第九話 ワナビ、世界を救いに出発する
ドアをノックする音が聞こえた。
「シドウユウタ、起きている?」
コレットの声だ。
「……はい。すぐ出ます」
慌てて起き上がり、テーブルに畳んであった制服に着替えた。
目覚まし時計がないから、時間通りに起きられなかったらしい。異世界に来てまだ二日目とはいえ、これからは気をつけないと。
そのうち制服も洗濯したいし、着替えも欲しい。あとでヴィクターに相談してみよう。
支度を済ませ、ドアを開けた。
「おはようございます、コレット」
「おはよう、シドウユウタ。よく眠れた?」
「はい。美味しいご飯と、良い部屋のおかげで」
「それは良かった。出発の準備が整ったら、外へ出て。馬車を用意してあるから」
「あ、はい!」
「それと、これを」
コレットが、革製の鞄を差し出した。使い込まれた革の質感で、肩から掛けられるよう長い紐がついている。
「これから長い旅になるでしょう? 荷物や大事なものをしまうのに、鞄くらいは持っていた方がいいと思って」
「……ありがとうございます」
受け取った鞄は思ったより軽く、手に馴染んだ。
「持ち物は忘れずに持っていってね」
「はい!」
部屋を見渡した。
……何もない。
そもそも、この世界には身一つで来たのだ。持っていく荷物など、あるはずがない。
空っぽの鞄を肩に掛け、部屋を出た。
宿屋の前には、大きな馬車が停まっていた。
馬車のそばで二人が立ち話をしている。そのうちの一人が、こちらを向いた。
「——よう。この世界の救世主ってやつは、そいつか」
銀色の長髪をひとつに結んだ、背の高いエルフだった。
「ザール、いきなり失礼よ。彼の名前はシドウユウタ。今日はリューベックの街まで、護衛をお願いね」
「あぁ。この世界の希望だからな。せいぜい敵に見つからないよう、馬車の中で隠れていろよ、救世主様」
(……典型的なツンデレだ)
口調はトゲトゲしているが、根は良い人に違いない。二次元の作品には、こういうキャラクターがよく出てくる。
どうせツンデレなら女の子の方が良かったが、今は護衛してもらえるだけでありがたい。
「ザールさん、今日はよろしくお願いします」
「……っ。べ、別にお前に頼まれなくたって、俺は任務をこなすだけだからな……!」
ザールは、ぷいっとそっぽを向いた。
(やっぱりツンデレだ。しかも古典的なやつ)
「シドウユウタ、こちらはエルフのネリサよ。八階層までの魔法が使えるの」
「ネリサです。今日はよろしく!」
金色の短い髪をしたエルフが、気さくに手を差し出してきた。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
全員が馬車に乗り込むと、御者席の隣からヴィクターが声をかけてきた。
「荷物は積み終わった。出発するぞ!」
馬車が、ゆっくりと動き出した。
こうして、世界を救う旅が始まった。
***
「ザールとネリサが来てくれたか。ご苦労だったな、コレット」
「いいえ。あとは、なるべく魔物に遭遇しないといいですね」
「何もなければ、昼過ぎには到着できるだろう。——そういえばザール、お前は魔法を何階層まで使えるんだ?」
「はあっ、魔法⁉」
ザールが声を張り上げた。
「魔法なんて使えねぇよ! エルフはみんな魔法が得意だと思うなよ! 俺はエルフの中では珍しい弓使いだ‼」
背中に負った弓を、ちらちら見せてくる。
(エルフの弓使いって、むしろ定番じゃないのか……?)
