第74話 生き続ける呪の種
───とある貴族邸・女房の局
火は、もう小さくなっているはずだった。
守袋は燃え、灰になり、女房たちは「すっきりした」と笑っていたはずだった。
なのに――
ぱちっ
まだ、燃えている。
「……あれ?」
一人が首を傾げた。
「さっき、全部燃やしたわよね?」
「ええ、確かに……。」
視線が、火に集まる。
ぼう、と。
不自然に、炎が膨らんだ。
「……誰か、火を足した?」
「いいえ……。」
沈黙。
その時。
ぐにゃり
炎の形が、“歪んだ”。
「……っ!」
誰かが息を呑む。
炎の中に、“何か”が見えた。
女の顔のようなもの。
だが次の瞬間には、崩れる。
「……気のせいよ。」
相模が言った。
少しだけ声が早い。
「ほら、もう終わりにしましょう。」
笑う。
だが――
その笑顔は、ほんの少し引きつっていた。
その時だった。
パチンッ!!
何もないはずの空間で、何かが弾けた。
「……え?」
次の瞬間。
ぶわっ!!
炎が一気に膨れ上がる。
「きゃあっ!!」
女房たちが後ずさる。
だが、火は広がらない。
その場に“留まっている”。
まるで、何かを待つように。
「……相模……これ……」
一人が震える声で言う。
「こんなおまじない……だったかしら……?」
相模は、答えない。
ただ、炎を見ている。
(……違う。こんなはずじゃない。
もっと……こう……スッキリして終わるだけの……。)
その時。
炎が、スッと細く伸びた。
まるで――
どこかへ“繋がる”ように。
「……なに、あれ……。」
誰かが呟いた。
炎の先が、ゆっくりと、揺れる。
呼吸しているように。
ぞわり
部屋の空気が冷える。
「……寒い……。」
「さっきまで暑いくらいだったのに……。」
誰も動けない。
そして。
炎の奥から、声がした。
『……足りない』
「―――っ!!」
全員が凍りついた。
『……もっと』
『……もっと……』
『……寄こせ』
炎が、揺れる。
いや――
“笑った”。
「……やめて……。」
一人が後ずさる。
「こんなの……違う……。」
その時。
炎が
ドクンッ!!!
と脈打った。
一斉に、女房たちの胸の奥が、引きずられる。
「……っ!!」
「なに……これ……!」
苦しい。
重い。
吐きそう。
だが――
視線だけは、逸らせない。
相模が、ぽつりと呟いた。
「……これ……」
喉が乾く。
「……効いてる……?」
誰も、否定できなかった。
───嵐山・紅葉見物の場
風は、止んでいた。
紅葉が、静かに落ちていく。
先ほどまでの暴威が嘘のように。
だが――
陰陽頭は動かなかった。
空を見ている。
じっと。
「……どうしたのですか。」
惟成が声をかける。
返事がない。
「陰陽頭様?」
紗世も不安そうに見る。
その時。
陰陽頭が、ゆっくり息を吐いた。
「……おかしいな。」
「何がです?」
「終わっていない。」
短く言う。
「いや、さっきのは……消えたのではないのですか?」
惟成が眉をひそめる。
陰陽頭は首を振る。
「消えてない。……散っただけだ。」
沈黙。
「さっきのは、“核”を一時的に弾いただけ。
本体は……別にある。」
紗世がごくりと息を呑む。
「……じゃあ……また来るんですか……?」
陰陽頭は少しだけ笑った。
だが、その目は笑っていない。
「来るどころの話じゃない。」
一歩、踏み出す。
地面に落ちた紅葉を拾う。
それを指でつまみ――
パキッ
軽く折った。
「普通の呪詛はな。“投げて終わり”なんだよ。
だが、これは違う。」
折れた紅葉が、指の間で崩れる。
「繋がっている。」
惟成の目が鋭くなる。
「……繋がっている?」
「向こうと、こっちが。ずっとな。」
沈黙。
