第百五十七話 おかえりなさい、姫様
土の精霊の祠を出てから、数時間。
四堂悠太たちを乗せた馬車は、アルブリー王国の首都へと辿り着いた。
街へ近づくにつれ、道を行き交う人の数が増えていく。
サランセルゴ共和国の首都とは、随分と雰囲気が違っていた。
大通りには石造りの建物だけでなく、太い木材を組み合わせて造られた家や店も多い。軒先には色鮮やかな布が吊るされ、通りの両脇では肉や果物、革製品、武器などを扱う露店が所狭しと並んでいた。
そして、何より目につくのは人々の姿だった。
犬のような耳を持つ者。
長い尻尾を揺らしながら歩く者。
大柄な熊の獣人らしき男が、片手で大きな荷物を担いでいる横を、小さな兎耳の子どもたちが笑いながら駆け抜けていく。
(……やっぱり、獣人の国なんだな)
リデルと一緒にいることに慣れすぎていたせいか、これだけ多くの獣人を一度に見ると、改めて異世界へ来たことを実感する。
「懐かしいのう」
馬車の窓から街並みを眺めながら、リデルが呟いた。
黄褐色の猫耳が楽しそうに動いている。
「この店も、まだある。あそこの串焼きは美味いぞ」
「最初に見るところ、そこなんだ……」
「重要じゃろう」
「リデルさんは、どこへ行っても食べ物のお店だけはよく覚えていますからね」
「ルティナ、余計なことを言うでない!」
久しぶりに聞く、いつものやり取りだった。
四堂悠太は、思わず小さく笑った。
(……昨日の夜よりは、ずっといいな)
焚火の前で、この国に住む人々のことを心配していたときのリデルとは違う。
少なくとも今は、懐かしい故郷の景色を楽しむ余裕が戻っている。
街を行く人々は、馬車の中に王女がいることにはまだ気づいていない。
皆いつも通り買い物をし、商売をし、友人と笑い合っている。
肉を焼く香ばしい匂い。
露店から聞こえる威勢のいい呼び込み。
道を走り回る子どもたちの笑い声。
何も変わらない、いつもの日常がそこにあった。
(……本当に、この世界が滅びるのかな)
そんな光景を見ていると、スターウンディーネの言葉が嘘だったのではないかと思いたくなる。
けれど、あのときのウンディーネの表情を思い出せば、そう簡単に片づけることもできなかった。
やがて、大通りの先に大きな城が見えてきた。
アルブリー王国の王城だ。
巨大な石造りの城壁に囲まれ、その奥には何本もの塔がそびえている。華美な装飾は少なく、城というより巨大な要塞を思わせる堅牢な造りだった。
正面の門にはアルブリー王国の紋章が掲げられ、その左右には槍を持った獣人の兵士たちが立っている。
馬車がゆっくりと城門へ近づいていく。
最初にこちらへ気づいた兵士が、怪訝そうに目を細めた。
そして、馬車から降りたリデルを見た瞬間、目を見開く。
「…………え?」
「うむ。久しぶりじゃな」
「リ、リデライン様⁉」
次の瞬間。
「た、大変だ‼ 姫様がお帰りになったぞ‼」
「大変とはなんじゃ、大変とは!」
リデルの抗議などまるで耳に入っていないらしい。
兵士は勢いよく城門の方へ振り返った。
「陛下にお知らせしろ‼ リデライン様がお戻りになった‼」
「何⁉」
「姫様がお帰りになったぞ!」
「本当か⁉」
瞬く間に、城門の周囲が騒がしくなっていく。
(……リデライン様だったり、姫様だったりするんだな)
正式な場では「リデライン様」と呼ぶのだろうが、堅苦しいことを嫌うアルブリー王のもとでは、家臣たちもすっかりその気風に慣れているらしい。
ガルダやヘンリルがそうだったように、普段は親しみを込めて「姫様」と呼ぶ者も多いのだろう。
「あまり騒ぐでない‼ 我はただ帰ってきただけじゃ!」
「王女様が突然帰ってきたら、普通は騒ぐと思うよ」
「我は別に珍しい生き物ではないぞ!」
「そういう話じゃないよ……」
四堂悠太は苦笑した。
けれど、騒ぐ兵士たちを見ながら、リデルの尻尾が少しだけ嬉しそうに揺れていることには、何も言わなかった。
結局、四人はほとんど待たされることなく、そのまま王城の中へ通された。
城内も、外観と同じように豪華さより実用性を重視した造りだった。
天井は高く、太い石柱が廊下の左右に並んでいる。床には磨き上げられた石が敷かれ、壁には歴代の王や戦士たちを描いたらしい大きな絵が飾られていた。
すれ違う家臣や兵士たちは、リデルの姿を見るたびに足を止める。
「リデライン様……! お帰りなさいませ!」
「うむ!」
最初こそ少し照れていたリデルも、次第にいつもの調子を取り戻し、手を上げて応えていた。
何人もの人間が笑顔で迎えてくれる。
その様子を見ていると、ここがリデルの故郷なのだということが、四堂悠太にもよく分かった。
やがて広い謁見の間へ案内され、しばらく待っていると、広間の奥から一人の獣人が姿を現した。
一目でライオンと分かる、金色の立派な鬣と耳、そして尻尾。
大柄な身体には威厳があり、金糸で縁取られた豪奢な外套をまとっている。
アルブリー王だった。
王族らしい装いをしていても、その歩き方には歴戦の武人を思わせる力強さがある。以前リューベックで会ったときと、何も変わっていない。
そして、リデルの姿を見つけた瞬間、その厳めしい顔が一気にほころんだ。
「おお、リデル! 帰ったか!」
よく通る低い声が、広間いっぱいに響く。
(……やっぱり、娘の前だと王様というより普通のお父さんなんだよな)
四堂悠太は、以前と変わらないその姿に、思わず頬を緩めた。
「リデル!」
「父上」
アルブリー王は、大股でこちらへ近づいてくる。
「よく戻った!」
「はい。お久しぶりです、父上」
リデルも笑った。
その笑顔を見て、四堂悠太も少しだけ安心した。
やはり、会いに来てよかったと思った。
父と娘。
ほんの数日前までなら、ただそれだけの再会だったはずだ。
けれど四堂悠太は、すぐに僅かな違和感へ気づいた。
リデルは嬉しそうに笑っている。
父親の顔を見られて、本当に安心しているのだろう。
それでも、いつものリデルなら、もう少し騒がしかった気がする。
『父上、聞いて驚いてください! 我はこんなに活躍したのです!』
頼まれてもいないのに、自分の武勇伝を話し始めてもおかしくない。
今日は、それがなかった。
(……やっぱり、完全には忘れられないよね)
スターウンディーネの言葉が、頭をよぎる。
——この世界は、もうすぐ滅びます。
父親の顔を実際に見たことで、その言葉は昨日までとは少し違う重さを持ってしまったのかもしれない。
「元気そうで安心したぞ」
「我は元気にしております」
「そうか。ならば何よりだ」
アルブリー王は、満足そうに大きく頷いた。
その声も、その笑顔も、以前会ったときと何も変わらない。
だからこそ四堂悠太は、ほんの少しだけ胸の奥がざわつくのを感じた。
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