四堂悠太の知っているファンタジーでは、弓を持ったエルフなど珍しくもない。
しかし、この世界では違うらしい。
「じゃあ、ネリサは……?」
「私は、火属性が八階層、土属性が五階層、水属性が四階層まで使えるよ」
「おおっ、そうだ! ネリサ、シドウユウタに魔法を教えてやってくれないか? 今は何の魔法も使えんらしい」
「魔法なら、リューベックにいるルティナに教わった方がいいんじゃない?」
「もちろん、向こうに着いたら頼むつもりだ。だが、道中で基礎くらいは習得できるかもしれんだろう?」
「なるほどね。やってみる? シドウユウタ」
「お願いします!」
唐突に話を振られたが、条件反射で頷いていた。
まさか馬車の中で魔法の練習をするとは思わなかったが、早いに越したことはない。
「じゃあ、まずは魔法の基礎からね」
ネリサは鞄から透明な瓶を一本取り出した。
「よく見ていてね」
瓶を片手に持ち、静かに呪文を唱える。
「水の精霊ウンディーネよ、水の眷属である我に、汝の力を貸したまえ」
その瞬間、空だった瓶の底に水が現れた。
水面がみるみる上昇し、あっという間に瓶を満たしてしまう。
「……すごい!」
「旅先で水に困ったときに便利な魔法だよ。使う魔力もごく少量で、呪文も簡単。まずは私と同じようにやってみて」
ネリサは瓶の水を馬車の外へ捨て、空になった瓶を差し出した。
受け取ってみると、何の変哲もない、ただの透明な瓶だった。
(この中に、魔法で水を……)
種も仕掛けもなく、精霊の力を借りて水を生み出す。
前の世界では絶対にできなかったことだ。
(どこからどう見ても……魔法だ)
改めて、異世界に来たことを実感した。
「さあ、やってみて」
「はい!」
瓶を両手で持ち、ネリサの呪文を思い出す。
「水の精霊ウンディーネよ、水の眷属である我に、汝の力を貸したまえ」
唱えている途中から、猛烈に恥ずかしくなってきた。
いや、待て。何を今さら。
こういう台詞を堂々と言える世界に来たかったのではないか。
何とか最後まで唱えきり、瓶を覗き込んだ。
……。
…………。
しかし、なにもおこらなかった。
「魔力が足りないわけでも、呪文が間違っているわけでもないし……。何でかなぁ?」
ネリサも不思議そうに首を傾げている。
(やっぱり、僕には魔法なんて使えないのか……)
「結果のイメージが足りないんじゃない?」
コレットが口を開いた。
「瓶の中に水が湧くところを、うまく想像できていないとか」
「ああ、そうかもしれないね。じゃあ次は、しっかりイメージしながら唱えてみて」
「分かりました」
瓶の底に水が現れ、水面が上昇していく。
さっき見た光景を、頭の中で何度も繰り返した。
よし。
「水の精霊ウンディーネよ、水の眷属である我に、汝の力を貸したまえ!」
……。
…………。
やっぱり、何も起こらなかった。
「俺と同じで、魔力がほとんどない……なんてことはないよな。魔法石が、コイツの魔力で砕けたわけだし」
ヴィクターも原因を考えてくれている。
「おいおい。みんな、難しく考えすぎじゃねぇか?」
ザールが呆れたように言った。
「単に、魔法が使えないってだけだろ」
「ザール、そう簡単に結論づけんでくれ。シドウユウタの無属性魔法は、俺たちの切り札になるかもしれん強力な魔法だぞ」
「あるのかないのかも分からん魔法に期待してもしょうがねぇだろ。もっとマシな手段を考えた方が、時間を有効に使えるんじゃねぇか?」
「マシな手段があるなら、とっくに魔王を倒してる。もう、奇跡みたいな力にでも頼らないと勝ち目がないんだ」
ヴィクターの言葉に、ザールはため息をついた。
「まぁ……隊長命令なら仕方ねぇ。せいぜい期待に応えてくれよ、シドウユウタ」
「ちょっとザール! そんな言い方ないじゃない!」
「本当のことだろ。ガキでもできることが何度やってもできないんじゃ、俺なら嫌になるね」
ザールは、背中の弓を親指で示した。
「弓使いに転職したくなったら、いつでも歓迎するぜ」
「ありがとう、ザール。もうちょっと頑張って駄目そうなら、弓使いも考えてみる」
毎日ひたすら呪文を唱え続ける自分を想像して、早くも嫌になってきた。
(魔法が使えるようになる気が、まったくしない……)
「五大精霊の加護を受ける魔法と、無属性魔法では、使い方が違うのかもしれんな。だとすると、どうやって……」
「まずはリューベックのルティナに聞いてみようよ。魔法については、彼女が一番詳しいから」
「そうだな。とりあえずシドウユウタ、何度も練習してみてくれ。それで駄目だったら——」
「おい‼ 魔物だ‼」
ザールの叫びが、ヴィクターの言葉を遮った。
馬車の空気が一変する。
全員が表情を引き締め、武器を手に取った。
(さすが、歴戦の冒険者たちだ……!)
