第一話 小説家志望(ワナビ)、異世界転生したかもしれない
四堂悠太は、自分の部屋で正座していた。
待っているのは、正午に発表される小説の一次選考結果だ。
一年で最も重要な日といえば、誕生日やクリスマス、正月を挙げる人が多いかもしれない。
だが、四堂悠太にとっては、応募した小説の選考結果が発表される日こそ、一年で最も重要な日だった。
作家志望者——いわゆるワナビになって、七年。
毎回、朝から緊張しながら発表の時刻を待ち、結果を知っては、この世の終わりかと思うほどの絶望を味わってきた。
もういい加減、この辛い無限ループから抜け出したかった。
ちなみに、ペンネームは「ワラビー」。
ワナビに名前の似たオーストラリアの動物がいると知り、妙な親近感から付けたものだ。
(あっちはワラビーだけどね。まあ、細かいことは気にしない)
しかも、今回は十一作目。
七年間のワナビライフの集大成といってもいい、渾身の一作を応募した。
これが落ちたら、次に何を書けばいいのか分からない。
それほどの自信作だった。
四堂悠太は、壁掛け時計を睨みつけた。
家族は全員外出中。
静まり返った部屋には、時計の針の音だけが響いている。
時刻は、午前十一時四十二分。
結果発表は正午。
——あと十八分。
(大丈夫。今回は絶対通ってる)
毎回、この死刑宣告を待つような時間がたまらなく嫌だった。
今回こそは朗報に違いない。
大丈夫だ。
何度も自分に言い聞かせながら、正座したまま時計を見つめ続けた。
ちなみに、今日は日曜日だ。
学校は休みなのに、四堂悠太は制服を着ている。
理由は、ゲン担ぎだった。
初めて一次選考を通過した日。
——忘れもしない、中学三年生のあの日。
四堂悠太は制服姿で帰宅し、発表されたばかりの選考結果を確認した。
それまで五回連続で落選していたため、一覧にペンネーム「ワラビー」の文字を見つけても、すぐには信じられなかった。
(本当に僕が通過できたのか? 偶然、ペンネームと作品タイトルが同じ他人なんじゃないか?)
何度もサイトを確認し、さすがに疑いすぎだと自分でも笑ってしまった。
心から喜べるようになるまでには、しばらく時間がかかった。
八作目で二度目の一次突破を果たしたときも、同じように疑心暗鬼になった。
どうやら、何度経験しても慣れないものらしい。
そして、その二回とも、制服を着ていたのだ。
偶然かもしれない。
いや、もちろん偶然だろう。
それでも四堂悠太は、選考結果を見るときには、必ず制服を着るようになった。
ゲン担ぎは、ほかにもある。
四堂悠太は引き出しの奥から、一冊のノートを取り出した。
七年間の観察結果をまとめた、その名も「選考突破フラグノート」。
ページをぱらぱらとめくった拍子に、最初のページが目に留まった。
そこには、かすれた文字で、こう書かれている。
『働く車変形ロボ ワークギアー』
四堂悠太の、記念すべき第一作。
インクのかすれ具合まで、当時の必死さを物語っているようだった。
(思えば、ここから全部始まったんだよな……)
感傷に浸ったのも束の間、いつものようにゲン担ぎのページを開く。
・制服を着ている(有効。二回確認済み)
・朝食はトースト(有効。二回確認済み)
・提出前夜に、大好きなアニメ『魔法少女スターナイツ』の神回・第三十七話を視聴する(効果不明。七回試して二回通過)
・結果発表はスマホではなく、小説を書いている愛用のパソコンで見る(効果不明)
・応募要項を守って投稿する(当たり前では?)
・「絶対通過できる」と百回唱える(効果なし。むしろ落ちた)
・推しキャラのスターエレメントに「今回も頼む」と祈る(効果不明だが、やめられない)
そこまで読んで、四堂悠太は気づいた。
今朝は、パンがなかった。
だから、ご飯を食べた。
(……やばいかもしれない)
慌ててノートを閉じ、机の引き出しへ戻した。
カチ。
カチ。
カチ。
時計の針の音が、やけに大きく聞こえる。
そして——。
壁掛け時計の針が、正午を指した。
(……来た)
震える手でパソコンを操作し、出版社のサイトにアクセスする。
『第二十六回新人賞・一次審査結果発表』
そのページを開くと、通過した作品のタイトルとペンネームが、ずらりと並んでいた。
四堂悠太は、目を皿のようにして一覧を追った。
(……あった?)
