第百五十四話 怖いままでも、進める
「私……ウンディーネにも、相談したんです」
「ウンディーネに?」
「はい……」
スターノームは、涙の残る目元を拭いながら小さく頷いた。
その言葉を聞いて、四堂悠太は以前、水の精霊の祠でスターウンディーネと戦ったときのことを思い出した。
追い詰められ、アクアブレスを放たれた、あの戦い。
もう少し通信が遅ければ、どうなっていたか分からないというところで、突然小さな魔法道具が鳴った。
『ノーム? どうしたのですか?』
泣いている少女から届いた通信だった。
「あのとき、ウンディーネに連絡してきたのって……そういうことだったんだね」
「……え?」
スターノームが、きょとんとした顔をした。
——次の瞬間。
「あ……」
何かに気づいたように、大きく目を見開く。
「も、もしかして……あの時、ウンディーネ、四堂さんたちと戦ってたんですか⁉」
「うん」
「ご、ごめんなさいっ‼」
スターノームは、勢いよく頭を下げた。
「私、知らなくて……! 戦闘中に通信しちゃったんですねっ。本当にごめんなさい!」
「あ、いやいや」
今度は四堂悠太の方が慌てて両手を振る。
「むしろ助かったから!」
「……助かった?」
「ウンディーネが、ノームを一人にしておけないって言って、戦いを途中で切り上げてくれたんだ。あのまま続いてたら、本当にどうなってたか分からなかったから」
「そ、そうなんですか……?」
「うん。だから、こっちこそありがとう」
「…………」
スターノームは、しばらく不思議そうに首を傾げていた。
どうやら、自分の通信が四堂悠太たちを救っていたとは、本当に知らなかったらしい。
あのときは、まだ話したこともない少女へ、心の底から感謝した。
その本人が今、目の前にいる。
「それで……」
スターノームは少しだけ視線を落とした。
「あの時、どうしても怖くなってしまって……。自分一人じゃ、どうしたらいいのか分からなくなって……それで、ウンディーネに連絡したんです」
「ウンディーネは、なんて?」
「通信が終わったあと、すぐに来てくれました」
そのときのことを思い出したのだろう。スターノームの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「何も急かさないで、ずっと隣に座って、私の話を聞いてくれました。それで……『ノームが嫌なら、無理して戦わなくてもいいと思います』って」
「……ウンディーネらしいな」
「はい。ウンディーネは、優しいんです」
四堂悠太も、素直にそう思った。
スターウンディーネは、自分の考えを無理に押しつけるような少女ではない。相手の言葉を聞いて、その人自身が答えを出すまで待つ。
戦ったときもそうだった。
敵として立ちはだかってはいたが、どこか冷静で、相手のことをよく見ていた。
スターノームも、しばらくはそのときのことを思い出すように微笑んでいた。
「でも……」
すぐに、その笑顔が消えた。
「ウンディーネは、戦いました」
「…………」
「嫌でも、怖くても……エレメントのために、ちゃんと戦ったんです。シルフも、サラマンダーも……みんな」
スターノームは、黄色い衣装のスカートを強く握った。
「だから、余計に思ったんです」
また、声が震え始める。
「私だけ、駄目なんだって」
「ノーム……」
「みんなはできたのに、私はできない。エレメントの力になりたいって思ってるのに……それなのに、私は……」
「僕は逃げたよ」
「……え?」
スターノームが顔を上げた。
四堂悠太は、もう一度言った。
「僕は、逃げた」
「…………」
「エレメントたちと戦いたくなくて、ずっと逃げてたんだ」
口にすると、あの頃の感覚が少しだけ蘇ってくる。
胸の奥が冷たくなる。
エレメントが敵として現れたあの日。
何度も支えられてきた少女が、自分たちへ拳を向けた。
仲間たちは傷ついている。
戦わなければならない。
頭では分かっていた。
それでも、身体が動かなかった。
「戦わなきゃいけないって分かってても、怖くて……どうしても覚悟を決められなかった。エレメントを傷つけるのも嫌だったし、エレメントが自分の信じてきた人とは変わってしまったかもしれないって考えるのも怖かった」
「…………」
「それに……」
四堂悠太は、一度言葉を止めた。
「僕がこの世界で頑張ろうって思えた理由も、誰かの力になりたいって思えた理由も、ずっとエレメントからもらったものだったから」
だからこそ。
そのエレメントが世界を壊そうとしているという事実を、受け止めることができなかった。
「自分が信じてきたものまで、全部なくなるような気がしたんだ」
スターノームは、何も言わずに聞いている。
「そのせいで、とうとう無属性魔法まで使えなくなった」
スターノームが、驚いたように目を見開いた。
「魔法まで……?」
「うん。完全に」
改めて振り返ると、情けなくなるほど何もできなかった。
仲間たちは戦っている。
それでも自分は立ち上がれない。
唯一できたはずの召喚すら、使えなくなった。
「……情けないよね」
四堂悠太は、困ったように笑った。
だが、スターノームは笑わなかった。
じっとこちらを見ている。
「だから、本当に分かるんだ」
四堂悠太は続けた。
「怖くて動けなくなることも、自分だけが駄目なんじゃないかって思うことも」
「…………」
「だから、今戦えない自分を見て、『私だけ駄目なんだ』って決めなくてもいいと思う」
「でも……」
スターノームが、小さく呟いた。
「四堂さんは、今は戦えてます」
「うん」
「どうして……?」
四堂悠太は、すぐには答えなかった。
自分はどうして、もう一度進めるようになったのか。
怖くなくなったからではない。
答えが分かったからでもない。
エレメントを完全に信じ切れたからでもなかった。
しばらく考えて、一つだけ思い当たった。
「……一人じゃなかったから、かな」
「一人じゃない?」
「うん。みんなが待っててくれたんだ」
リデルが。
アレクシアが。
ルティナが。
旅の途中で出会った人たちが。
自分が書き、呼び出した物語の登場人物たちが。
そして。
七年前から何度も自分を励ましてくれた、エレメントが。
「一人だったら、多分まだ逃げてたと思う」
「…………」
「みんなが待っててくれたから、もう一回だけ進んでみようって思えた」
スターノームの瞳が、僅かに揺れた。
「怖くなくなったから戦えるようになったんじゃないよ」
「……怖いまま?」
「うん」
四堂悠太は頷いた。
「今だって、怖い」
「…………」
「戦った先に、エレメントやこの世界を助ける方法があるって、信じたいだけなんだ」
けれど。
そこまで言って、胸の奥にずっと押し込めていた考えが浮かんだ。
「もし……」
一度、言葉に詰まる。
「もし、そんな方法なんてなかったらって考えると、やっぱり怖いよ」
スターノームは黙っている。
「僕が信じてるだけで、本当は全部間違ってたらどうしようって思うこともある。だからそこは……エレメントを信じて、なるべく考えすぎないようにしてる」
四堂悠太は、また困ったように笑った。
「……本当は、今だってスターナイツとは戦いたくないんだ」
その言葉に、スターノームの瞳が大きく揺れた。
「四堂さんも……?」
「うん」
「今も……怖いんですか?」
「怖いよ」
今度は、迷わず答えた。
すぐに強くなる必要なんてない。
怖さが消えるまで、待たなければならないわけでもない。
迷ってはいけないわけでもない。
四堂悠太自身が、それを嫌というほど知っている。
「……怖いままでも、進めることはあると思う」
スターノームは、しばらく何も言わなかった。
ただ、その言葉を確かめるように、小さく俯いた。
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