第百三十八話 なら、帰ってこい
後輩や同期との再会が一段落すると、アレクシアは一人で訓練場へと足を運んだ。
夕暮れが近づいていた。
昼間の訓練はすでに終わり、先ほどまで若い騎士たちの声が響いていた広い訓練場にも、今は誰の姿もない。
中央まで歩いて足を止めると、夕方の風に乗って、昔と変わらない砂の匂いがした。
(……十三歳だったな。私が見習い騎士になったのは)
あの頃は、まだ三国間戦争が続いていた。
国王は領土を広げるため、何度失敗しても戦争をやめようとはしなかった。騎士や傭兵だけでは足りず、やがて民まで戦場へ送られるようになり、それでも戦いは続いた。
アレクシアの父も、そうして帰ってこなかった一人だった。
やがて国の中で積み重なった不満が限界を迎え、上級貴族と民が王へ反旗を翻した。王制は終わり、サランセルゴ共和国が誕生した。
新しい国は、すぐにヴィンラント連合とアルブリー王国へ和平を申し入れた。
長く続いた戦争は、それで終わった。
(……もう少し、早ければ)
国があと数年早く変わっていれば、父は死なずに済んだかもしれない。
そして——あと数か月、戦争が早く終わっていたなら。
アレクシアは、静かに目を閉じた。
騎士見習いになって間もない頃、初めて実戦へ出た日のことを思い出す。敵の剣が、自分へ向かって振り下ろされた。頭では避けなければならないと分かっていたのに、恐怖で体が動かなかった。足が地面に縫いつけられたようになり、迫ってくる刃を見つめることしかできなかった。
その瞬間、一人の同期が、自分の前へ飛び出した。
代わりに剣を受けた。
流れる血。
倒れていく身体。
それでも彼は、最期に笑った。
——お前は、これから何人も守れる盾になる。だから、今日のことは忘れて、前に進め。
「……馬鹿だな」
誰もいない訓練場で、思わず声が漏れた。
忘れられるはずがない。
まして、その数か月後には、戦争そのものが終わった。
あの日、死ななくてもよかった命だった。あの同期も。父も。それ以外にも、一体どれだけの人が、本当なら失われずに済んだのだろう。
だからこそ、自分は誰かを守ることに拘り続けてきたのかもしれない。
もう二度と、自分の目の前で誰かを失いたくない。
仲間を守れるのなら、自分が何を失っても構わない。
いつからか、その覚悟を持ち続けることこそが、騎士としての強さなのだと思うようになっていた。
絶対防御を維持するため、危険な賭けまで繰り返した。自分が何もかも失う覚悟を持てているか、確かめるように。
(……昔の私は、きっと必死だったんだな)
強くなることにも。
誰かを守ることにも。
何かを失うことを、怖がらない人間になろうとすることにも。
あの日、自分の代わりに死んだ同期へ、恥じない人間になろうとすることにも。
「アレクシア」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、騎士団長が立っていた。
「……団長」
「ここにいると思った」
「分かるのですか?」
「何年お前を見てきたと思っている」
団長はアレクシアの隣まで歩いてくると、同じように夕暮れの訓練場を見渡した。
「懐かしいか?」
「はい」
「……戻りたいと思ったか?」
思いがけない言葉に、アレクシアは驚いて団長を見た。
「どうして、それを」
「顔に書いてある」
「そんなに分かりやすいですか?」
「俺にはな」
団長は、小さく笑った。
「昔のお前は、何をするにも必死だった。強くなることにも、人を守ることにもな」
「……」
「才がありすぎたせいもあるのだろう。自分が誰よりも強くなれば、何も失わずに済むとでも思っているように見えた」
団長の声は穏やかだった。
「だが同時に、お前は誰より何かを失うことを怖がっていた。だから、仲間が助かるなら、自分一人くらいどうなっても構わないと考えるようになった」
アレクシアは何も答えなかった。
「今は、少し違うようだ」
団長がこちらを見る。
「守るというのは、自分から死にに行くことではない。それが、少しは分かった顔をしている」
アレクシアは、自分の手のひらへ視線を落とした。
——絶対防御。
あの力を維持するため、自分は今でも賭けを続けている。全てを失える覚悟そのものが間違っているとは、今でも思っていない。
だが以前、四堂悠太に言われた言葉が、ふと胸の奥に蘇った。
——アレクシアがここで全部投げ打って倒れたら、その人の言葉ごと、途切れさせてしまうことにならない?
——仲間や世界と同じくらい、自分のことも大事にして欲しい。
あのときは、そんなことを言われたのは初めてだと思った。
騎士なのだから、覚悟を持て。
仲間のためなら命を懸けろ。
民を守る盾になれ。
ずっと、そう教えられてきた。それが間違っているとは、今でも思わない。ただ今は、その覚悟を持ったまま、生きて帰ることにも意味があるのだと、以前より少しだけ思えるようになった。
今日、誰かを守って生き残れば、明日また別の誰かを守ることができる。
あの同期が自分へ託してくれた命を繋いでいくというのは、もしかすると、そういうことなのかもしれない。
「……団長」
「なんだ?」
「昔、私は騎士になりたいと思っていました」
「知っている。耳にたこができるほど聞いた」
「そんなに言っていましたか?」
「言っていた。朝も言っていた。夜も言っていた。飯を食いながらも言っていた」
「……そこまで言っていた覚えはありませんが」
「俺はある」
アレクシアは、思わず小さく笑った。
「騎士団長になったときも、これが自分の道なのだと思いました。でも、世界を救うために団長職を辞めてからは……正直に言えば、もうここへ戻ることはないのかもしれないと思ったこともあります」
団長は、黙ってその言葉を聞いていた。
アレクシアは、夕日に染まった訓練場へ目を向ける。
ここで何度も転んだ。
ここで何度も叱られた。
初めて剣を握ったのも、この場所だった。
後輩に慕われ、同期と競い合い、時には喧嘩をして、それでも最後には一緒に笑った。
そして今日、久しぶりにこの場所へ戻ってきて。ようやく分かった。
「……いずれ世界が平和になったとき、やはり私は、騎士でありたい」
声に出してみると、不思議なほど、すんなりと言葉が出た。
「その日が来たら、ここへ戻ってきたいです」
「そうか」
「団長に戻れなくても構いません。騎士に戻ることさえできれば、それで良いと思っています」
アレクシアは、穏やかに笑った。
「元々私は、肩書きのために騎士になったわけではありませんから」
この場所で、昔から知っている仲間たちと一緒に、誰かを守るため、もう一度剣を握りたい。
「また、騎士として働きたいです」
団長は、しばらく何も言わなかった。
やがて、その顔にゆっくりと笑みが浮かぶ。
「なら、帰ってこい」
「……はい」
「お前の席くらい、空けておいてやる」
「特別扱いはいりません」
「では、一番下の見習いからやり直すか?」
「構いません」
即答したアレクシアを見て、団長は一瞬黙った。
そして、豪快に笑い出した。
「ははは! 冗談だ! 相変わらず冗談が通じないな、お前は!」
「……団長」
アレクシアは少しだけ呆れた顔をしたが、やがてつられるように笑った。
誰もいない訓練場に、二人の笑い声が響いていく。
夕日の中、かつて何もかも失い、行き場をなくした少女を受け入れてくれた場所は、十一年が経った今も、変わらずそこにあった。
(……いつか、ここへ帰ってこよう)
誰かに決められたからではない。
他に行く場所がないからでもない。
——今度は、自分自身の意思で、もう一度、この場所の騎士になるために。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
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これからもよろしくお願い致します。