「……つまり?」
惟成が低く問う。
陰陽頭は、少しだけ楽しそうに笑った。
「簡単に言うと――
今も、現在進行形で呪われ続けてる。」
「は?」
「え?」
紗世と惟成、同時に固まる。
「しかも、増えてる。」
間。
「……は???」
陰陽頭、肩をすくめる。
「いやぁ、久しぶりだな。」
ニヤリと笑う。
「“普通じゃない呪詛”は。」
───とある貴族邸・女房の局
おまじないの集まりは、とっくに終わっていた。
笑い声も、愚痴も、罵声も、もうない。
残っているのは――
焦げた匂いと、灰だけ。
しん……
静まり返った部屋。
相模は、一人で座っていた。
(……帰ったのね、みんな……。)
誰もいない。
なのに――
落ち着かない。
パチ……
小さな音がした。
相模の視線が、すっと動く。
火は、消えたはずだった。
守袋も、全部燃やした。
なのに――
灰の中で、
“赤い点”が灯っている。
「……まだ……?」
思わず、立ち上がる。
近づく。
パチッ
火が、また息を吹き返した。
「……やめてよ……」
反射的に、足で踏み消そうとする。
ぐっ
灰を踏みつける。
……消えない。
じわり、と。足の裏に、熱が伝わる。
「……っ、熱……!」
思わず足を引く。
その瞬間。
ぼうっ
炎が、立ち上がった。
「っ!!」
相模が後ずさる。
おかしい。
明らかに、おかしい。
燃えるものなんて、もうないのに。
炎が、揺れる。
ゆら、ゆら、と。
まるで――
“こちらを見ている”ように。
(……気のせいよ。
ただの……残り火……。)
自分に言い聞かせる。
だが――
視線が、離れない。
その時。
炎の奥で、“影”が動いた。
「……っ……!」
息が止まる。
女の輪郭。
顔のようなもの。
けれど、ふはっきりとは見えない。
『……』
声にならない“気配”。
「……いや……」
一歩、後ろへ。
その瞬間。
ドクン
胸が、強く脈打った。
「……っ、なに……これ……」
苦しい。
重い。
息が、詰まる。
ドクン
ドクン
鼓動と一緒に、
何かが“引っ張られる”。
(……やだ……。やめて……。)
炎が、大きく揺れる。
『……もっと……』
「――っ!!」
はっきりと聞こえた。
『……足りない……』
『……もっと……』
「やめて!!」
思わず叫ぶ。
だが――
止まらない。
ドクン
今度は、
はっきり分かった。
自分の中から、
“何か”が持っていかれている。
「……やだ……。」
手で胸を押さえる。
(これ……これ……私の……)
理解してしまう。
(……感情……?)
今日、吐き出したはずの
妬み
嫉み
憎しみ
それが――
戻ってきている。
いや、
吸い上げられている。
「……違う……。」
首を振る。
「ただの……おまじない……。」
その時。
ぼうっ
炎が、一気に膨れ上がった。
『……いい……』
「……え……?」
『……そのまま……』
ぞわり
背筋が凍る。
「……なに……これ……」
震える声。
答えは、誰もくれない。
ただ、分かる。
(……これ……私が……やったの……?)
足が、動かない。
逃げたいのに。
目が、炎から離れない。
『……もっと……集めろ』
「……っ……」
その言葉に、ほんの一瞬。
“頷きそうになった”。
「……っ!!」
我に返る。
後ずさる。
一歩。
二歩。
「……やだ……」
初めてだった。
「……怖い……」
今まで誰かを妬むことも、憎むことも、平気だった。
でも。
“これ”は違う。
人の感情じゃない。
(……これ……人じゃない……。)
その理解と同時に、
膝が崩れた。
「……私……」
手が震える。
「……何、作ったの……?」
炎は、答えない。
ただ、静かに、
燃え続けていた。




