第百四十二話 聖女って呼ばれてるけど、そんなに大したものじゃないよ
身体の奥から、無属性の魔力が溢れ出す。
四堂悠太がタイトルを口にした瞬間、明るかった空が突然真っ暗になり、上空にキラキラ光る円陣が出現した。
円陣の中央から眩い光が降り注ぎ、水の精霊の祠を白く染め上げていく。その光の中に、一人の少女の姿が浮かび上がった。
「……!」
スターウンディーネが、僅かに目を細める。
やがて光が収まると、そこには長い金色の髪を背中へ流した、一人の少女が立っていた。
白を基調とした服に、淡い青の外套。華美な装飾はほとんどなく、聖女という肩書から想像するような豪華な法衣も、立派な杖も持っていない。
街中ですれ違えば、少し育ちの良い普通の少女にしか見えないかもしれなかった。
ただ、その身体を包む柔らかな光だけは、彼女が並の人間ではないことを静かに物語っていた。
「……ここ、どこ?」
少女は辺りを見回し、足元を流れる水に気づくと、嬉しそうに微笑んだ。
「水がいっぱいだね。綺麗な場所」
これから戦いが始まるというのに、まるで初めて訪れた観光地の景色を楽しんでいるかのようだった。
「フェイラ!」
四堂悠太が呼ぶと、少女がこちらを振り返った。
「ん?」
「フェイラ・エルメール! 僕のこと、分かる?」
「あ、創造主様だ。こんにちは」
「こ、こんにちは」
あまりにも自然に挨拶されたので、思わず返してしまった。
フェイラはしばらく四堂悠太を見つめていたが、やがて少しだけ目を丸くした。
「……私の名前を覚えてくれてるんだ」
「もちろん覚えてるよ!」
つい先ほどまで、忘れないようにタイトルを何度も復唱していたことは、ひとまず棚に上げておく。
フェイラは嬉しそうに微笑むと、今度は向かいに立つスターウンディーネへ視線を移した。
「えっと……あの子と戦えばいいのかな?」
「話が早くて助かる!」
「できれば、戦わない方がいいんだけどね」
「……そうだったね」
思い出した。フェイラは、そういう女の子だった。
彼女は困ったように笑いながら、スターウンディーネへ向き直った。
「あなたが、スターウンディーネだよね?」
「はい」
「私はフェイラ・エルメール。聖女って呼ばれてるけど……まあ、そんなに大したものじゃないよ」
「聖女……ですか」
スターウンディーネは、相手の力量を確かめるように、フェイラの姿を静かに観察していた。
「あなたも、私を倒しに来たのですか?」
「うーん……」
フェイラは少し考えるように頬へ指を当てる。
「倒すっていうのは、ちょっと違うかな」
「では?」
「創造主様を先へ行かせてあげたい。それと……あなたが何か困ってるなら、それもどうにかできたらいいなって思ってる」
スターウンディーネの目が、僅かに細くなった。
「私は、困ってなどいません」
「そう?」
「はい」
「そっか」
フェイラは、それ以上追及しなかった。
「じゃあ、とりあえず……通してもらえないかな?」
「それはできません」
「だよね」
フェイラは少し残念そうに笑うと、その身体を包んでいる光を、ゆっくりと強めていった。
「なら仕方ないか。なるべく痛くないようにするね」
「お気遣い、感謝致します」
スターウンディーネも、静かに構えた。
「ですが、それはこちらの台詞です」
次の瞬間、水面が大きく弾けた。
「速っ——!」
四堂悠太が思わず声を上げる。
スターウンディーネの姿が、一瞬で視界から消えたように見えたのだ。
だが、フェイラは慌てなかった。眼前に迫ったスターウンディーネへ片手を向け、短く唱える。
「聖壁」
その声と同時に、二人の間へ透明な光の障壁が出現した。
直後、スターウンディーネの拳が激突する。
甲高い音が響き、光の壁が大きく揺れた。しかし、スターウンディーネは攻撃の手を緩めない。
拳、掌底、そして蹴り。目にも留まらぬ速さで繰り出される連撃が、一撃ごとに障壁を震わせ、表面へ細かな亀裂を刻んでいく。
フェイラの浄化魔法は、その名の通り万能だった。本来の浄化はもちろん、攻撃にも防御にも応用でき、作中では大抵のことを浄化魔法で解決してしまう。
