第百二十五話 これは完全に、逆効果です
食事を終えた後、四堂悠太が周囲を気にするようにしながら、こっそりルティナのそばへ近づいてきた。
「ルティナ、これ」
差し出されたのは、ずっしりとした金貨袋だった。ルティナはそれを受け取り、静かに中身を確認する。
「……金貨二百枚、ですね」
「うん。……言わなかったよ、ちゃんと」
四堂悠太は、少し困ったように笑った。
「でも、本当のことを言えば良いのに。アレクシア、ルティナが思ってるみたいなこと、言わないと思うよ」
その言葉に、ルティナはすぐには答えなかった。
(……言えたら、どんなに楽でしょう)
自分がアレクシアの賭博で失った金を、ずっと陰で補填してきたこと。リデルとアレクシアが自分らしく生きられるように、そのためだけにリューベックの領主となってきたこと。全部話してしまえば、もう隠す必要はなくなる。
だが、それはルティナが望んでいることではなかった。
(アレクシアさんが知ったら、きっと困らせてしまいます)
借りたものは返そうとする。受けた恩には報いようとする。自分のために誰かが大きな負担を背負っていたと知れば、今度はそれを気にして、自分を抑えてしまうかもしれない。そんなアレクシアは、ルティナの望むアレクシアではなかった。
——そして何より。
(……全部知られたら、きっと嫌われてしまいます)
それだけは、どうしても避けたかった。
「……ありがとうございます。でも、良いんです」
ルティナは、いつものように静かに微笑んだ。
「アレクシアさんは……気づいていない方が、幸せだと思います。彼女らしく、真っ直ぐに、自分の信じる道を歩いていてほしい。……私が、それを望んでいるんです」
「……ルティナ」
四堂悠太は何か言いかけたようだったが、結局それ以上は何も言わなかった。そのことが、少しだけありがたかった。
「アレクシアさん、すっきりした顔をしていましたね」
ルティナは金貨袋を見ながら、そう言った。
「……うん」
「ずっと借金を気にしていたのでしょう。自分の力で返せたと思っているなら、それで十分です」
ルティナは金貨袋を鞄へしまった。
(これで良いんです)
そう思った。少なくとも、このときまでは。
「それより、シドーさん」
「うん?」
「今日は本当にお疲れ様でした。……色々、大変だったのでは?」
「まぁ……色々あったよ」
四堂悠太が、苦笑しながら答える。賭博場で妙な賭けに巻き込まれ、危うく大きな借金を背負うところだったこと。四堂悠太が賭けの仕掛けを見抜き、最後にはアレクシアだけでなく他の参加者たちまで救ったこと。ミアという迷子の少女をフィーネまで送り届けるだけのはずが、随分と大変な一日になったらしい。
ルティナは、少しだけ迷った。
(本当なら、こんなことまで言う必要はない)
それなのに——。
「……シドーさん」
「うん?」
「私、シドーさんがいてくれて、良かったと思っています」
口にしてから、ルティナ自身が少し驚いた。こんなふうに素直な気持ちをそのまま伝えたのは、これまでほとんどなかった気がする。
「アレクシアさんのことも、ミアちゃんのことも……。私一人では、きっとこうはいきませんでした」
「……そんなことないよ。ルティナがいてくれるから、僕も動けてるんだし」
「……そうでしょうか」
思っていたよりも真っ直ぐに返されて、ルティナは少し困ってしまった。四堂悠太は、こういうところがずるい。本人には、きっと何の自覚もないのだろう。ただ思ったことを、そのまま口にしているだけなのだ。だからこそ、余計に困る。
(……今日だけは、少し素直になりすぎましたね)
これ以上は良くない。そう思いながらも、口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「……ありがとうございます、シドーさん」
気づけば、二人の距離がいつもより近くなっていた。
(……いけません)
ルティナは我に返り、慌ててその場から立ち上がろうとした。その瞬間、足元に置いてあった荷物へつま先を引っかけた。
「……っ」
身体が前へ傾く。咄嗟に何かへ掴まろうとしたが、間に合わなかった。次の瞬間、ルティナの頬に触れたのは、床ではなく柔らかな布地だった。
「……ルティナ?」
「…………」
顔を上げることができなかった。四堂悠太の胸に、完全に顔を埋めていた。
(な、なんで……‼)
頭の中が、一瞬で真っ白になった。
(自分を抑えようと思って離れようとしたのに、どうして逆に近づいているんですか……‼)
「……ルティナ、大丈夫?」
「……はい。申し訳ありません」
ようやくそれだけ言うと、ルティナは慌てて身体を離した。俯いたまま、自分の席へ戻るふりをする。顔が熱い。おそらく、頬どころか耳まで赤くなっている。
(落ち着いてください。転んだだけです。たまたまシドーさんがそこにいただけです。何もありません。何も——。……なぜ言い聞かせれば言い聞かせるほど、意識してしまうのでしょう。これは完全に逆効果です)
「本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫です!」
思ったより大きな声が出てしまった。四堂悠太が少し驚いたような顔をしたので、今度は別の意味で恥ずかしくなる。
「……そっか。なら良かった」
四堂悠太はそれ以上追及せず、自分の席へ戻っていった。その背中を見送りながら、ルティナはそっと自分の頬へ手を当てた。まだ、全然冷めていない。
(……今のままが良いと思ったのに)
四堂悠太との距離も。リデルやアレクシアとの関係も。何も変えず、このまま皆で旅を続けられれば、それで良いと思っていた。余計な感情など、表に出さなければいい。そう思っていたはずなのに。
(自分を抑えようとしたら……逆効果になりました)
ルティナは小さく息を吐いた。いつものにこにこした笑顔は、しばらく戻ってきそうになかった。
***
翌朝。四人は宿場町を出て、再び旅を始めた。
「次は、サランセルゴ共和国だな」
歩きながら、アレクシアが静かに言った。その視線は、遠く南の方角へ向けられている。
「……アレクシアの故郷か」
リデルが呟く。
「あぁ」
アレクシアは、それだけ答えた。短い返事だったが、その横顔はいつもと少し違って見えた。懐かしそうでもあり、どこか緊張しているようでもある。
「大丈夫か?」
四堂悠太が尋ねると、アレクシアは静かに頷いた。
「……あぁ。大丈夫だ」
ルティナも、今は尋ねなかった。話したくなれば、きっとアレクシア自身から話してくれる。
朝の光の中、四人の影が長く道へ伸びていた。
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