第百四十四話 この運命は、誰にも変えられません
巨大な水の塊が、スターウンディーネの前へ収束していく。
「——アクアブレス」
轟音と共に、圧縮された大量の水が一気に解き放たれた。
「聖壁!」
フェイラの前に、これまでとは比べものにならないほど巨大な光の障壁が展開される。
直後、水の奔流が激突した。
祠の中に凄まじい音が響き、光の壁全体が大きく震える。
水圧に押され、フェイラの足が石畳の上を滑った。
一歩。
二歩。
三歩。
「……っ!」
それでもフェイラは両手を前へ向け、必死に障壁を維持し続ける。
「すごい力だね……!」
「まだです」
スターウンディーネがさらに魔力を込めた。
押し寄せる水の勢いが増し、光の壁に細かな亀裂が走る。
「フェイラ!」
「大丈夫!」
そう答えたフェイラの額には、汗が滲んでいた。
亀裂は少しずつ広がっていく。
だが、フェイラは力任せに押し返そうとはしなかった。
水の向こう側に立つスターウンディーネを、じっと見つめている。
「……やっぱり」
激しい水音に紛れそうな、小さな声だった。
「あなた、悲しいんだね」
「……何を」
スターウンディーネの表情が、初めて大きく揺れた。
フェイラは、胸の前で静かに両手を組む。
祈るように。
「だったら……もう、これ以上戦わなくてもいいんじゃないかな」
「私は、戦わなければなりません」
「どうして?」
「それは——」
スターウンディーネの言葉が止まる。
ほんの僅かな沈黙のあと、彼女は目を伏せた。
「……話せません」
「そっか」
フェイラは責めることもなく、静かに頷いた。
「じゃあ、話さなくてもいいよ」
「……え?」
「無理に聞くつもりはないから」
その言葉と共に、フェイラの身体から柔らかな光が溢れ始めた。
四堂悠太は、思わず目を細める。
祠の中を満たすほどの光なのに、不思議と眩しくはなかった。
春の日差しのような、柔らかく暖かな光だ。
見ているだけで、張り詰めていたものが、少しずつ解けていくような気がする。
(……これが、フェイラの魔法)
長い間ずっと気を張り続けていた人が、ようやく安心して休める場所へ辿り着いた——四堂悠太には、そんな光に見えた。
「ただね」
フェイラが、静かに言う。
「少しだけ、楽になって」
スターウンディーネが放っていた水の勢いが、僅かに弱まった。
「《聖女の祈り》」
柔らかな光が、水の精霊の祠全体へ広がっていく。
そして、スターウンディーネの身体をそっと包み込んだ。
フェイラの聖壁へ叩きつけられていた水の奔流が、力を失ったように崩れ落ちる。
「……っ」
彼女が目を見開く。
痛みはない。
身体を傷つける力でもない。
むしろ、その逆だった。
ずっと張り詰めていた何かが、光に触れたところから少しずつ緩んでいく。
「これは……」
「あなたを傷つけるための魔法じゃないよ」
フェイラの声が、光の向こうから優しく響く。
「辛いこととか、苦しいこととか。ずっと我慢してると、自分でも分からなくなることがあるから」
「やめて……ください」
「うん。嫌なら、やめるよ」
フェイラがそう言うと、スターウンディーネを包んでいた光はゆっくりと薄れ、やがて消えていった。
それ以上、魔法で彼女の心に踏み込もうとはしなかった。
ただ、しばらくスターウンディーネを見つめたあと、フェイラは静かに尋ねた。
「一つだけ、聞いてもいい?」
スターウンディーネは答えない。
「どうして、この世界を壊そうとするの?」
水の音だけが響いている。
「この世界の人たちは、みんな悲しんでる。戦わずに済む方法は、本当にないのかな」
——その瞬間。
祠の中から、すべての音が遠のいたような気がした。
「…………」
スターウンディーネの瞳が、どこか遠くを見るように揺れている。
「ウンディーネ?」
「……壊さなくても」
「え?」
小さな声だった。
「私たちが……壊さなくても……」
言葉が、一つずつ零れ落ちていく。
まるで、胸の奥へ押し込め続けていたものが、緩んだ心の隙間から溢れ出してしまったように。
「この世界は……もうすぐ滅びます」
四堂悠太は一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。
「……え?」
隣にいるリデルも、アレクシアも、ルティナも動かない。
誰も、何も言わない。
スターウンディーネだけが、夢の中にいるような目で続きを口にした。
「この運命は……誰にも、変えられません」
静かだった。
先ほどまで激しくぶつかり合っていた魔力も水も消え、祠の中には、元から流れていた水の音だけが響いている。
ついさっきまで、四堂悠太が考えていたのは、この戦いに勝てるかどうかだった。
フェイラを召喚できた。
スターウンディーネとも互角に戦えている。
今度こそ、スターウンディーネを超えて、エレメントに近づける。
そう思っていた。
なのに。
(……この世界が、滅びる?)
