第百話 待っておったぞ——ずっと、待っておったのじゃ
三幹部が部屋を去ったあとも、四堂悠太はしばらくその場から動けなかった。
閉じられた扉を見つめたまま、先ほどブリザードから聞いた言葉を、何度も頭の中で繰り返す。
(エレメントを、救う)
倒すのではなく、救う。
彼女が苦しむ姿を想像するたびに、体が拒絶したのも当然だった。
四堂悠太にとってスターエレメントは、七年間ずっと画面の向こうから自分を励まし続けてくれた存在なのだ。新人賞に落ちた日も、自分には才能がないのではないかと思った夜も、小説を書くことそのものをやめてしまいたくなったときも、何度も彼女の言葉に助けられてきた。
そんな少女を自分の手で倒すなんて、最初からできるはずがなかった。
けれど、浄化技なら違うとサンダーは言った。『攻撃じゃない。救いの技だ』と。
ストームは、『心が軽くなるような感覚だった』と話していた。
ブリザードも、『ずっと自分を縛り付けていたものが、解けていくようだった』と言っていた。
三人とも、実際に浄化技を受けた本人だ。彼らが四堂悠太を安心させるためだけに、揃って嘘をつくとも思えない。
それに、自分自身も何度も見てきた。
クライナーが浄化され、ピンク色のハートをまき散らしながら光の中へ消えていく姿を。
少なくとも、苦しみに悶えているようには見えなかった。
(あの三人が、そう言うなら……)
信じてみてもいいのかもしれない。ようやく、そう思えた。
——けれど。
頭では納得できたはずなのに、身体はなかなか動いてくれなかった。
扉の向こうには、リデルたちがいる。
ぼろぼろになって、この城へ帰ってきた三人がいる。
会いに行かなければならないと分かっている。それなのに、扉へ伸ばそうとした手が、途中で止まった。
(……情けないな)
悪い結果を見るのが怖い。目の前に突きつけられるのが怖い。
七年間、新人賞の結果を確認するときも同じだった。結果発表の日が来るたび、何度もページを開いては閉じ、メールを確認しては「まだ来ていない」と安心して、ほんの少しだけ現実を先延ばしにした。
見なければ、まだ落ちたとは決まっていない。そんな子供じみたことを考えたことも、一度や二度ではない。
けれど結局、最後には自分で見なければならなかった。受かったのか、落ちたのか。どちらであっても。
(……見なきゃいけない)
四堂悠太は、ゆっくりと扉へ手を伸ばした。
(ちゃんと、自分の目で見なきゃいけない)
——扉を開いた。
***
廊下へ出たところで、ちょうど角の向こうから人の気配がした。
四堂悠太は思わず足を止める。
最初に姿を見せたのはリデルだった。そのすぐ後ろには、アレクシアとルティナもいる。
三人とも、まだ完全には傷の手当てが終わっていないのだろう。
リデルの腕には白い包帯が巻かれ、アレクシアの頬には傷が残っている。ルティナの衣服にも戦いの跡があり、いつもならきれいに整えている髪も、どこか乱れていた。
廊下の燭台の明かりが、その傷を容赦なく照らし出している。
「シドー……」
リデルが、驚いたように目を見開いた。
「こちらから行くつもりだったのじゃが……。先に来てしもうたか」
「……うん」
四堂悠太は、三人を見た。
できることなら、目を逸らしたかった。
痛々しくて、直視するのが辛かった。けれど、逸らさなかった。これを全部自分の責任だとは思わない。三人はそれぞれ自分の意思で戦いに行き、自分たちで選んだ結果として傷ついた。
みんなが選んで、戦いに行ったのだから。でも、受け止めなければならないと思った。目を逸らしたままでは、何も変わらない。
「……ちゃんと、見せてほしかった」
気づいたら、そう言っていた。
「隠さないでほしかった。……ぼろぼろでも……傷だらけでも」
アレクシアが、僅かに目を見張った。それから、小さく苦笑した。
「……そうか。すまなかったな、シドー」
「謝らなくていいよ。……ただ」
四堂悠太は、三人の顔を一人ずつ見た。リデル、アレクシア、ルティナ。傷だらけなのに、それでも真っ直ぐにこちらを見ている、三人の顔を。
だから自分も、もう逃げたくなかった。