「ザール、敵は何だ? 数は?」
「ゴブリンの群れだ! 五匹いやがる……。こいつは手ごわいぞ!」
「ザールとネリサは援護を! コレットはシドウユウタを守っていてくれ!」
ヴィクターは指示を出すなり、馬車から飛び降りた。
ザールは街道の右手にある木へ駆け寄り、枝に跳び乗ると、葉陰に身を潜めて弓を構えた。
ネリサは馬車の屋根へ飛び乗る。
「御者さん、全速力で駆け抜けて!」
コレットが叫んだ。
馬車が大きく揺れ、速度を上げる。
四堂悠太は座席にしがみつきながら、窓の外を覗き込んだ。
街道の先に、ゴブリンの姿が見えた。
思っていたよりも小柄で、顔には角が生えている。剣や盾を手に、馬車へ向かって駆けてきた。
しかも、速い。
馬車が速度を上げても、ぐんぐん距離を詰めてくる。
「ゴブリン……。あいつらは、何が目当てなんですか?」
「ほとんどの魔物に目的なんてないわ。人を見れば襲うだけ。あまり身を乗り出さないでね。落ちたら危ないから」
コレットは窓の外を警戒しながら答えた。
「ヴィクターたちは、勝てますか?」
「五匹だと苦戦するかもしれないけど、三人なら勝てるわ。安心して」
「そうですか……」
不安はあった。
けれど、それとは別に、胸の奥が妙に高鳴っていた。
(本物の魔物との戦闘……!)
ファンタジー小説で何度も書いてきた、魔物との戦い。
それが今、目の前で繰り広げられようとしている。
(しっかり目に焼き付けておこう! 戦闘描写の参考に――)
そこまで考えて、苦笑した。
(……僕はもう、ワナビをやめたんじゃなかったのか)
描写の参考なんて、どうでもいい。
今はただ、この世界で起きていることを、自分の目で見ればいいのだ。
そのとき、馬車の屋根から炎の塊が飛んだ。
ネリサの魔法だ。
先頭のゴブリンは、すんでのところで右へ跳び、炎をかわした。
——直後。
街道脇の木から矢が飛び、その首を射抜いた。
ゴブリンが地面に倒れ、動かなくなる。
(すごい……!)
ネリサは、最初から魔法を当てるつもりではなかったのだ。
ゴブリンを右へ回避させ、葉陰に潜むザールの射線へ誘導した。
ゴブリンからはザールの姿が見えない。魔法をかわした先に矢が待っているなど、予想もできなかっただろう。
馬車が木のそばを通り過ぎる瞬間、ザールが枝を蹴った。
軽々と馬車の屋根へ飛び移り、ネリサの隣で再び弓を構える。
(何の合図も交わさずに、これほどの連携ができるなんて……!)
魔物に襲われていることも半ば忘れ、四堂悠太は目の前の戦闘に見入っていた。
別のゴブリンが馬車に突っ込んでくる。
ネリサが炎を放ち、ゴブリンが跳ぶ。
そこへ、ザールの矢。
二匹目も、あっという間に倒された。
(仲間がやられるところを見ていたのに、同じように突っ込んでくるのか……)
どうやら、ゴブリンはあまり頭が良くないらしい。
「あっという間に二匹! あと三匹ですね!」
「残りは、そう簡単にはいかないかも……」
「どうしてですか?」
「ゴブリンには、近接と遠隔がいるの。遠隔タイプは魔法や弓を使って、距離を保ちながら攻撃してくるわ。毒攻撃もあるから、一撃でも受ければ致命傷になりかねない」
コレットが、残る三匹を見た。
「それに、あの鎧を着たのは重装ゴブリンね。普通の弓矢や物理攻撃はほとんど効かないの。倒すなら魔法か、よほど強い打撃じゃないと……」
(なるほど。魔物側にも戦闘タイプを作れば、戦いが複雑になって面白いのか!)
近接型、遠隔型、重装型。
(よし、次作に取り入れて——)
四堂悠太は頭を抱えた。
(だから‼ もう書かないんじゃなかったのか‼)
次作なんて、永遠にない。
ないはずなのに、気づけば戦闘描写の研究を始めている。
(このワナビ脳、どうにかならないのか……!)
「大丈夫よ、シドウユウタ」
コレットが優しく声をかけてきた。
「厄介なタイプでも、みんな倒し方は分かっているから」
どうやら、怖がっていると思ったらしい。
違うんです。
脳内が、コレットには到底理解できない、おかしな妄想で満ちているだけなんです。
……などと、言えるはずもない。
「そ、そうですか! それなら安心ですね!」
慌てて返事をした。
その直後、馬車に向かって矢が飛んできた。
「伏せて!」
コレットの声に、反射的に頭を下げる。
矢が窓の外をかすめていった。
続けて、魔法が飛来する。
ザールとネリサが迎撃するが、敵は距離を保ったまま攻撃を繰り返していた。
ネリサが飛んできた魔法を避けきれず、腕に炎がかすめる。
先ほどのようには、簡単に倒せない。
その状況を打開したのは、ヴィクターだった。
馬車の後方へ駆け戻ると、重装ゴブリンに正面から突っ込んだ。
巨体から繰り出された一撃が、重装ゴブリンを吹き飛ばす。
ヴィクターはそのまま魔法タイプの背後へ回り込み、たった一撃で仕留めた。
(……あの重装ゴブリンを、力ずくで?)
