第百二十三話 上がれるのは二人——そして、交渉へ
「終了です!」
一時間が経過した。
「それでは、三色を揃えた方はカードを公開してください!」
一般参加者たちは、誰も手を挙げない。
当然だった。
アレクシアの手札も最後まで赤、赤、赤。
「……私は呪われているのだろうか」
「そこは普通に運が悪かっただけだと思う」
「なぜそこだけは断言するのだ!」
「……でも赤三枚は、確率的にはそんなにおかしくないんだよね」
「慰めになっていないぞ!」
そのときだった。
「揃いました」
先ほどまで頻繁にカードを交換していた男が、手札を公開する。
赤、緑、黄。
「私もです」
隣にいた女も、カードを表向きにした。
赤、緑、紫。
周囲から感嘆の声が上がった。
「おお! 二名様が勝者です!」
賭け主が声を張る。
「それでは、お二人にはそれぞれ金貨七百枚を——」
「ちょっと待ってください」
四堂悠太が声を上げると、主催者の動きが止まった。
「なんでしょう?」
「まだ終わっていません」
「皆さん、持っているカードを全部見せてもらえませんか?」
参加者たちは戸惑いながらも、手札をテーブルの上へ並べていった。
八人分のカードを集計すると、そこにあったのは赤二十二枚と、青二枚だけだった。
「この八人が持っているカードには、赤と青しかありません」
賭け主の表情が、わずかに変わった。
「……それが何か?」
「三種類の色を揃えなければ勝てないゲームなのに、一般参加者八人の中には二種類しかなかった。これだけなら、偶然と言えるかもしれない。……だが、もっと根本的な問題がある」
四堂悠太は、勝者となった男女へ視線を向けた。
「最初に金貨七百枚という大きな賞金を提示した。これはアンカリング効果だ。先に大きな数字を見せることで、後から出てくる百五十枚という損失が、相対的に小さく感じられる」
「な、なんだその言葉は……」
アレクシアが、小声で四堂悠太に尋ねた。
「……俺にも分からん」
(本当に分からない。なんで俺、こんな言葉知ってるんだ……? あれ、そもそも待って。なんで、「俺」って言ってるんだ……?)
四堂悠太は一瞬、自分の内心に違和感を覚えたが、頭は止まらなかった。
「さらに、参加費の五十枚はすでに払っている。途中でやめても戻らない。だから続ける——これをサンクコストという。払ってしまった損失を惜しんで、さらに損をし続ける心理だ」
「シドー、声が低い」
「……そうか」
(確かに低い。なんか、別の誰かが俺の中にいる気がする……)
「そして、青を二枚だけ一般参加者へ渡したのは——希望のコントロールだ。完全に諦めさせてしまうと、誰かがゲームそのものを疑い出す。でも、あと一色で勝てるかもしれないと思わせれば、参加者は考え、交換を続ける。自分の判断次第で勝てると錯覚しながら」
完全に希望を奪うのではない。あと少し。もう一回。次の交換なら——そう思わせ続ける。
「だが、八人全員が一時間交換し続けて、必要な三色が一度も流れてこなかった。なぜか」
四堂悠太は、テーブルに並んだカードを見た。
「このゲームは、十人でカードを交換するゲームじゃない。八人と二人——最初から二つのグループに分けられていた」
賭け主の頬に、汗が浮かんだ。
「赤と青しか持たない八人と、勝ち札を握ったまま交換を続けるふりをしていた二人。カードは動いていた。でも、色は動いていなかった」
「…………」
「もし全部偶然だと言うなら、調べてもらいましょう」
「……誰にだ?」
賭け主の男が、わずかに眉をひそめる。
四堂悠太はフィーネの街へ来る前に、アレクシアが話していたことを思い出していた。
——フィーネの賭博場は、リューベックとは少し違う。毎回違う賭け主が来て、それぞれ違った趣向の賭けを催している。
(毎回違う賭け主が来るなら……当然、それを許可している側がいるはずだ)
「この賭博場を管理している組織です」
四堂悠太は主催者へ視線を戻した。
賭け主の表情が、初めて明確に強張った。
「……!」
