第百一話 逃げない——エレメントの言葉を、証明する番だ
「シドー、本当に、行けるのか」
アレクシアが心配そうに、四堂悠太の顔を覗き込んだ。
「うん。……もう、大丈夫」
四堂悠太は、木剣をそっと腰に差した。ブリザードから借りたままの剣だったが、返す機会を、まだ見つけられずにいた。
「無理はするなよ」
「分かってる。……でも今度は、ちゃんと僕も戦う」
リデルが、その言葉を聞いて目を細めた。
「……うむ。その目、ようやく戻ったのう」
四堂悠太はそこで一度、三人を見渡した。
「……その前に、一つだけ。ずっと、嘘をついてたことがあって」
アレクシアが、眉をひそめた。
「嘘?」
「うん。……本当は、ずっと覚えてたんだ。十一番目に書いた小説のタイトル」
ルティナが、静かに息を呑んだ。
「この世界に来る、ほんの少し前に書いて、落選した小説だから。……忘れたくても、忘れられなかった。でも、思い出すのが辛くて、覚えている小説のタイトルはないって、ずっと嘘をついてた。……特にルティナ、何度も聞いてくれたのに、ごめん」
ルティナは、しばらく何も言わなかった。それから、静かに首を振った。
「……謝らなくていいです。それだけ、辛かったということですから」
「でも、もう逃げないって決めたから。……ちゃんと向き合おうと思う」
三人は、顔を見合わせた。それからリデルが、ぽんと四堂悠太の肩を叩いた。
「……行くぞ、シドー」
「うん」
四堂悠太たちが出口へと向かいかけたとき、ストームが声をかけてきた。
「私たちは、ここで待っています」
四堂悠太が、振り返った。
「戦いに同行しても、今回は私たちの出る幕はないでしょう。……それより、スターシルフ戦の結果を見届けてから、次の動きを決めます」
「次の動き?」
「はい。……あなたたちが大切にしているものを、守る役割があります。その準備を、ここで整えておきます」
サンダーが、腕を組んだまま頷いた。
「良い結果を、待っている」
「……ありがとう」
ブリザードが、僅かに口の端を上げた。
「行ってきなよ。……今度こそ」
四堂悠太は、三幹部の顔を一人ずつ見た。それから小さく頷いて、踵を返した。
「シドーさんが戻ったなら、行きましょう。……光の精霊エレメントの祠へ向かう前に、まず近くの風の精霊シルフの祠を確認しておきたいのです。以前感じたエレメントの気配、もう少し詳しく調べられるかもしれません」
ルティナの言葉に、四人は頷き合った。
***
荒れ果てた庭園の奥、苔むした石造りの祠は、朝の光の下で変わらず、静かに佇んでいた。
「今度こそ……」
ルティナが祠へと、一歩を踏み出そうとした、その時だった。
風が不自然に、渦を巻き始めた。
「また、来る……⁉」
アレクシアが、剣を構えた。渦の中心から、薄紫の髪をなびかせた少女が、ゆっくりと、姿を現す。
「……戻ってきたか」
スターシルフは、四堂悠太を見据えた。その目に、以前のような余裕はなかった。
「四堂君……君が戻ってきたってことは、もう一度、私と戦う気なんだね」
「あぁ」
四堂悠太は真っ直ぐに、その視線を受け止めた。
「エレメントに、聞きたいことがある。……それを邪魔するんだったら、君を越えなきゃいけない」
「……そう。決めたんだね」
スターシルフは、僅かに目を伏せた。それから風を纏い、構えを取った。
「分かった。じゃあ、行くよ」
四堂悠太は、大きく息を吸い込んだ。
瞬間、あの日の記憶が、鮮明に蘇った。
静まり返った部屋。カチ、カチ、と刻む時計の針。震える手でパソコンを開き、ページを追って——どれだけ探しても、ペンネームの「ワラビー」の文字がなかった、あの日。静かにパソコンを閉じて、机に突っ伏して。
(ごめん、リオン。ごめん、ニーナ。ごめん、グラード)
七年間の集大成が、また落ちた。そう悟った瞬間の、あの絶望。忘れたくて、忘れられなくて、だから目を逸らし続けてきた。
(十一作目のタイトルを、口にしたくなかった理由は——あの日と同じ気持ちを、もう一度感じるのが、怖かったからだ)
だが今、四堂悠太の胸には、あの時とは違う何かがあった。
拓海は視聴者ゼロでも、積み重ねは消えないと言った。エレメントは、諦めずに続けてみてと言い続けた。そして今、目の前には、傷だらけになりながらも自分のために戦い続けている仲間たちがいる。
四堂悠太はゆっくりと、深く息を吸い込んだ。もう、逃げない。
「ダンジョン配信、はじめました ~底辺探索者、誰も見てない配信を続けたら、いつの間にか世界最強になっていた件~」
叫び切った瞬間、体の奥から何かを一気に引き抜かれたように、膝から力が抜けた。