普通の物理攻撃は、ほとんど効かないと聞いたばかりなのに。
ヴィクターの力は、ザールやネリサとは別格だった。
魔法タイプが倒されると、残った弓使いタイプも、ザールとネリサが協力して仕留めた。
五匹のゴブリンは、すべて倒された。
「みんな、無事ですか?」
コレットが、戻ってきた仲間たちを迎えた。
すると、ネリサが腕を差し出した。
「コレット、ダメージ解除してもらっていい?」
腕には、赤く焼けただれた傷があった。
「毒じゃなくて、魔法による火傷ね」
コレットが呪文を唱える。
淡い光がネリサの腕を包み、傷はたちまち消えた。
「ありがとう。ソロだったら、死んでたかも」
「八割がた死んでたな」
ヴィクターに言われ、ネリサは首をすくめた。
「ソロだったら、そもそも戦わないよ。逃げることにしてるから」
「賢明だな」
軽いやり取りだった。
けれど、四堂悠太は笑えなかった。
(……普段なら逃げるほどの魔物と、僕を護衛するために戦ってくれたのか)
ついさっきまで、本物の戦闘が見られることに胸を躍らせていた。
描写の参考になるとまで考えていた。
その間にも、ネリサは傷を負い、命を落としかけていたのだ。
急に、自分が恥ずかしくなった。
「ネリサさん……危ない目に遭わせて、すみません」
「えっ? いやいや、冒険者なんてこんなもんだから!」
ネリサは、治ったばかりの腕をひらひらと振った。
「死にかけるのも日常茶飯事だからね。ましてや、私たちは世界を救い隊に入ったときから、みんな覚悟は決めてるんだし!」
「俺は、そこまで弱っちい冒険者じゃねぇよ」
ザールが呆れた顔で口を挟んだ。
「日常的に死にかける冒険者なんて、冒険者を辞めた方がいいぜ?」
至極まっとうな意見だった。
「物の例えだよ! だいたいザールだって、私と同じ遠隔タイプじゃん! 紙装甲なのは一緒でしょ?」
「はぁ⁉ 誰が紙装甲だ‼ 一緒にすんな‼」
ザールが勢いよく身を乗り出した。
「仮に! もし仮に、防御力が少し低かったとしてもだ! 俺の素早さがあれば、魔物の攻撃なんざ全部回避できるんだからな!」
「はいはい。全部回避ね」
「何だ、その言い方は‼」
「お前ら、そこまでだ」
ヴィクターの一声で、二人が口を閉じた。
「俺たちの目的は魔王を倒すことだ。そのためには、シドウユウタの力が必要になる。無事にリューベックまで護衛するのが、今の俺たちの仕事だ」
ヴィクターは二人を見渡した。
「それが達成できるなら、逃げようが、かわそうが、どっちでもいい」
「……はい」
「……分かったよ」
二人は、そろってうなだれた。
「なんにせよ、無事に切り抜けられて良かった。みんな、この調子で頼むぞ」
ヴィクターの言葉に、全員が頷いた。
四堂悠太も、空っぽの鞄を抱え直した。
世界を救うために呼ばれたはずなのに、今は自分の身を守ることさえできない。
(……早く、魔法を使えるようにならないと)
そう思った。
***
その後は、魔物に遭遇することなく進んだ。
ただし、ゴブリン戦で足止めされ、周囲を警戒しながら進んだため、昼休憩を終える頃には到着が大幅に遅れていた。
すっかり夕暮れになった頃、ヴィクターが御者に声をかけた。
「日が暮れるまでには着けそうだな。もう少し急いでくれ……」
そのときだった。
——ドンッ!
腹の底まで響くような地鳴りがして、馬車が大きく揺れた。
続いて、獣の咆哮が辺りに響き渡る。
「なに……今の叫び声は……?」
ネリサが顔を強張らせた。
「分からん。だが、この揺れからして相当近いぞ。警戒しろ‼」
ザールが窓から身を乗り出し、前方を見た。
その顔から、血の気が引いた。
「ドラゴンだ‼ 全速力で逃げろ‼」




