第85話 内側からの呪詛
───山奥の小屋
ドサッ!
(痛っっ!!!)
紗世は投げ捨てられるように、小屋の中へと放り込まれた。
全身に鈍い衝撃が走り、思わず息が詰まる。
網代車の御者の横から、一人の僧が顔を覗かせた。
無表情──
何を考えているのか、一切読めない。
それが、かえって不気味だった。
僧は小屋の四隅の柱へ歩み寄り、護符のようなものを貼っていく。
そして、低く何かを唱え始めた。
(もしかして、結界ってやつ……?
なら、這いずってでも扉を開けてやれば……)
そう思い、身体を引きずろうとした、その時──
僧が、くるりと振り向いた。
そして、ゆっくりとしゃがみ込み、紗世の顔を覗き込む。
「物理的に扉を開けようとしても、無駄だよ。開かない。」
(……っ!)
考えていたことを、見透かされた。
「結界でこの小屋に辿り着きにくくしてある。仮に辿り着いたとしても、この小屋は認識できない。」
淡々とした声が続く。
「そして、この小屋は物理的な力では開かない。外からも、中からもね。」
紗世の胸に、冷たいものが落ちた。
(これ……冗談抜きで死ぬやつじゃん……。)
「何日かは生きられると思うけどね。その体じゃ、もう少し早いか。じゃあね。」
それだけ言って、僧は立ち上がる。
ギィ……
小屋の扉が閉じられた。
足音が遠ざかる。
やがて、完全な静寂。
──置き去りにされた。
しばらくして、紗世は歯を食いしばりながら身体を引きずった。
扉へ向かう。
ガタ……ガタ……
押す。
引く。
叩く。
──開かない。
けれど。
(……音は、聞こえる……)
外の木々が擦れる音。
風の流れ。
鳥の鳴き声。
(外は普通なのに……)
「……寒い。」
ぽつりと声にならない声が漏れる。
初春とはいえ、山奥の冷気は骨に刺さる。
紗世は自分の手足を見た。
赤黒く腫れ上がり、内出血が広がっている。
(都の女房の姿じゃないでしょ……。これでも一応、和泉守の姫君なのに……)
かすかに苦笑する。
ゆっくりと体勢を変える。
(御息所様……心配、してるよね……)
視界が滲む。
(それに……邸のみんなも……。きっと陰陽頭様にも知らせてるだろうし……)
涙が一筋、こぼれた。
(……それに、惟成……。)
ふと浮かぶ、あの無駄に真面目な顔。
紅葉見物で見た、少し柔らかい笑み。
(……なんとか、しなきゃ。)
紗世は歯を食いしばり、ゆっくりと身体を起こした。
そして、四隅の柱に貼られた護符を見据えた。
⸻
───六条御息所邸
御息所の居室には、重い空気が満ちていた。
そこには
•御息所
•陰陽頭
•源氏の君
•頭中将
•惟光・惟成親子
が揃っていた。
「此度は、当家の和泉の為にお越しいただき、ありがとう存じます。」
御息所は深く頭を下げた。
「いや。我々も宮中の警備を預かる身。情報や人脈が役に立つなら協力する。」
頭中将が静かに応じ、源氏の君も頷く。
陰陽頭が一歩進み出た。
「現在、参議邸を出た後の足取りが掴めていない。網代車で出たというが……それも確定か?」
「はい。」
惟成が前に出る。
「網代車で出たのは事実です。
その上で──播磨という女房から話を聞きました。」
その場の空気が張り詰めた。
惟成は、一つ一つ言葉を選びながら語る。
•紗世が参議邸を訪れたこと
•自身の縁談の件が発端であること
•二の姫が人形を使い呪詛を行ったこと
•紗世が大怪我を負っていること
•その状態で網代車に乗せられたこと
「……行き先は、分からないとのことでした。」
沈黙。
「紗世が……大怪我を……そんな状態で……」
御息所の声が震える。
その体が、ぐらりと揺れた。
「御息所様!」
女房が慌てて支える。
陰陽頭が静かに口を開いた。
「……人形を使った呪詛、か。」
「これを。」
惟成が差し出したのは、小さな木箱。
カタリ、と蓋が開く。
中には──
朱墨で『和泉』と書かれた人形。
そして、首や手足にぐるぐる巻きにされた髪。
「────っ!?」
源氏の君と頭中将が息を呑む。
御息所は顔を青ざめさせ、扇を落とし、両手で口元を覆った。
陰陽頭はそれを見つめ、低く呟いた。
「……そうか。」
そして、はっきりと言う。
「これでは、和泉殿は弾けない。」
「弾けない……?」
惟成が問う。
「和泉殿は、これまで呪詛を無意識に弾いていた。
だが、それは“外側からのもの”だったからだ。」
その場の全員が耳を傾ける。
「だが今回は違う。」
髪を指す。
「これは、和泉殿自身の髪。
つまり──“内側からの呪詛”だ。」
ごくり、と誰かが息を呑んだ。
「自分自身からの攻撃は、弾けない。」
沈黙が落ちる。
「惟成殿、この人形は二の姫が作ったのか?」
「いえ。夜のうちに置かれていたと。
この紙も一緒に。」
差し出された紙。
──苦しめたら、網代車に乗せよ
あとはこちらで
短い文。
だが、底知れぬ悪意が滲んでいた。
陰陽頭がぽつりと呟く。
「……同じだな。」
「同じ?」
源氏の君が問う。
「紅葉見物の時の呪詛の“核”と同じ気配だ。
つまり──これまでの件は、すべて同一人物の仕業。」
その言葉が、静かに突き刺さる。
「相模の件も……?」
御息所が震える声で言う。
「ええ。間違いない。」
源氏の君が身を乗り出す。
「それは誰だ?」
陰陽頭は、わずかに間を置いて答えた。
「──民部卿の姫君。」
空気が凍る。
「あの姫か……」
頭中将が低く言う。
「確かに、あの気性ならやりかねぬ。」
惟光が続けた。
「現在は尼寺にいるとの話。調べはつくでしょう。」
御息所が震える声で呼ぶ。
「陰陽頭様……!」
その必死な声に、全員の視線が集まる。
「……どうか……紗世を……」
言葉にならない。
陰陽頭は静かに頷いた。
「民部卿の姫の元へは、私が行く。」
そして視線を巡らせる。
「源氏の君、頭中将様、惟成殿。
あなた方は和泉殿の行方を追ってください。」
「だが……手掛かりが……」
源氏の君が言いかけた、その時。
陰陽頭が静かに言った。
「……方法は、ある。」
その表情は、わずかに曇っていた。




