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第75話 秋の嵐 のち 青い春

───嵐山・紅葉見物の場


風は、すでに止んでいた。


だが――


そこに残された光景は、あまりにも無惨だった。



紅葉は、地面一面に叩きつけられ


屏風は骨組みだけを晒し


敷物は枝に引っかかり、風に揺れている




そして――


車輪が外れ、(ながえ)が無残に折れた牛車が三台。


牛の姿は、もうない。



「………さて。」



陰陽頭が、あたりをぐるりと見回した。



「どうやって帰りましょうかね?」



あまりにも現実的な一言に、その場の空気がわずかに緩む。



「屏風や敷物は……近くの邸に頼んで処分していただくしか……。」


「牛車を借りるにしても……三台分は……。」


女房や御者たちが慌ただしく動き始めた。



結局――


近くの邸から牛車を一台借りることになった。


「御息所様はこちらへ。」


女房たちが順に乗り込んでいく。


他の者は徒歩。


護衛は馬。


その中で。


袿をすっぽり被った紗世が、こそこそと惟成に近づいた。


「ねえ……」


馬上の惟成の裾を、ちょい、と引く。


「うん?どうした。」


紗世は、少しだけ視線を落とした。


「……もし、また呪詛が来たらさ……」


惟成は何も言わず、続きを待つ。


「牛車に乗ってる御息所様や、皆まで巻き込んじゃうと思うんだ……。」


一瞬、風が抜ける。


「だから……」


紗世は、少しだけ言いづらそうに言った。


「私、歩こうと思って……」


間。


「惟成の横、歩いてもいい?」


惟成は、ほんの一瞬だけ目を細めた。


「……紗世。右手、上げろ。」


「え?」


「いいから。」


紗世は素直に、右手を上げる。


その手首を、惟成がぐっと掴んだ。


「え、ちょ、なに――」


「合図したら、真上に跳べ。」


「え?」


「いくぞ。」


間髪入れず。


「せーのっ!」


グイッ!!


「わっ!!」


一瞬、視界が跳ね上がり――


気付けば、紗世は馬上にいた。


惟成の前に、しっかりと乗せられている。


「え!?ちょ、ちょっと!!」


「座れ。」


「いや、だから歩くって――」


「女房を歩かせる護衛がどこにいる。」


ぴしゃり、と言い切る。


紗世は一瞬、言葉に詰まった。


「で、でも……また呪詛が来たら……」


惟成は、少しだけ視線を前に戻したまま言った。


「その時は、その時だ。」


間。


「俺がいる。」


それだけだった。


「……っ……」


紗世は、何か言い返そうとして


結局、口を閉じた。


(……ずるい。)


小さく、そう思う。


後ろでは、陰陽頭が肩を震わせていた。


「はは……いやぁ……若いねぇ……。」


「何か言いましたか?」


惟成が振り向く。


「いや何も?」


にっこり。


御息所の牛車の中では、


女房たちがひそひそと囁いていた。


「今の……見ました?」


「見たわよ……」


「まあ……」


くすくすと、小さな笑いが広がる。




紅葉は散った。


牛車も壊れた。


だが――


奇妙に、穏やかな帰り道が始まっていた。




───牛車の中


「……本当に、大事にならなくて良かったわ……。」


「ええ……まだ手が震えております……。」


女房たちは、ようやく安堵の息をついた。


しかし。


「……ところで。」


誰かが、ぽつりと口を開く。


「さっきの、見ました?」


「……ええ。」


「見たわよね。」


全員の意識が一致する。


「和泉が……」


「惟成様の前に“ひょい”と……」


くすっ


小さな笑いが広がる。


「まあ……あの距離……」


「護衛とはいえ……あれは……」


「完全に抱き寄せておりましたわよね?」


「言ってはいけません。」


「でも事実ですもの。」


くすくすくす――


御息所は、扇の向こうで静かに微笑んでいた。


(紗世……)


ほんの少しだけ、優しい視線が外へ向けられる。




秋の風を切り、馬がゆっくりと進む。


紗世は、惟成の前にちょこんと座っていた。


だが、袿の内の表情は、沈んだままだった。


(……陰陽頭様、言ってたよね……。)


――本来なら体に異変が出るはずだ、と。


(それが、弾かれて……簪や櫛が壊れた……)


脳裏に蘇る。


壊れた屏風。


砕けた牛車。


吹き荒れる風。


ぞくり、と背筋が冷える。


(……もし、弾けなかったら……


あれが、私に来てたってこと……?)


指先が、わずかに震えた。


(……もし、それが……)


御息所。


他の女房達。


(巻き込んでたら……?)


胸が、ぎゅっと締まる。


(……どうしよう……)


体が、こわばった。


その時。


「お前は、何も悪くない。」


後ろから、低く、迷いのない声。


「……え?」


振り返る。


凛とした惟成の顔は、いつも通り静かだった。


「どうせお前のことだ。」


ちらり、と視線だけ寄越す。


「自分のせいで迷惑をかけた、などと考えているんだろう。」


「……」


図星だった。


「でも……実際――」


「違う。」


言い切った。


「迷惑をかけているのは、呪詛をかけた側だ。」


言葉に、迷いがない。


「自分の感情すら制御できず、他人にぶつける――

そんな身勝手な者の責任を、お前が背負う必要はない。」


風が、ふわりと抜けた。


「紗世は、悪くない。」


「……っ」


胸の奥に、溜まっていたものが、少しほどける。


惟成が、ちらりとこちらを見る。


「自分を責めるな。」


「……うん……。」


小さく頷いた。


――その瞬間。



ペチン!!



「痛ぁっ!!?」


額を押さえる紗世。


「なっ……なにすんのよ!?」


「お前が静かだと気味が悪い。」


「はあ!?」


一瞬で、いつもの顔に戻る。


「人がちょっとしおらしくしてたらそれ!?」


「しおらしいお前など見慣れん。」


「失礼すぎない!?」


「だから沈むなと言っている。」


「それとおでこ叩くのは別問題でしょ!!」


「いつもお前、俺を叩くだろう。お返しだ。」


「いつよ!そんな記憶ないんだけど!?」


「ある。」


「ない!!」


ぐいぐいと振り返りながら抗議する紗世。


「おい、暴れるな。」


惟成が軽く手綱を引く。


「馬が驚く。」


「だってあんたが――」


「落ちたいのか?」


ニヤリ、と笑った。


(……あ)


一瞬、言葉に詰まる。


(今……笑った……?)


「……っ!!〜〜〜〜〜!!

後で覚えてなさいよ!!」


「ははは。」


惟成が、声を上げて笑った。


その笑いは、風に乗って後ろへ流れる。


牛車の中。


歩いていた供人。


全員が、同時に顔を上げた。


(……今の……)


(惟成殿……?)


ざわり、と空気が揺れる。


陰陽頭が、ぽつりと呟いた。


「……ええ……?」


馬上で目を丸くする。


「惟成くん、君……笑うんだね……?」


「人を何だと思っているのですか。」


呆れた声。


だが、その口元は――


まだ、わずかに緩んでいた。


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