第百四十一話 役立たず聖女と呼ばれた私ですが、実は万能の浄化魔法持ちでした
「『役立たず聖女と呼ばれた私ですが、実は万能の浄化魔法持ちでした』……」
水の精霊の祠へ向かう馬車の中で、四堂悠太は、忘れないようにと小さな声でタイトルを呟いていた。
「『役立たず聖女と呼ばれた私ですが、実は万能の浄化魔法持ちでした』……」
念のため、もう一度繰り返す。
「『役立たず聖女と呼ばれた私ですが、実は万能の浄化魔法持ちでした』……」
「シドー」
「なに?」
アレクシアが、怪訝そうに四堂悠太へ顔を向けた。
「先ほどから、何をぶつぶつ言っているんだ?」
「タイトルを忘れないようにしてる」
「……自分で書いた小説の?」
「うん」
アレクシアはしばらく四堂悠太の顔を見つめていたが、やがて何とも言えない表情になった。
「大丈夫なのか、シドー」
「僕が一番不安だよ‼」
「威張って言うことではないぞ!」
馬車の中では、リデルまで呆れたように腕を組んでいる。
「しかし、お主。一度思い出したのであろう? ならば、もう忘れんのではないか?」
「そう思うでしょ?」
「違うのか?」
「昨日寝る前に、『実は最強の浄化魔法持ちでした』だったような気がして、一回不安になった」
「もう危ないではないか‼」
「だから復唱してるんだよ‼」
実際、四堂悠太が不安になるのも無理はなかった。
前回、水の精霊の祠でスターウンディーネと戦った際、四堂悠太は思いつく限りの聖女ものらしいタイトルを五つも叫び、そのすべてを外している。
しかも、そのうちの一つが、
『役立たず聖女と呼ばれた私ですが、本当は万能の浄化魔法持ちでした』
だったのだ。
正解は『本当は』ではなく、『実は』。
違っていたのは、たったそれだけだった。
(……五つも叫んでかすりもしないって思ったけど、かすってたじゃないか‼)
我ながら、よくもこれほど似たような題名を即興で思いついたものだと思う。
もっとも、あのときは五つとも本気で正解だと思っていたのだから、笑い事ではない。
(もっと個性的なタイトルをつけてくれよ、昔の自分‼)
前回、心の中でそう叫んだことを思い出し、四堂悠太は小さくため息をついた。
しかし、冷静に考えてみれば、今回の失敗は昔の自分だけの責任でもなかった。
新人賞で結果が出ず、勉強のために異世界小説を読み漁り、流行の設定を研究していた頃のことだ。追放、婚約破棄、転生、辺境、浄化、溺愛。そうした要素を組み合わせれば、読者の興味を引けるのではないかと、随分頭を悩ませたものだった。
その結果、今では自分が実際に書いたタイトルと、頭の中で勝手に作り上げたタイトルの区別すら怪しくなっている。
(……七年間の努力が、こんな形で自分の首を絞めるなんて思わなかったよ)
「大丈夫じゃ、シドー。どうしても召喚できなんだときは、我のハンマーで何とかしてやる!」
「……本当に何とかできると思ってる?」
「うっ」
四堂悠太が思わず聞き返すと、リデルは言葉に詰まった。
前回、三人がかりでもスターウンディーネには歯が立たなかった。威勢よく言ってはみたものの、それを一番よく分かっているのもリデル自身なのだろう。
「……正直に言えば、難しいじゃろうな」
少しだけ悔しそうに呟いてから、リデルは四堂悠太を真っ直ぐ見た。
「三幹部よりも、さらに魔法少女たちの方が強い。それくらいは、我にも嫌というほど分かった。今のままでは、我のハンマーも通じぬかもしれん」
「リデル……」
「じゃが、だからといって、これから先もシドーに全部任せておけばよいとは思わぬ」
リデルは膝の上で拳を握った。
「お主が召喚できる者にも限りがあるのであろう? それに、元々ここは我らの世界じゃ。我ら自身も、できることを考えねばならぬ」
「……ああ」
アレクシアが静かに頷いた。
「私も同じ考えだ。力が及ばないからといって、シドー一人に頼り切るわけにはいかない。今まで通じなかったのなら、次はどうすれば通じるのかを考える。それも私たちの役目だ」
「そうですね」
ルティナも、柔らかく微笑んだ。
「戦い方も、魔法の使い方も、まだ工夫できることはあると思います。ですから、シドーさん」
「うん?」
「私たちのことも、ちゃんと頼ってくださいね」
「…………」
今度は、四堂悠太が言葉に詰まった。
自分が何とかしなければならないと、いつの間にか思い込んでいたのかもしれない。
