賞に応募した作品がまた落選した。
そして同じ日に、歩道橋から落ちた。
つまり、落選と死亡が同じ日に起きた。
(人生最悪の日の密度、えぐい)
ここまで悪運が重なれば、もう笑うしかない。
七年間を小説家志望として過ごしたけど、悪くない人生だったと思う。
***
目覚めてすぐは、異世界転生を疑っていた。そんなの、当然だ。
「待て待て待て。落ち着け、自分。歩道橋から落ちて死んだ? 異世界に転生した? ラノベじゃないんだよ、僕の人生は」
口に出してみたら、余計に混乱してきた。
到底信じられないけど、目の前に広がる世界は、どこからどう見ても現代日本ではない。
——否定するより検証が先だ。
(……一旦、落ち着こう。ワナビ歴七年の僕が、この展開を知らないはずがない)
異世界転生ものなら、読んだことも書いたこともある。ほとんど一次選考で落ちたけど。
着ているのは、いつもの学校の制服だ。身体も記憶も十八歳のまま。
どうやら赤ちゃんでも、人外でも、悪役令嬢でもなく、元の姿のまま異世界に来たらしい。
異世界転生小説を書くたび主人公にやらせてきたことを、自分でも試してみる。
まずは、現代日本から持ち込んだアイテム。
制服のポケットをごそごそ探る。
——ハンカチとティッシュしかなかった。
(せめて財布かスマホくらい持ってきたかった……)
ないものは仕方ない。
次は——。
「ステータス確認か……」
目を閉じ、全集中で念じる。
「……出ない」
十秒待つ。
「……やっぱり出ない」
「ステータスオープン」
「Status Open」
「鑑定」
「スキル確認」
「……開けゴマ」
ステータスを開示できそうな言葉を一通り言ってみたけど、何も出てこなかった。
(そうか。ウインドウが出る設定じゃない世界か)
これだけ声に出して呼びかけても、天の声は応答しない。
(自分が書いてきたのと、結構違うなぁ……)
ワナビとしての知識が、自分のいる異世界のテンプレを裏切り続ける。
(……てことは、あの医者たちの会話、夢じゃなくマジだったのか)
「これはもうダメですね」
「どうせ間に合わないでしょう」
あの言葉を思い出して戦慄した。
(諦めるの早すぎやしないか? ……患者がそこにいるのに)
でも文句を言う相手は、もうどこにもいない。
どうやら自分は、歩道橋から落ちて死に、この世界に転生したらしい。
そう思うと、昔作った「異世界に転生したらやりたいことリスト」が頭に浮かんだ。
チートな能力で無双する、スローライフを楽しむ、かわいいヒロインに出会う、伝説の剣を手に入れる、お店を開く——。
(今なら……何だってできる!)
気持ちが上向いてきた、その時。
(お腹が減った……)
現実は残酷だった。
***
色んなことを考えながら二十分くらい歩いた頃、四階建ての頑丈な石造りの建物の前に到着した。
甲冑姿の戦士や、分厚いローブを着た魔法使いらしき人たちが、ひっきりなしに出入りしている。
(ここ……冒険者ギルドじゃないか?)
恐る恐る中へ入ると、周囲の視線が一斉に自分へ集まった。
(——そうか。学生服が浮きまくってるんだ)
ワナビとして書いてきた異世界転生小説では、主人公の服装問題なんて、だいたい二ページ以内で解決してきた。
(あれ、なんで皆すんなり受け入れてたんだろ。書いてた自分が一番謎だ……)
敵意ではなく、物珍しさで見られているだけらしい。
なるべく堂々とした足取りで、掲示板へ向かった。
薬草採取、ダンジョン探索、モンスター討伐など、いかにも異世界らしい依頼が並んでいる。
(依頼。報酬。冒険者。ギルド——‼)
自作小説に何回書いたか分からない冒険者ギルドが、目の前にある。多くの冒険者たちに混じって、自分もこの場にいる。
これが歓喜せずにいられようか。落選し続けたワナビライフも、無駄じゃなかった。
謎のテンションで踊りだしたくなるのを必死でこらえながら掲示板を眺めていると、一枚だけ、明らかに報酬額の桁が違う依頼があった。
【魔王軍の魔法攻撃によって石化された人たちを元に戻して欲しい。手段は問わない。報酬金貨十万枚。依頼主、冒険者ギルドマスター】
(魔王軍……石化……)
さっきまで浮かれていた異世界が、急に現実味を帯びた——その時。
気配もなく、すぐ隣に人が立っていた。
驚いて左を見る。
全身を覆うほど長い黒ローブを、頭から目深にかぶった人物が掲示板を眺めていた。
顔は見えない。背丈は自分より少し低い。
人混みの中にいるのに、周囲と空気が混ざっていないような、妙な存在感があった。
(……いつから、いた?)
全く気配を感じなかった。それだけで、この人物が「普通ではない」と分かった。
「何か依頼を受けるんですか?」
凝視しすぎたせいか、唐突に話しかけられた。声は静かで、感情の色がない。
「あ……いえ、ちょっと覗いていただけで……」
それでは不審人物みたいだ。慌てて言い直す。
「じゃなくて……こ、この、魔王軍に石化された人たちっていうの、めちゃくちゃ怖いなぁと思いまして……」
「……その依頼が、気になるんですか」
「気になるというか……、誰かが石化されたまま放置されてるって、なんか……」
言葉が続かなかった。自分でも何が言いたいのか、よく分からなかった。
ただ何となく、胸の奥に引っかかった。それだけだ。
黒いローブの人物が、初めてこちらを向いた。
顔は見えない。それでも、見られている、と分かった。値踏みするような視線でもない。もっと——何か別の、うまく言葉にできない種類の視線だった。
——数秒の沈黙。
「……なるほど」
(何が⁉)
「では、近いうちにまたお会いするかもしれませんね」
そう言い残して、人混みの中へ消えていく。突然隣に現れたと思ったら、今度はあっさり去って行ってしまった。
足音すら聞こえなかった。
(何だったんだ、あの人……)
呆然と見送っていたその時。
突然、頭の中で若い女性の声がした。同時に手のひらが、薄っすらと光る。
『わたくしをお呼びくださいませ。あのような者、瞬く間に片づけて差し上げますわ』
「誰っ⁉」
慌てて問いかけても、返事はない。
手のひらの光も、消えてしまった。
(……今の、何だったんだ? でも、この声、喋り方……高貴で優雅だけれど、どこか影があって……)
この話し方に覚えがある。
(そうか。以前書いた小説のキャラ——悪役令嬢のヘレナ・エンヴァークラウンに似ているんだ)
黒いローブの人物。
頭の中に響いた、自分が書いたキャラクターを思わせる言葉遣い。
そして、光った手のひら。
分からないことだらけだった。
ただ、ワナビを七年もやってきた経験から、一つだけ確信できる。
(……これ、絶対あとで重要になるやつだ)




