今頃は天国で幸福に
ーーファティマ様、お父様やお母様が「何を言ってくれたか」ではなく、「何をあなたにしてきたか」を基準に考える癖をつけるべきですよ。
弟に無駄に付いていた家庭教師。その中のひとり、魔法の『先生』。
顔はよく覚えておりません。髪は短かったかも……色だって多分、違います。でも、子供だった私にかがんで目を合わせ、同じ目線でお話して下さる方でした。何より、瞳の色が一緒です。アメジストの、綺麗な瞳。
私が父の借金のカタにスケベジジイいえ60代の準男爵に売り飛ばされるような形で嫁がされようとしていると知り、魔術学院への入学を熱心に勧めて下さった方。
でも私が行かなかったら父が困るし、育ててもらった恩もある。母は、弟は男子で後継ぎだから将来の為に投資しなきゃならないけど、私は女の子だから着飾って笑ってればいいんだし学園なんか行く必要ないって言うし。弟は、俺は男だから優秀で、私は女だから馬鹿で、だから勉強なんかしたって意味ないって。それより準男爵に気に入られるように頑張れば? って。あのエロジジイ、幼女に近いぐらいの少女が好きだからファティマでも何とかなるだろうって父上が言ってたぞ、って言うの。……
そんな他愛のない子供の愚痴を、その方は丹念に聞いて下さいました。
君のお父様は、君を育てた恩返しをしろと言うんだね。でも僕から見たら君の父上は君を秘書代わりにこき使ってるように見える。父母弟でテーブルマナーの勉強と称して豪華な食事に舌鼓を打ってる時に、君は台所でこっそりと僕が教えた薬膳スープでしのいでた。世間一般ではそれを「育ててやった」とは言わないよ。
お母様は着飾って笑ってればいいって言っときながら、君に着飾るドレスの1枚も与えない。ご自分はお茶会だパーティーだって月に何着も作るのに、おかしなことだと思わないか? 自分がボロを着てても子供にはいいもの着せたいっていうのが親心、僕はそう思ってるけど。その観点からすると君の母親は『親』としての資質に決定的に欠けている。
君の弟君は、ぶっちゃけ自分で言う程優秀じゃないよ。もしそうなら君の父上は君ではなくヨシュア様を秘書代わりにしてこき使ってるだろうさ。ヨシュア様に付いてる家庭教師の半分、いや3分の1でも君に付けてやってれば……お父様はお手伝いしたらありがとうっておっしゃって下さるって? まったく、君はどこまで……失礼、言葉が崩れたね。
つまり、何を申し上げたいかと申しますと、あなたは誰かを評価する時、言葉よりも行動でその人を見た方がいいよ、ということです。
あなたはどうも優しい言葉に縋る癖があるようです。お父様があなたを便利に使おうとして出す猫撫で声、お母様がほんの気まぐれに発する甘い褒め言葉、ヨシュア様が端から貶めるつもりで吐く見え透いた嘘。そんなものに縋って生きるには、あなたはまだ若過ぎる。
ファティマ様、僕は自分で言うのも何だけど魔法使いとしてはちょっとした者です。その僕が保証します、あなたは魔術師としての才がある。ご両親が一身に期待をかけてる弟君など比べ物にならない程の、強い力があなたにはある。……それも甘い言葉の嘘だって? やれやれ、賢過ぎる子は困ったね。……
ーーわかりました。では僕は行動で示しましょう。
そうおっしゃって、その方は私の魔術学院入学の準備をして下さって、そしてそれからーー。
「そうですね、そうでした。私は言葉面だけ信じ過ぎていたのかも知れませんね……『カギ先生』」
ぽちゃん、と、目の前の方がスプーンですくった黒パンをスープに落としました。
「あー……バレちゃいましたか〜……」
あら、バレてはいけなかったのですか?
「どこかでお逢いしているかも、という気はしていましたが……そうですね、瞳のお色が同じです」
「え」
ヴィス様はスプーンを取り落としました。木製のカトラリーなので大した音も立ちませんでしたが。
「認識阻害魔法、かけてたんですけどねー、あの頃は」
「にんしきそがい」
そんな魔法が存在しているとは! 魔術の世界は奥深い! 是非とも学んでみたいものですにんしきそがい!
「僕、いえ私もまだまだ未熟だったあの頃、ということですかね〜。瞳の色……瞳の色ですかー……」
何やら落ち込んでしまったヴィス様に、私は言いました。
「でも、決定打は先程のお言葉です。『誰が何と言ったかではなく、何をしたか』。……あれで私、実家での私への仕打ちはおかしいと気づけて逃げ出せたのですもの。勿論、『カギ先生』の後押しがなければ成せなかったことですので感謝致します。
神殿での理不尽なやり方についても、そうです。『カギ先生』がいてくださらなければ私、今こうして生きていたがどうかもわかりません」
そこまでですか、と、ヴィス様の目が鋭くなったような気が致しました。ぞくり、と身を震わせた私に気づいて、彼はすぐにいつもの見慣れた笑みで、ゆったりとおっしゃいました。
「首のモノ、外せますよ。今なら神殿は、いえ、王都中が諸手を挙げて『聖女ファティマ』の帰還を祝福するでしょう」
「いいえ、お断り致します」
私の答えは決まっております。
「ヴィス様、あなたのおっしゃる『聖女ファティマ』は魔封じの首輪を嵌められ、罪人用の馬車に乗せられて、辺境伯領入りしてすぐに捨て置かれたのです。
サザナミは過酷な地。魔物にも遭遇致しましたし、暴漢や人攫いにも遭いました。そんな地にひとり流されて、生き残れるはずがないでしょう」
「……」
「ファティマは罪人として死にました。でも今頃はきっと、天国で幸福に暮らしているのでしょうね」
「天国……ですか」
「ええ」
私は含み笑いと共に言いました。
「実家や神殿に比べれば、どんな場所でも天国ですわ!」
私は今の暮らしが気に入っています。
魔封じの首輪が外れて光魔法が解禁されたら、また聖女という名の奴隷に逆戻りです。そのようなことは御免被ります。マリア様とセシルのことだけは心残りですが、王都や神殿がどうなろうと私の関知するところではございますん。
王都も神殿も、私が見てきた地獄をご覧になればよろしいのです。魔物、恐ろしいですよね? 瘴気、怖いですよね? 空腹寝不足で酷使されるの、辛いですよね? 限界を超えて力を使えなんて、倒れますよね?
結界が完全に消えたのなら、王都が悪名高きサザナミの『魔の森』状態になるかも知れません。神殿内のパワーゲームばかりに血道を上げていた神殿長に、確実に来るであろう『地獄』に対処するお力はおありなのでしょうか。側妃様とその御子ばかりを溺愛し、公務を正妃様と第一王子に丸投げしていた国王陛下は果たしてどのような采配を揮うのでしょうか。……うふふ、お手並み拝見と参りましょう。
私は恩人カギ先生ことヴィス様と共に、日々を淡々と穏やかに幸福に過ごすと決めたのです。
私が王都と神殿の為にお祈りしても、所詮は破戒聖女の祈りですからオナラの役にも立たないでしょう。端から無駄だと判っていることに刻を費やす程の馬鹿ではないつもりです。
そちらはそちらで頑張って下さいね、私は知りません。
私は、複雑な表情でスプーンをくわえたままのヴィス様に、うっすらと微笑みかけました。私にとっては、彼のいるこの地こそが楽園です。