「もう、こんな思いはさせたくない」
声が、震えた。
「リデルも、アレクシアも、ルティナも……これ以上傷つけさせたくない」
何もできない。自分には戦う力がない。
そんな言葉を、これまで何度も心の中で繰り返してきた。
けれど、本当にそれだけでいいのだろうか。
「だから……僕も、ちゃんとやる」
リデルが唇をきゅっと結んだ。
その目の端が、僅かに赤くなっているように見えた。
「……シドー」
「エレメントのことも、答えが出たんだ」
三人の表情が変わる。
「三幹部が教えてくれた。戦うことは、倒すことじゃない。……救うことだって」
ルティナが息を呑んだ。
「浄化技は、相手を傷つける技じゃない。だから僕は、戦える」
一度だけ、大きく息を吸う。
「エレメントを、救いに行ける」
その言葉を口にした瞬間だった。
不意に、懐かしい声が頭の中に蘇った。
『創造主なら、きっといずれ、今まで斬ったこともない、素晴らしい斬り心地を体験させてくれるに違いないな』
(……柚月)
東雲柚月は、自分の物語にもう続きがないことなど知らなかった。
それでも最後まで、創造主である四堂悠太の先には、きっとまだ何かがあるのだと信じていた。
その声が消えるより先に、今度は別の声が重なる。
『こんなバッドエンド、到底受け入れられませんの。死ぬ一秒前まで、足掻き続けます。……創造主様が、一番ご存じのはずじゃございませんこと?』
ヘレナ。
どれだけ追い詰められても、自分の運命を他人に委ねず、最後まで自分の手で未来を掴もうとした女性。
『ピンチになったとき、あんまり悩みすぎると、悪いことばかりしか考えられなくなっちまう。悩みはメモリーから消去して、思い切って行動することが大事だぜ!』
不知火徹。
身体が透けていく最後の瞬間まで、いつもの調子を崩さず、自分らしく笑っていた。
『呼んでくれて、ありがとうな、創造主。……久しぶりに、誰かのために剣を振るえた気がする』
勇者ニック。
追放されても、誰かに認められなくても、それでも誰かを守るために剣を振るうことを選んだ。
『あなたの書いた物語には、いつも、誰かを見捨てない登場人物ばかりが出てきます。……それは、あなた自身が、そういう人間だから、そう書けたのだと思います。その事実だけは、覚えておいてください』
安倍晴明。
あっさりとした別れ際に、それだけを告げていった、静かな声。
『誰かと比べなくて、いいんだと思います。……僕は、僕のままで、良かったんだって。今は、そう思えるので』
ゼン。
長い間、自分には何もないと思い込んでいた少年が、最後にようやく自分自身を認めることができた。
(……みんな)
胸の奥が、じわりと熱くなる。
——七年間。
何度も落ちた。何度も、自分には才能がないのではないかと思った。
それでも、書いた。書いて、落ちて、また書いて。
そのたびに、新しいキャラクターを生み出した。
誰にも読まれないかもしれない。新人賞の一次選考すら通らないかもしれない。
それでも、そのときの自分ができることを全部使って、一人ずつ、一人ずつ、物語の中へ送り出した。
そのキャラクターたちが今、脳内で自分の前へ現れ、一人ずつ言葉をかけてくれた。
(みんなが……僕にくれた言葉だ)
そこで、四堂悠太はふと気づいた。
六人は、何もかも違っていた。性格も、口調も、生き方も、歩いてきた道も違う。
それなのに。
彼らが最後に伝えてくれたものの根っこには、不思議なくらい同じものがあった。
——諦めないで。
——自分を信じて。
——あなたなら、きっとできる。
「…………」
四堂悠太は、その言葉を知っていた。
ずっと昔から、何度も、何度も聞いてきた。
『挫けないで、自分を信じて。あなたなら、きっとできるから!』
(……エレメント)
テレビの向こうで、いつも笑っていた少女。
どれほど追い詰められても、どれだけ難しいことを前にしても、誰かが夢を諦めそうになるたびに、スターエレメントは笑ってそう言っていた。
その瞬間、四堂悠太の中で、これまで別々のものだと思っていた記憶が、ゆっくりと一本につながっていく。