けれど、この旅を続けているのは、自分一人ではない。
「……うん。ありがとう」
「とはいえ、今回は題名を思い出しておるのじゃろう?」
「思い出してるよ!」
「ならば、まずはちゃんと召喚せい」
「急に僕へ戻すなよ‼」
「使えるものは、何でも使うのが最善じゃ」
「さっきの格好いい話はどこに行ったの⁉」
ルティナが口元を押さえ、アレクシアも小さく肩を揺らした。
それにしても、自分が書いた小説のタイトルを思い出すだけで、これほど苦労することになるとは。
小説を書いていた頃は、登場人物の名前も、物語の設定も、頭の中にはっきりと思い描けていた。それなのに、年月が経てば、あれほど夢中になって考えたことさえ曖昧になってしまう。
少し寂しい気もするが、それでも、忘れてしまった物語が消えてなくなったわけではない。
こうして一つずつ思い出すたび、かつて自分が生み出した世界が、再び鮮やかな輪郭を取り戻していくのだから。
そんなことを考えているうちに、馬車は水の精霊の祠へと続く道へ差しかかった。
前回と同じ場所で馬車を止め、四人はそこから徒歩で祠へ向かう。
透明な水が幾筋にも分かれて流れ、古びた石造りの建物を取り囲んでいた。足元の石畳には薄く水が張り、一歩踏み出すたびに、小さな波紋が静かに広がっていく。
水面には空の光が映り、風が吹くたび、細かな光の粒が揺れた。
前回来たときと、何一つ変わっていない。
静かで、美しい場所だった。
だが、その静けさが、今の悠太にはかえって不気味に感じられた。
「……来るぞ」
アレクシアが低い声で告げる。
祠の奥、流れる水の向こう側に、一人の少女が立っていた。
淡い水色の長い髪に、水を思わせる青と白の衣装。穏やかな表情を浮かべているにもかかわらず、その立ち姿には相変わらずほとんど隙がない。
スターウンディーネ。
「また、お会いしましたね」
四堂悠太たちの姿を認めると、スターウンディーネは前回と変わらない落ち着いた様子で、丁寧に一礼した。
「四堂さん。今回は、題名を思い出せましたか?」
「いきなりそこ⁉」
「前回、とてもお困りのようでしたので」
「ウンディーネに、そこまで心配されるなんて……」
スターウンディーネは、僅かに首を傾げた。
「ですが、とても大切なことなのでは?」
「大切だけど!」
「でしたら、確認しておいた方が良いかと思いまして」
「……お気遣いありがとう」
どうやら、彼女は本気で心配してくれているらしい。
それが分かるだけに、四堂悠太としても反論しづらかった。
「シドー、遊んでいる場合ではないぞ」
アレクシアに注意され、四堂悠太は大きく息を吸った。
そうだ。前回は、スターウンディーネ一人を相手に、三人がかりでもまるで歯が立たなかった。
リデルの力も、アレクシアの絶対防御も、ルティナの魔法も、すべてを冷静に観察され、その場で対処法を考え、一つずつ崩されていった。
最後にはアクアブレスを受け、スターノームから連絡が入らなければ、その後どうなっていたかも分からない。
同じことを繰り返すわけにはいかない。
「みんな」
四堂悠太は、三人を振り返った。
「今回は、最初から僕にやらせて。必要になったら、ちゃんとみんなを頼るから」
「召喚か?」
「うん」
リデルが、疑うように目を細める。
「本当に題名は大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫!」
「さっきまで復唱しておったが」
「今は大丈夫‼」
四堂悠太はスターウンディーネへ向き直り、胸の奥へ意識を集中させた。
今度は迷わない。
思い描くのは、かつて自分が生み出した一人の少女、フェイラ・エルメール。
役立たずの聖女と呼ばれながらも、傷ついた人のそばへ行き、その話に耳を傾け、誰も救えないと言われた人にまで手を伸ばし続けた少女だ。
戦うことよりも、救うことを選んだ聖女。
その姿は、長い年月を経ても、四堂悠太の記憶の中に確かに残っていた。
あとは、彼女をこの世界へ呼び出すだけだ。
四堂悠太は、かつて自分が書き上げた物語の名を、高らかに叫んだ。
「『役立たず聖女と呼ばれた私ですが、実は万能の浄化魔法持ちでした』‼」
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