第百二十六話 思い出せない、どうしても思い出せない
ウォルムの宿場町を出発してから、四堂悠太たちを乗せた馬車は、サランセルゴ共和国へと続く険しい山道を進んでいた。
ヴィンラント連合とサランセルゴ共和国の間には、大きな山脈が横たわっている。以前、サランセルゴ共和国の騎士団がリューベックの街まで来てくれたときも、この山脈を越えるのに時間が掛かったと聞いていたが、実際に通ってみれば、その理由は嫌というほど分かった。
道は狭く、何度も大きく曲がりながら斜面を上っていく。場所によっては馬車一台が通るだけで精一杯で、窓から少し身を乗り出せば、遥か下まで続く谷が見えた。
だが今、四堂悠太が青い顔をしている理由は、険しい山道でも、馬車酔いでもなかった。
(……やばい)
馬車の中で腕を組みながら、何度目か分からない言葉を、心の中で繰り返す。
(本当に思い出せない)
昨夜からずっと考えている。眠りにつく直前まで考え、目が覚めてからも考え、馬車に乗ってからも暇さえあれば記憶を辿っている。それでも出てこない。
これまで自分が書いた、十一作品。その中から召喚できる主人公は、残り三人になってしまった。
その三人のうち、一人については、作品の正式タイトルまでしっかり覚えている。問題は、その人物だった。
(……あいつ、戦わないんだよな)
剣も使わない。魔法も使わない。そもそも、戦闘のある物語ではない。四堂悠太が書いた、青春小説の主人公だった。
(いや、良い奴なんだけど……。今呼んでも、何をしてもらえばいいんだ)
今までの四堂悠太は、十一人全員を召喚する必要などないだろうと、どこかで思っていた。これだけ様々な能力を持った主人公たちがいるのだ。全員を使い切るより先に、さすがに魔王まで辿り着ける。そう考えていた。いや、黒歴史の全タイトルを叫びたくない、こっちの方が本心に近かったかもしれない。
いずれにせよ、戦闘能力のない青春小説の主人公については、最初から戦力に数えていなかった。
残る二人。そのうち次に召喚するつもりだったのが、聖女を主人公にした物語だった。主人公の顔も、性格も、どんな物語を書いたのかも覚えている。なのに。
(タイトルだけ、なんで出てこないんだよ‼)
聖女。追放。婚約破棄。転生。辺境。浄化。そんな単語ばかりが、頭の中をぐるぐる回っている。
(確か、『追放された聖女』みたいな感じだった気がするんだけど……。いや、追放されたんだったか? 婚約破棄されたんだったか? そもそも転生してたっけ……?)
似たような題名を付けすぎた。今さらながら、過去の自分を問い詰めたい。
(もっと個性的なタイトルにしてくれよ、昔の僕‼)
「シドー、どうした?」
「え?」
突然声を掛けられ、四堂悠太は顔を上げた。向かいに座っていたリデルが、怪訝そうにこちらを見つめている。
「先ほどから、ずっと難しい顔をしておるぞ。馬車酔いでもしたのか? 顔色が悪いぞ」
「あ、いや……大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」
「本当か?」
「うん」
とてもではないが言えない。——これからスターウンディーネがいるだろう祠へ向かっているのに、切り札として使う予定の召喚魔法のタイトルが思い出せません。そんなことを言えば、全員を不安にさせるだけだ。
(……絶対に言えない)
四堂悠太は窓の外へ視線を逃がした。
そのとき、馬車が長い坂道を登り切った。山脈の向こう側へ抜け、視界が一気に開ける。
「……見えてきたな」
御者席から、アレクシアの声が聞こえた。
四堂悠太は窓から身を乗り出し、前方を見た。山の麓から先へ、広大な土地が伸びている。
サランセルゴ共和国。アレクシアの故郷だった。
御者席で手綱を握るアレクシアは、しばらく何も言わず、その景色を見つめていた。いつもより、ほんの少しだけ手綱を握る手が緩んでいる。
「……帰ってきたのだな」
誰に聞かせるでもない、小さな声だった。
(アレクシアにとって、サランセルゴ共和国は……僕が思ってる以上に、大事な場所なのかもしれないな)
四堂悠太は、その横顔をしばらく見つめてから、視線を前方へ戻した。
話したくなれば、いつか本人から話してくれるだろう。
それよりも今は——。
(タイトルだ……)
四堂悠太は再び頭を抱えた。
(頼む。水の精霊の祠に着くまでに、思い出してくれ……‼)
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