「毎回違う賭け主が来て、ここで賭けを開いているんですよね。だったら、この場所を管理して、あなたたちに許可を出している組織があるはずです。カードの内訳だけじゃない。最初に本当にあの三十枚を無作為に混ぜたのか。この二人とあなたに関係がないのか。全部、その組織に確認してもらいましょう。……調べられても、何も問題ないはずですよね?」
しばらくの沈黙のあと、賭け主は額の汗を拭った。
「……分かりました。追加の百五十枚については、全員免除とします」
「それだけか!」
中年男性が声を上げる。
「最初から勝てない賭けを一時間もやらされたんだぞ!」
「そうだ、金を返せ!」
一般参加者たちも次々と抗議を始める。
四堂悠太は少し考えてから、二人のサクラを指した。
「この二人を失格にして、持っているカードを一般参加者へ戻してください。それから、あと五分だけゲームを続ける。それでどうですか?」
「そんな勝手な——」
「それとも、管理組織を呼びますか?」
「…………」
賭け主は、長い沈黙のあとで小さく頷いた。
「……五分です。それ以上は認めません」
四堂悠太は、ふと自分の手を見た。
(……あれ。なんか、さっきから「俺」で考えてた気がする。今は「僕」に戻ってる。……イタコ、終わったのか)
何が憑いていたのかは、よく分からなかった。ただ、アレクシアが隣で、少し引いた顔をしていた。
「……シドー、さっきから色々と変だったぞ」
「……うん、気づいてた」
「まるで何者かが憑いていたようだったが」
「……よく分からない。でも、多分その人、賭けのプロみたいな人だと思う」
「この世界に、そんな人間がいるのか」
「……たぶん、この世界じゃない」
アレクシアは、それ以上追及しなかった。
***
そこから先は、もう賭けではなかった。
八人が互いにカードを奪い合う必要はない。
「賞金は、全員で分けませんか?」
四堂悠太が提案すると、誰も反対しなかった。
ならば、やることは一つ。
二人の勝者を作ればいい。
サクラが抱え込んでいた緑、黄、紫。そして一般参加者側にあった二枚の青を、八人全員で相談しながら動かしていく。
「アレクシアさん、これを」
中年男性が、青いカードを差し出した。
「だが、これはあなたのカードだろう?」
「いいんですよ。賞金は八人で分けるんでしょう?」
「……すまない」
アレクシアは、少し戸惑いながら青を受け取った。
赤、赤、青。
そこへ黄色のカードが回ってくる。
赤一枚を交換し、手元に残ったのは——。
赤、青、黄。
アレクシアは、しばらく三枚のカードを見つめていた。
「……揃った」
その声には、驚きが混じっていた。
「シドー。揃ったぞ」
「うん」
「私が……賭けで勝った」
まるで信じられないものを見るような顔だった。
もう一人、中年男性の手札にも、赤、緑、紫の三色が揃っている。
勝者は二人。
一人につき金貨七百枚。
賞金は合計千四百枚。それを八人で均等に分ければ、一人百七十五枚になる。
参加費として五十枚を払ったあと、鞄の中には五十枚が残っている。
賞金の百七十五枚と合わせれば、金貨二百二十五枚。
アレクシアは、手元に積まれた金貨を見つめながら、しばらく黙っていた。
「どうしたの?」
「……勝ったんだな」
「そうだね」
「私は、本当に賭けで勝ったのだな?」
「今回はね」
アレクシアは嬉しそうに笑った。
だが、四堂悠太には分かっていた。
今回の勝利は、いつもの賭けとは少し違う。
偶然に恵まれて大金を手に入れたわけではない。むしろ最初に配られたカードは赤三枚で、運が良かったとは到底言えなかった。
それでも最後には、騙されていた八人が力を合わせて勝った。
(絶対防御のためには、負ける覚悟も必要なんだろうけど……たまには、こういう勝ち方があってもいいよな)
負けることを恐れない覚悟と、負けなければ得られないものがあることは、四堂悠太も理解している。
だが、覚悟を持ち続けることと、一度も報われてはいけないことは同じではない。
今日くらいは、勝ってもいい。
そんな気がした。
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