自分で考えたキャラクター。自分で考えた台詞。自分で生み出した物語。
ずっとそう思っていた。
もちろん、それは間違いではない。
けれど。
(僕は……自分でも気づかないうちに、エレメントからもらった言葉を、ずっと自分の物語の中へ書いていたんだ)
スターエレメントに励まされ、その言葉を胸に、小説を書いた。
そしてその小説の中に生まれたキャラクターたちが、今度は自分を励ましてくれた。
七年前にもらった言葉が、自分の中を通って形を変え、キャラクターたちの言葉になって。
長い時間をかけて、一周して。
——今。
もう一度、自分のところへ帰ってきた。
「……っ」
視界が、滲んだ。
情けないと思っていた七年間だった。
周囲の人間が進学や就職を決め、新しい道を歩いていく中で、自分だけが同じ場所に立ち続けているように感じたこともあった。
何度書いても結果が出ない。何度挑戦しても届かない。
七年間も費やして、自分は結局何も残せなかったのではないか。何度も、そう思った。
——でも。
(……無駄じゃ、なかったんだ)
少なくとも今は、そう思えた。
あの七年間がなければ、東雲柚月も、ヘレナも、不知火徹も、ニックも、晴明も、ゼンも生まれなかった。彼らがいなければ、自分はここまで来られなかった。
結果を残せなかった七年間。そう思っていた時間が、今、自分を前へ進ませている。
——そのときだった。
身体の奥深くで、何かが微かに灯った。
「……え?」
最初は、気のせいだと思った。
けれど違う。
胸の奥に、小さな温もりがある。
忘れるはずがない。何度も使ってきた。あの独特な感覚。
(……ある)
四堂悠太は息を止め、確かめるように意識を身体の内側へ向けた。
消えていたはずのものが、そこにある。
以前ほどはっきりとはしていない。小さく、弱々しいけれど確かに。
無属性魔法の気配が戻っていた。
「……使える、かも」
無意識に、声が漏れた。
「何?」
リデルが一歩近づく。
「無属性魔法……」
自分でもまだ信じられず、四堂悠太は胸元へ手を当てた。
「気配が、戻ってる」
三人が、同時に息を呑んだ。
「本当か……?」
アレクシアが、確かめるように尋ねる。
「うん。まだ試してないから、本当に使えるかは分からない。でも……確かに、ある」
四堂悠太は、自分の手を見つめた。
震えていた。
けれど、さっきまでとは違う。
もう、恐怖だけで震えているのではなかった。
(……行ける)
何ができるかは分からない。失敗するかもしれない。
エレメントを本当に救えるのかも、まだ分からない。
それでもほんの少しだけ、もう一度前へ進める気がした。
「シドー」
顔を上げる。
リデルが、目の前に立っていた。
彼女はしばらく何も言わずに四堂悠太の顔を見つめたあと、そっと手を伸ばし、その肩へぽんと置いた。
「待っておったぞ」
「……え?」
リデルは笑った。目の端には、僅かに涙が浮かんでいた。
「お主が、もう一度そういう顔をするのを」
肩に置かれた手に、少しだけ力がこもる。
「ずっと、待っておったのじゃ」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、四堂悠太はようやく分かった。
リデルが待っていたのは、無属性魔法が戻ることではない。自分が再び強い力を手に入れることでもない。
何もできないと思い込み、傷ついた仲間を見ることさえ怖がり、この先へ進むことをためらっていた自分が、もう一度、自分の足で前へ進もうとすること。
きっとそれを、三人は、ずっと待っていてくれた。
「……うん」
それだけ言うのが精一杯だった。
声は震えた。
堪えていた涙も、とうとう頬を伝った。
けれど四堂悠太は、もう俯かなかった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
特にここ19話ほど、主人公が能力を失ったり、そもそも話に出てこなかったりと、不安な展開にもかかわらず、読み続けてくださって感謝しかありません!
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