いや。
(……ない?)
もう一度、今度はゆっくりと確認する。
(……やっぱり、ない)
念のため、百回くらい確認した。
どれだけ探しても、ペンネーム「ワラビー」も、自分の作品のタイトルも、そこにはなかった。
四堂悠太は、静かにパソコンを閉じた。
そして、机に突っ伏した。
七年間の集大成が、また落ちた。
「……ごめん、剣士のリオン。お前、世に出してやれなかった」
誰もいない部屋で、ぽつりと呟く。
「ごめん、魔法使いのニーナ。お前の魔法の設定、三十ページもかけて作ったのに」
返事はない。
「ごめん、悪役のグラード。お前、実はいい奴だってこと、誰にも伝わらなかった」
当然、返事はない。
「ごめん、モブAからモブZまで。名前すら付けてやれなかったのに……」
四堂悠太は、机に顔を埋めた。
(あぁ……枕、今夜も濡れるな)
***
気分転換に、外へ出た。
行き先なんてない。
ただ、あの部屋にいると息が詰まりそうだった。
財布もスマホも持たずに出てきてしまったことに気づいたのは、三十分ほどふらふらと歩いたあとだった。
だが、そんなことは、もうどうでもよかった。
(……これから、どうすればいいんだろう)
まずい。
今回の受賞を信じて、小説家になる気満々だったため、大学受験はしなかった。
就職先も探していない。
高校卒業まで、あと二か月。
その先の計画は、何もなかった。
(ははは……さすがに、やばいな)
笑おうとした。
だが、うまく笑えなかった。
あてもなく歩いているうちに、ふと、なぜ自分は小説を書き始めたのだろうと思った。
きっかけは、小学六年生のときに出会ったアニメだった。
『魔法少女スターナイツ』
妖精ねこニャンが中学生の少女たちに変身を頼み、彼女たちが世界を守るために戦う物語。
綿密な世界観。
魅力あふれるキャラクター。
笑って、泣けるストーリー。
すべてが、四堂悠太にとって最高だった。
中でも、主人公のスターエレメントは特別な存在になった。
傷ついても、何度でも立ち上がる。
一度決めたことは、絶対に諦めない。
頑張り屋で、仲間想いの魔法少女。
『失敗しても怖がらないで、またチャレンジしようよ。諦めなければ、絶対に夢は叶うんだから』
その言葉に、何度励まされたことだろう。
七年間、ずっと支えてもらってきた。
初めの頃は、恋に似た憧れもあったのかもしれない。
だが、今となっては、ガチ恋かと聞かれても少し違う気がする。
恋愛感情を通り越して、自分を救ってくれた女神様のような存在になっていた。
めでるとか、好きとか。
そういう気持ちより、崇拝に近い。
(そうか……初恋の頃は小学生で、何とかぎりぎりターゲットだったかもしれない僕も、今じゃすっかり大きなおともだちになってしまったな……)
四堂悠太は、力なく笑った。
どうすれば、こんな世界を創れるんだろう。
自分にも、誰かを幸せにする物語を作れるだろうか。
そう考えたとき、思いついたのが小説だった。
アニメを一人で作るのは無理でも、小説なら一人で書ける。
その日から、四堂悠太は小説を書き始めた。
そして、『魔法少女スターナイツ』のヒーローショーへ行った日。
ショーの最後に、大好きなスターエレメントと約束を交わした。
「絶対に小説家になって、『魔法少女スターナイツ』みたいな面白い作品を作る。エレメントが僕に幸せをくれたみたいに、誰かを幸せにするんだ!」
スターエレメントの拳と、自分の拳を突き合わせた。
あの日、固く誓ったのだ。
小説家になる夢をくれたのは、彼女だった。
振り返れば、この七年で、自分は随分と変わってしまった。
対して、エレメントは変わらない。
いつだって前向きで、みんなの夢を信じ、応援してくれる。
四堂悠太は、自嘲気味に笑った。
(……けど、その夢も約束も、もう終わったんだ)
同じ考えが、頭の中をぐるぐると回っていた。
だから、気づかなかった。
歩道橋の向こう側に、あり得ない人物が立っていることに。
金色の長い髪。
澄んだ緑色の瞳。
白いブレザーに、赤と黒のチェックのスカート。
(……え?)