これまで召喚したときと同じ、何かを大量に使い果たしたような感覚だった。
叫んだ瞬間、明るかった空が突如として、暗く染まった。上空に、キラキラと光る円陣が出現する。その円陣の中から、一人の青年が、地面へと降り立った。年の頃は二十前後だろうか。くたびれたパーカーを羽織り、首から小型のカメラを提げている。着地と同時に、素早く周囲を見渡した。
「はいどうも~! 拓海です! @ダンジョン配信です! ……えー、状況を確認しますと、目の前に風を纏って戦う姿勢の薄紫の髪の女の子、スターなんとかさん、敵性反応ありですね。よし、じゃあ今日も配信、いってみましょう!」
拓海は、そう軽い調子で言うと、迷いなくスターシルフへと踏み込んでいった。
アレクシアが、思わず剣の柄に手をかけた。リデルも腕を組んだまま、その一挙一動を静かに見守っている。
実況は止まらない。攻撃を受けても、避けても、常に、誰もいないはずの視聴者へ向けて、言葉を紡ぎ続けている。
「はい来ました、高速移動からの回り込み攻撃! えー、この技、視聴者の皆さんに解説しますとね……あ、誰も見てないんだった。まあいいや、俺のために解説します」
(この人、本当に誰も見てないのに、実況をやめないんだ……)
四堂悠太はその姿を、ただ呆然と見つめていた。誰にも見られていないと知りながら、それでも「見せる」ことを止めない。その在り方が、今の自分に、何かを問いかけているような気がした。
「創造主さん、見えてます? あの子の動き、実は毎回、右足から入るんですよ。……まあ、配信者の観察眼ってやつです。誰も見てなくても、見る癖だけは染みついちゃってるんで」
拓海が戦いながら、そう声をかけてきた。
「創造主さんは、どうでした? 誰にも読まれなかった小説、書いてる間、ちゃんと『見て』ましたか? 自分の書いたキャラクターのこと、自分の作った世界のこと」
その問いに、四堂悠太はすぐには答えられなかった。
「あの……拓海は、誰にも見られない配信、それでもずっと、続けてきたんだよな。……怖くなかったのか? 誰にも見てもらえないまま終わるかもしれないって」
「怖かったっすよ、そりゃあ」
拓海は実況口調を崩さないまま、あっさりとそう答えた。
「でも俺、途中で気づいたんです。視聴者数がゼロでも、配信を積み重ねた分だけ、俺自身は、確実に強くなってた。誰も見てなくても、積み重ねは消えないんですよ。小さな一歩でも、続けてればいつか必ず力になる。……それだけは、底辺配信者として、保証します」
その言葉に四堂悠太は、思わず息を呑んだ。
(積み重ねれば、いつか大きな力になる……。それって——)
脳裏に浮かぶのは、スターエレメントとの、あの戦いのことだった。エレメントの手から放たれた光が、リデルを、アレクシアを、ルティナを、次々と打ち据えていく。だがその矛先が、四堂悠太自身に向けられることは、一度もなかった。
(僕には……、指一本、触れようとしなかった)
攻撃を受ける仲間たちを守ろうと、四堂悠太が代わりに前へ出ようとしても、エレメントの光は、自分の体を、まるで最初から存在しないかのようにすり抜けていった。
(——なんで。なんで、僕だけ)
傷つけられているのは、仲間たちだ。それなのに、一番傷ついているのは、自分だという事実が、たまらなく苦しかった。守られている。よりによって、傷つけている本人に。
脳裏に、七年間幾度となく心の支えにしてきた、あの声が蘇る。
『小さな一歩でも、積み重ねれば、いつか大きな力になるよ! 諦めずに続けてみて』
(そうだ……。エレメントもずっと、そう言ってくれてた)
いつもなら、その声を思い出すだけで、胸の奥が温かくなった。だが今は、違った。同じ声のはずなのに、思い出すたびに、じくりと痛む。
(エレメント……。君は、仲間たちを傷つけても、僕にだけは、手を出さなかった。それが、どれだけ——)
優しさなのか、それとも、もっと別の何かなのか。四堂悠太には、分からなかった。ただ、傷つけられない自分が、傷つけられている誰よりも、無力に思えた。
(分からない。今、君が何を思ってるのか、僕には分からない。……でも)
拓海の言葉と、スターエレメントの言葉が、四堂悠太の中で静かに重なっていく。積み重ねてきたものから、目を逸らしたままじゃ、前になんて進めない。それは、七年間のワナビ生活からも、そして——今も変わらず、心の奥にいるエレメントからも、逃げずに向き合うということだ。
(僕は、エレメントの言葉を、支えにし続けてきた。だったら今度は——僕が、あの言葉を、僕自身の力で証明する番だ)
四堂悠太は、拳を強く握りしめた。