(……万能って、本当に便利な言葉だよな)
設定に困ったら、とりあえず万能にしておけば大抵の問題は解決する。少なくとも、二年前にこの小説を書いたとき、自分はそう信じていた。
いや、今でも少しはそう思っている。
「すごいね……!」
フェイラは素直に感心した様子だったが、慌てることなく後方へ下がり、今度は空いている方の手を掲げた。
「聖光弾」
彼女の周囲に、淡い光の球がいくつも浮かび上がった。
それらは一斉に放たれ、スターウンディーネへ向かって飛んでいく。
スターウンディーネは最初の光弾を、身体を傾けてかわし、続く二発目、三発目も、最小限の動きで避けていった。
だが、四発目をかわしたところで、その足が初めて止まった。
「……なるほど」
スターウンディーネの視線が、周囲へ向けられる。
四堂悠太も、ようやく気づいた。
フェイラの光弾は、最初から相手に命中させるために放たれたものではなかったのだ。
左右へ回避できる場所を塞ぎ、前方への踏み込みを妨げ、少しずつ退路を狭めていく。光弾の一つ一つが、スターウンディーネの動きを制限するために配置されていた。
「攻撃ではなく、私の動きを制限しているのですね」
「うん。できれば、当てたくないから」
「随分と優しい戦い方をされるのですね」
「痛いのって、嫌じゃない?」
「……戦いとは、そういうものだと思いますが」
「そうかな。痛くなくて済むなら、その方がいいと思うよ」
フェイラが、柔らかく微笑む。
これほど激しい戦いの最中だというのに、その表情には不思議なほど穏やかなものがあった。
スターウンディーネはそれに答えず、足元を流れる水を強く蹴り上げた。
水飛沫が勢いよく舞い上がり、フェイラの視界を一瞬にして覆い尽くす。
「わっ」
その僅かな隙を、スターウンディーネは見逃さなかった。
水飛沫の向こうから一気に距離を詰め、光の障壁を回り込むようにして、フェイラの懐へ潜り込んだ。
「フェイラ!」
四堂悠太が叫ぶ。
だが、フェイラが障壁を展開し直すよりも早く、スターウンディーネの掌底が彼女の腹部を捉えた。
「……っ!」
鈍い衝撃音とともに少女の身体が後方へ吹き飛ばされ、濡れた石畳を滑った末に、ようやく片膝をついて止まった。
「大丈夫⁉」
思わず駆け寄ろうとした四堂悠太を、フェイラが片手を上げて制した。
「うん。大丈夫だよ」
そう答えながらも、腹部を押さえて立ち上がる彼女の顔には、僅かに苦痛の色が浮かんでいた。
さすがのフェイラも、今の一撃は相当痛かったに違いない。
しかし、次に彼女が口にした言葉は、悠太の予想とはまるで違っていた。
「ウンディーネ、手は大丈夫?」
「……はい?」
「今、思いっきり私を叩いたから。手、痛くなかった?」
スターウンディーネが呆気に取られたような顔をした。
「……殴られた側が、殴った側の心配をするのですか?」
「だって、私は治せるから」
フェイラは当たり前のことのように答えると、自分の腹部へそっと手を当てた。
「癒光」
その手のひらから柔らかな光が溢れ、傷ついた身体を優しく包み込んでいく。
やがて光が消える頃には、先ほどまで浮かんでいた苦痛の色も、すっかりなくなっていた。
「ほら」
フェイラが、何事もなかったように微笑む。
スターウンディーネはしばらく彼女を見つめていたが、やがて小さく息をついた。
「……変わった方ですね」
「よく言われるよ」
その言葉を聞きながら、四堂悠太はふっと身体が揺れるのを感じた。
召喚の直後から全身にじわじわと広がっていた重さが、戦いを見守っている間も残っていたのだ。
「シドーさん」
ルティナが、すぐに傍へ来た。
「大丈夫ですか?」
「うん……ちょっと、力が抜けただけ」
「無属性魔法を使った後は、いつもそうなりますね」
責めるでもなく、心配しすぎるでもない、静かな声だった。
「……気づいてたの?」
「魔力を大量に使えば、身体に負荷がかかります。魔法使いなら、見ていれば分かります」
「……そっか」
四堂悠太は、思わず苦笑した。
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