四堂悠太は、足を止めた。
(な……何で……)
見間違いだ。
そう、自分に言い聞かせた。
きっと留学生か何かだろう。
精神的に参っているせいで、幻覚でも見ているのかもしれない。
だが、視線を外せなかった。
(……エレメント?)
足が、勝手に動いていた。
一歩、また一歩と近づく。
そのたびに、違和感が積み重なっていった。
肌の色。
髪の質感。
立ち姿。
どれも、周囲の景色に馴染んでいない。
まるで、別の「何か」から切り取って、この場所に置いたかのようだった。
(……おかしい。現実にいるはずがない。だとしたら、これは何だ?)
答えが出るより先に、少女が地を蹴った。
「……っ⁉」
一瞬で、目の前まで跳んできた。
(制服を着てても、むちゃくちゃタフな動き……‼)
間違いない。
やっぱり、エレメントだ。
七年間愛し続けてきた女神の顔を、見間違えるはずがなかった。
その肩の上には、小さな影があった。
橙色の毛並み。
大きな耳。
くるんと巻いたしっぽ。
妖精ねこニャンだ。
「ニャ……大丈夫ニャ? なんか顔色悪いニャ」
ねこニャンが小首を傾げ、顔を覗き込んでくる。
思ったよりも柔らかな声に、四堂悠太は少しだけ拍子抜けした。
そのとき。
「どうして……あの日交わした約束を、忘れてしまったの?」
エレメントが、悲しそうに言った。
アニメで何度も聞いた、あの声だった。
「…………」
四堂悠太は、何も言えなかった。
スターエレメントが目の前にいる。
その本人が、自分に話しかけている。
信じられない出来事に、頭がまるで追いつかなかった。
「エレメント、やっぱりこんなやつ放っておくニャ! どうせまた言い訳して、弱音を吐くだけニャ!」
ねこニャンが、突然怒り出した。
絶望感でいっぱいになっている心に、塩を塗り込まれた気分だった。
とはいえ、反論できなかった。
約束を破ってしまったのは、事実なのだから。
「ほーら、何も言えないニャ! 約束を破ったダサダサ最低野郎には、変身してエレメントパンチでもお見舞いしてやるニャ‼」
(……ちょっと待って⁉)
四堂悠太は、ぎょっとした。
(エレメントパンチって、地面に向かって撃てば、クレーターができるやつじゃないか‼)
魔法少女のマスコットとは思えないほど、物騒なことを言い出した。
エレメントは、少しためらうような様子を見せた。
だが、やがて制服のポケットから変身アイテムを取り出した。
「スターナイツ、スピリットチェンジ!」
まばゆい光が、エレメントの全身を包み込む。
「未来を夢見る希望の光! スターエレメント!」
数秒後。
金髪のボリュームが増し、白とピンクのふわふわした衣装をまとったスターエレメントが、そこに立っていた。
(……うわぁ)
四堂悠太は、息を呑んだ。
(アニメで何万回見たか分からない変身シーンを、まさか生で見られるなんて……)
こんな状況だというのに、目が離せなかった。
神々しい。
可愛すぎる。
感極まって、しばらく呆然と見つめてしまった。
「さぁ、エレメント! 約束も守れない弱虫の目を、覚まさせてやるニャ‼」
(……って、そんなん食らったら、目が覚めるどころか永眠するって‼)
ねこニャンに促され、エレメントが右手の拳をぎゅっと握り締めた。
(……あ)
ようやく、現実に引き戻された。
(見とれてる場合じゃなかった‼)
四堂悠太は、全力で逃げ出した。
歩道橋の階段を駆け下りる。
だが、焦りすぎた。
足が、もつれた。
(……あ)
踏み外した。
(まずい——)
体が前のめりになる。
次の瞬間。
四堂悠太は、歩道橋の階段を真っ逆さまに転げ落ちた。
痛みは、一瞬だった。
落ちていく視界の中に、太陽と重なって輝くスターエレメントが見えた。
きらきらと。
まぶしいくらいに。
(……綺麗だな)
不思議と、怖くなかった。
ただ、一つだけ思った。
(……約束、守れなかった)
それだけだった。
(……って、待って)
(これ、死んだ? 僕、死んだ?)