何を言っている。
スターウンディーネたちが壊すから、滅びるのではない。
彼女たちが何もしなくても、この世界は終わる。
(そんなの……)
そのときだった。
「…………え?」
スターウンディーネの瞳に、突然、光が戻った。
「私……」
呆然とした様子で周囲を見回す。
そして、自分が何を口にしたのか理解したのだろう。
みるみる顔から血の気が引いていった。
「……私、今……何を……」
フェイラも、はっとしたように目を見開いた。
「ごめん。言わせるつもりじゃなかったんだ」
「……エレメント」
スターウンディーネの声が震えた。
「……ごめんなさい」
次の瞬間、彼女の足元から水が噴き上がった。
「ウンディーネ!」
フェイラが呼びかける。
だが、スターウンディーネは答えなかった。
激しい水流がその身体を包み込み、水色の髪が水の中で大きく揺れる。
一瞬だけ、スターウンディーネが四堂悠太たちを見た。
そこに、先ほどまでの冷静さはなかった。
焦り。
後悔。
そして、ほんの僅かな恐怖。
「……っ」
何かを言いかけるように唇が動く。
だが、その言葉が音になることはなかった。
次の瞬間——。
スターウンディーネの姿は、水とともに消えていた。
「……消えた?」
リデルが呟く。
誰も追おうとはしなかった。
いや、追えなかった。
四堂悠太はしばらく、スターウンディーネが消えた場所を茫然と見つめていた。
(エレメント……?)
なぜ、そこでスターエレメントの名前が出てくる。
(エレメントは……知っているのか?)
だが、そんなはずはない。
四堂悠太は『魔法少女スターナイツ』を、何度見返したか分からない。
エレメントに未来を予知する能力などなかった。
未来へ行く力も、過去へ戻る力もない。
時間そのものを操るような魔法だって、一度も使っていない。
それなのに、スターウンディーネは言った。
まるで、すでに決まっている未来を知っているかのように。
——この世界は、もうすぐ滅びます。
——この運命は、誰にも変えられません。
昨日、リデルは言った。
世界が平和になったらアルブリー王国へ帰り、王になるために父から学ぶ、と。
アレクシアも、サランセルゴ共和国へ戻り、もう一度騎士として生きていくと決めた。
そして今朝。
ルティナは、正式にリューベックの領主になると話してくれた。
四堂悠太は、そのすべてを叶えたいと思った。
三人が笑って、それぞれ自分で選んだ未来へ歩いていけるようにしたい。
そう思った。
なのに。
(……その未来が、ない?)
胸の奥が、すっと冷たくなる。
今朝、まだ何も知らず、頭の中だけで大騒ぎしていた自分の言葉が蘇った。
——死亡フラグじゃん‼
あのときは、ただのラノベあるあるだと思っていた。
縁起でもないことを考えたと、自分で打ち消して終わった。
けれど、今は。
笑えなかった。
どうしても笑えなかった。
以前、活動報告で「もうすぐ物語が動きます」と書きましたが、ようやくそのお話をお届けできました。
「やっとか!」と思われた方もいらっしゃるかもしれません(汗)
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
ここから少しずつ、物語の核心に近づいていきます。引き続き楽しんでいただけましたら嬉しいです。




